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花は最高のテキスタイル

花は最高のテキスタイルだ。

少し前まで住んでいた自宅は、東京都神奈川市と言っても差し支えないところにあった。近くには、中規模の公園があった。宅地として開発される前から残っているのであろう木々。控えめにつくられたベンチ。どこまでも混じり気のない野球少年たちの声。

先ほど書いたことが頭に浮かんだのは、まっさらな空気を求めて散歩した朝のことだった。よかった、と安堵した。自分の中にそんな感覚がまだ残っていたことに。

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近頃は、すれ違う人がみなSDGsとサステナブルを叫ぶが、私は元来、極めてサステナブルな人間である。中学生の頃に菓子パンを一日6つも7つも食べていたのは極めてサステナブルではないが、それらを包むやけに透明な袋や純白のコンビニ袋を見て、これで地球は汚れないのだろうか?永続できるのだろうか?と考えていた。それ以来、私の生きるテーマの一つに持続可能性があった。

現代で人は、富や名声を求める。持ちきれないほどのモノを所有する。豊かな時代になったはずなのに、不定期に吹く虚しさの風はどうして止むことがないのだろう。求めたはずの完璧にいつまでも追いつかないのは、なぜだろう。私たちが求めている理想郷とやらは、幻想なのだろうか。

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欲は恐ろしい。

どこかで聞いたような表現かもしれないが、欲は無限列車だ。無限列車編だ。いや、欲望の刃 無限列…

話を戻そう。ひと度小さな欲を満たすと、もっと大きな欲を満たしたくなる
。もっと、もっと、もっと。

欲がもたらす渇望と歪んだ多幸感に溺れる毎日。
そしてある日、何度も通り過ぎたはずの近所の公園で気づくのだ。

「私は何を追いかけていたのだろう?」

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完璧は、日常に潜んでいる。

意図された造形としか思えない、雪の結晶。
無造作に配置された、花と葉。
国宝級の職人技、蜘蛛の巣。

その完璧さに気付けないのは、それがあまりにも完璧に日常に溶け込んでいるからだ。

これだけパーフェクトな日常に必要なものは、案外、少ないのかもしれない。