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「疾れイグニース!」第2話

 「ああ良かった。知らないって言われたら凹むところでしたわ」
 
 ヘルメットを一旦外して瑞穂は笑う。

 「似た名前の方かなと思いました……まさか、なんで貴女がこんなところに?」

 「まだあまり公にはしてないのですが、昨年頃からジョッキーの傍ら、家の……『撫子グループ』の仕事を手伝うようになりました。今年から系列会社の撫子ファームを任されたので、レースなどのない日はこうして忙しく動き回っていますわ」

 「そうなんですか……」

 「事務所お借りしますよ」

  瑞穂は車から荷物を取ると、事務所に入っていく。炎仁が頭を抱える。

 「妙な展開になったな……準備するか」
 
 鞍(くら)や鐙(あぶみ)など騎乗の為に必要な竜具を竜体に付けて、手際よく準備を終えた炎仁はイグニースを曳いて、調教用竜場に出てくる。そこにはピンク色の竜体をしたドラゴンに跨り、撫子の花模様が可愛らしく散りばめられた勝負服と白いズボンを着た瑞穂が既に待っていた。

 「おお、見たことある勝負服だ……それにそのドラゴンは……」

 「今年の夏引退した牝竜(ひんりゅう)、『ナデシコプリティー』、来年から繁殖牝竜として頑張ってもらおうと思っていますが、今はわたくしのビジネスパートナーとして働いてもらっています」

 「やっぱりナデシコプリティー⁉ GⅠウィナーじゃないですか!」

 「そうですね、この娘には色々勝たせてもらいましたね」
 
 瑞穂は竜体を優しく撫でる。炎仁が小さく感嘆の声を漏らす。

 「綺麗な竜体だ……『華竜』ですね、近くでは初めて見ました」

 「お褒め頂いてありがとう。撫子グループは伝統的に華竜を多く生産・育成してますから」

 「そうですか……」

 「雑談はこの辺りにして、早速レースと参りましょうか。左周りでいいかしら?」

 「って⁉ ちょ、ちょっと待って下さいよ! 歴戦のGⅠドラゴンと当歳竜じゃ、まともに勝負になるわけないじゃないですか!」

 「あら、気付いちゃいました?」

 「気付きますよ!」

 「まあ、少し落ち着いて」

  興奮する炎仁を瑞穂がなだめる。

 「落ち着けませんよ!」

 「ハンデを差し上げます」

 「ハンデ?」

 「ええ、この調教用竜場は一周1000mでしたわね?」

 「は、はい……」

 「貴方とそのドラゴンが半周過ぎたところで、わたくしたちがスタートします」

 「えっ⁉」

 「鞭を使いませんし、追うこともしません。竜なりに、所謂『持ったまま』走らせます」

 「なっ⁉」
 
 炎仁は驚く。竜なりというのは、そのドラゴンの走る気に任せるということだ。追うというのは、鞭を使ったり、手綱をしごいたりして、ドラゴンを加速させる騎乗技術だ。それを瑞穂はしないという。ピンク色のヘルメットを被った瑞穂は小首を傾げる。

 「如何かしら?」

 「勝ったら……牧場は俺のものなんですね?」

 「ええ」

 「分かりました! レース、やります!」
 
 炎仁は赤いヘルメットをきちんと被り、黒いゴーグルを着け、勢いよくイグニースに跨って、浅田が立つスタート地点に移動する。

 「この浅田君が立っている地点がスタートでありゴール。それでは準備はいいかしら?」

 「……いつでもどうぞ」

 「ゲートが無いからいまいちかっこがつかないけど、仕方ありませんわね……浅田君、スタートの合図をよろしくお願いします」

 「はい……よーい、スタート!」

 「うおっしゃ!」
 
 浅田が振り上げた右手を振り下ろしたのを合図に、炎仁はイグニースを走らせる。イグニースはドラゴンの中では小柄とはいえ、人よりは当然大きい。その竜体(頭から尻までの長さ)は約3mあり、体高(地面からの高さ)は約2mある。歩幅もたった一歩で約10mから12mほど進む。あっという間に最初のコーナー手前にさしかかる。浅田が叫ぶ。

 「速い!」

 「なるほど、当歳竜とは思えないほど、しっかりとした走りですわね……騎乗スタイルも案外様になっていますわね。多少危なっかしいですけど」
 
 炎仁たちの走りを後ろから眺め、瑞穂は笑みを浮かべる。炎仁は鞍に腰を下ろさず、足を乗せる鐙の上に浅めに足を乗せ、腰を浮かせて背を丸め、膝でバランスを取りながら前傾姿勢をとるという、オーソドックスな騎乗法を見せていた。ただ、バランスを取るのがまだ難しく、少し左右にぶれながら走っている。浅田が瑞穂に尋ねる。

 「大丈夫ですかね?」

 「落竜経験がほとんどないというだけありますわ、大丈夫です」
 
 そう言っている内に、炎仁とイグニースは最初のコーナーに差し掛かる。ドラゴンレースでは、コーナーリングにも個性が出る。騎手のスタイルやドラゴンの走り方にも、なによりコースにもよるが、ほとんどのドラゴンが背中の翼を広げ、滑空するかのようにコーナーを曲がる。炎仁も手綱をしごき、イグニースに滑空させる。

