一筆(いっぴつ)

エッセイと現代短歌。記憶を紡いで言語化するのが好きです。

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最近の記事

20年前のチキンカツ。

「チキンカツがいい!」 僕が母にそう送ったのは、「GWの食事リクエストしていいよ」への回答だった。 *** 母は、僕から見れば究極の幸せな人だ。と言っても、ずっとニコニコしているわけではなく、「幸せだなぁ」と口にするわけでもなく。あくまでも自然体として幸せそうなのだ。まさに在るがまま。「いま幸せかどうか」を自己評価していないのだろう。おそらく。 僕が小学生の低学年の頃から、父は単身赴任で全国各地を飛んだ。BtoBのルート営業をしていた父は、いわゆる中間管理職。地方の営

    • 「内なる声を聞く」に潜む罠

      「内なる声に従おう」 「心の声に耳にすませよう」 「直感に正直にいよう」 多くの書籍に書かれている言葉だ。 成功者と言われる人たちも、そう語る。 *** しかし、ここで改めて考えたい。 この「内なる声」「心の声」は誰の声なのだろうか? 当たり前のように、自然とこう答える人が多いはずだ。 「私が本当に望む、私の声である」 家族から直接聞いた声ではない。 友人からLINE通話で聞いた声でもない。 同僚が会議で話していた声でもない。 紛れもなく、私の内側のどこかから

      • 光と闇

        はるか遠い宇宙の彼方の情報を集める時、光は障害になるのだそうだ。 * 明るくなりすぎたとき、見えすぎたとき。 そこから神秘性が失われていくものである。 頭上の真っ黒なキャンバスにたゆたう銀色の粒にどんな意味があるのだろう。どこかに向かうのだろうか。いつまでも答えが出ない問いは1日の終わりに必ずやってきた。 無数のビルに煌々と明かりが灯るまでは。 横一文字にのびる空と海の間の先に、どんな世界が待っているのだろう。いや、何も待っていないのかもしれない。期待と恐れが交互に

        • 産まれてからこれまでのロードムービーは胸にしまい込んでおこう。

          「プラス5,500円で30カット追加できます」 撮影を終えた後、流れるように待合室に通される。 丸ごとフォトスタジオに仕立てた一軒家は、最寄駅という最寄駅がないほどの住宅街にひっそりと佇む。危うく通り過ぎそうになるほどだ。 一階が撮影エリア。 どこまでもシンプルな空間に、たっぷりの自然光。 ひんやりとしたコンクリートの床は、和らぐ空気をほんの少しだけピンと張り詰め、非日常であることをさりげなく伝えてきてニクい。 * 娘の誕生祝いにと、友人たちが撮影チケットを贈ってく

        20年前のチキンカツ。

          『モノクロ』(短編)

          「銀というより、モノクロじゃん」 真顔を装う彼女の目に宿る寂しさを、僕は見逃さなかった。いや、本当は見逃したかったのだけど。 僕は、そのまま口をつぐみ前を向くことしかできなかった。 * 初めて会った日の彼女も、同じような横顔をしていた。 冬山の渓流のように澄んだ瞳。キュッと結んだ控えめな唇。これを一目惚れと呼ぶんだ。バカ正直な直感が、僕に言った。 あれから、三度の冬を共にした。 永久凍土とも思えた彼女の心が雪解けしたのは、二度目の冬だ。そこからの日々は春そのもの

          『モノクロ』(短編)

          花は最高のテキスタイル

          花は最高のテキスタイルだ。 少し前まで住んでいた自宅は、東京都神奈川市と言っても差し支えないところにあった。近くには、中規模の公園があった。宅地として開発される前から残っているのであろう木々。控えめにつくられたベンチ。どこまでも混じり気のない野球少年たちの声。 先ほど書いたことが頭に浮かんだのは、まっさらな空気を求めて散歩した朝のことだった。よかった、と安堵した。自分の中にそんな感覚がまだ残っていたことに。 *** 近頃は、すれ違う人がみなSDGsとサステナブルを叫ぶ

