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弁当の具を見極める人としてのイチロー

2017年の「TVブロス」に掲載されたコラムに加筆修正を加えたものです

 野球を見ない家庭で育ったせいか、私は野球に詳しくない。ルールすらおぼつかない。

 しかしそんな私でもイチローは知っている。伝説的な野球選手としての「イチロー」は、テレビを通じ私の視界にも入ってきているのだ。

 たとえばインタビュー中の逸話である。イチローのすさまじいプロ意識に驚いたレポーターに、なぜそんなに自分を追い込めるのかと聞かれたとき、彼は「僕、いくらもらってると思います?」と答えたという。なるほど、さすがイチローだ。

 しかし僕はイチローの活躍を全く知らない。いくらもらってるのかも知らない。テレビで見た活躍と言えば、古畑任三郎の特別編で腹違いの兄のために人を殺してたな、ということくらいか(腹違いの兄は本当はいないですよね?)。「イチローは投げる人? 打つ人?」と言って笑われたこともある。

 スポーツ全般に詳しくないので「具体的なすごさを知らないがすごい人なんだろうとは思っている人」が各界に何人もいる。これは不思議なことだ。「すごい」は実績から分離可能で、独立したラベルとして機能するのである。

 そういうわけで、イチローについては肝心の野球選手としての実績ではなく、「リゲイン」とか「遠征中のおもしろTシャツ」のような断片的イメージばかりがインプットされている。

 特に強烈に印象に残っている逸話がある。

 いつだったかのテレビがイチローを特集していた。司会者が「イチロー選手は動体視力が凄まじいので、ホームを走り抜ける新幹線の中の、乗客が食べているお弁当の具を当てられるのです」と言っていた。

 それを見て以来、イチローの名を見聞きするだけで新幹線のホームに立って窓を凝視している彼を想像してしまう。どっちかといえば、私にとってイチローは野球選手ではなく「高速で平行移動する弁当の具を見極める人」なのだ。

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