 「おおっと!」
 
 竜体をやや左に傾かせながら、コーナーを曲がっていく。内側にあるラチ(柵)に当たってはいけないと気を付け過ぎてしまい、少し膨らんでしまったが、まずまず上手くいった。イグニースは翼をたたみ、地面に足を着けて走り出す。競走竜はドラゴンレース用に品種改良されている為、翼をはためかせて長時間飛行することには適していない。飛ぶ時はある程度スピードに乗る必要がある。

 「第二コーナーです!」

 「ええ、見えていますわ……ふふっ、コーナーリングも結構上手じゃない」

 「うおっと!」
 
 炎仁とイグニースは先程と同じ要領で第二コーナーを回る。またも少し膨らんでしまったが、体勢は崩していない。地面に足を着けてバックストレッチに入る。

 「もうすぐ半周です!」

 「さて……」
 
 瑞穂がゴーグルを着け、正面を見据える。浅田が声を上げる。

 「半周地点過ぎました!」

 「お願いね、プリティー!」
 
 瑞穂がナデシコプリティーを走らせる。炎仁はそれを横目で確認する。

 「って、何竜身差あるんだよ! 追い付けるものか!」

 炎仁は頭では落ち着いていたが、体は少し動揺してしまった。他のドラゴンとレースをするのは初めてのことなのだから、それも無理はない。だが、その動揺ぶりが手綱を伝って、イグニースにも伝わってしまった。ここまで比較的順調に走っていたが、左右にジグザクと走ってしまう。

 「うおっ! 落ち着け! いや、落ち着くのは俺の方か!」
 
 手綱をしぼり、再びイグニースを真っ直ぐ走らせることが出来た。そして第三コーナーにさしかかろうという時、炎仁は後方に気配を感じ、慌てて振り返る。

 「なっ⁉」
 
 炎仁は心の底から驚いた。500m差があったはずのナデシコプリティーがもう100m以内まで差を詰めてきていたからである。炎仁は思わず叫ぶ。

 「持ったままじゃなかったんですか⁉」

 「その子の走りを見てこちらのお姉さんの闘争本能に火が点いちゃったみたい!」
 
 瑞穂が笑い声まじりで叫び返す。後方から猛然と迫るナデシコプリティーに気圧され、炎仁とイグニースは第三コーナーを曲がる際、大きく外側に膨らんでしまう。

 「しまっ……!」

 「もらいましたわ!」
 
 竜体上で瑞穂はスムーズな体重移動を見せる。ナデシコプリティーも無駄のないコーナーリングで、イグニースを内側からあっという間に抜き去る。

 「ぐっ!」
 
 炎仁は体勢を取り戻し、すぐさまイグニースをナデシコプリティーの後ろにつけるが、そこで愕然とする。

 (抜けない!)
 
 ナデシコプリティーが内ラチピッタリに走っていたのだ。瑞穂は内心苦笑する。

 (ちょっと大人気なかったかしらね?)
 
 炎仁は懸命に考えを巡らす。

 (外側に持ち出すか? いや、スタミナロスにつながる。無理はさせられない……でも、このままじゃ抜くことが出来ない! 最終コーナーで膨らんだ所を内側から……いや、この人がコーナーリングをミスするはずが無い、どうする⁉)
 
 二頭のドラゴンが最終コーナーに差し掛かる。瑞穂とナデシコプリティーはお手本通りのコーナーリングで、最後の直線に入る。

 (後は当歳竜と元GⅠ竜の地力の差が如実に出る……勝負ありかしらね。意外と良い走りを見せるから内心ちょっと焦りましたけど……)

 瑞穂が左後ろを振り返る。しかし、そこにはイグニースの姿が無かった。

 「なっ⁉」
 
 瑞穂が驚いて、右後ろを振り返る。だが、そこにもイグニースの姿は無かった。

 (内にも外にもいない⁉ 一体どこに――⁉)

 「上か!」
 
 瑞穂が見上げると、その頭上には翼をはためかせて羽ばたいたイグニースの姿があった。イグニースはナデシコプリティーの二竜身ほど前に着地する。

 「う、上手くいった! 良いぞ、イグニース!」
 
 炎仁が快哉を叫ぶ。瑞穂が内心舌打ちする。

 (半分素人だと思って油断しましたわ! ドラゴンレースでは左右だけでなく、上下もある! しかし、この土壇場であのジャンプを選択した判断力! 少しでもズレたら反則行為を取られるにも関わらず、絶妙なタイミング! 何より自分たちが怪我するかもしれないという恐怖感を物ともしない度胸! さらになんと言ってもそれらを可能にしたのが、この『人竜一体』となった走り!)

 「よっしゃ! このまま行くぞ! エンジン全開だ!」 

 「甘いですわ!」

 「⁉」
 
 外側からナデシコプリティーが猛然と追い込んできた。競走竜の本能をむき出しにしている。炎仁もイグニースに鞭を何発か入れるが、やや伸びを欠く。

 「!」
 
 二頭がほぼ同時にゴール前を通過する。浅田が叫ぶ。

 「ナ、ナデシコプリティーの勝利!」

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