          花は最高のテキスタイル

          広い世界に出たい

          ドイツは私にとって特別な国だ。 空港に降り立つ度に「ただいま」とつぶやき、街を巡る度に懐かしくて胸がキュッと締まる。 初めてこの地を踏んだのは、18歳か19歳か。とにかく若かったのは確かだ。学生らしい遊びに明け暮れるでもなく、授業以外は図書館に通い詰めてドイツ語に没頭した。 「英語では勝てない」 そう思って始めたのがこの国の言語だ。勝てれば、留学での座を得られれば、何語でもよかった。縁に導かれただけあり私の肌に合ったのか、大学2年次の秋に、交換留学の席を勝ち取った。

          広い世界に出たい

          預かりもの

          かわいい。尊い。愛らしい。 授かった命を表現するには、どれも、どこか物足りない。 物足りない。 その表現も違う気がするのだけれど。 「自分の子は何歳になってもかわいいよ」 友人たちからも、諸先輩方からも聞いた。 きっと、月9でも何度か聞いた台詞だ。 *** 子を「授かる」と言うが、心の隅っこかどこかで「とはいえ、大人が主体的につくるものでしょ」とも思っていた。 妻子の退院後、数日経っても実感がない。驚くほど、ない。 男は自分が出産していないからでしょ。いや、違う

          『太陽と錨』

          「まだ、間に合うだろうか?」 寝ぼけ眼のシューズに気遣うことなく、駆けていく。 ランニングの習慣は、昨年どころか一昨年に置いてきた。 脚に負担がかからない程度の急ぎ脚。 キンと冷えた空気を吸い込み息を吹き返す心臓。 やけに冴え渡る思考。 いつでも心は答えを知っているものだ。 きっと、間に合う。 *** 潮の香りがする。 中学の長距離走大会を思い出すのは偶然ではない。 その場所に近づいているのだから。 肺が中から押し広げられるような感覚。 呼吸が乱れてから、登り

          『完璧』

          「ほんっと、完璧だよね。」 「んー、なにが?」 彼が何のことを言っているかわかっているはずの私は、敢えてぼんやりと答える。 冬は嫌いだ。 寒さに滅法弱い私は、どうしても籠りがちになる。 コタツでミカンなんて食べた日には、その罪深さに辟易する。 そんな私を尻目に雪見だいふくを頬張る彼をじっと見て、気楽なもんだよ、と思う。 「え、なになに?」 まずい、無意識に口に出ていたらしい。 *** 私は自覚している。何かと完璧を求めすぎることを。 自分にはもちろん、人にも、

          右耳だけのイヤホン。

          もうここ3〜4年も愛用していたイヤホンが使えなくなった。 ある日、Netflixで「ブラック・ミラー:バンダースナッチ」を見ようとノートパソコンにイヤホンを繋いで左耳に着けてみる。あれ、繋がらない。 音量設定か何かに問題? いや、実はその翌日に右耳は聞こえることに気づく。 そうか、あのときか…イヤホンを盛大に椅子に引っ掛けたことを思い出す。 そう、僕が持っていたのは有線のイヤホン。世は完全ワイヤレス全盛の時代だが、そこで敢えての有線。 そんな折に、スマホを変えた。

          右耳だけのイヤホン。

          あたらない未来予測と、あてのない未来創造

          「3年前の自分が、今の自分を想像できただろうか?」 これに堂々と「はい」と答えられる人は滅多にいない。 少なくとも僕自身もその経験はない。 ビジネス書だったか歴史書だったか定かじゃないけど、誰かが「未来予測はできない」と断言していた。そこには確か、「サブプライムローン問題が起きたときですら、各国政府や国際通貨基金(IMF)は一定の楽観的な未来予測があった」といったことが書かれていた。 最高峰の知と膨大な経験則が結集しても当たらない未来予測なんて、どれだけの個人ができる

          あたらない未来予測と、あてのない未来創造

          愛想笑い

          その場の雰囲気で笑うことをやめた。 「ハハハ」 「…」 ある日、何の日だったか、何の集まりか。そんな細かいことは記憶にないけれど、新鮮な違和感を覚えた。 僕は今、何に笑っているんだろう? 会議の雑談で。 同僚とのランチの場で。 友達との飲み会の場で。 僕は何に笑っているんだろう? 実は、何も面白いことなんてないのに、空っぽの笑顔とカラカラに乾いた笑い声で取り繕っていた。 僕が取り繕っていたものは何だろう? グレースーツに馴染むカメレオン。 飲み会の場に

          僕はひっそりと、電車の席取り合戦から身を引くことにした。

          プシューっと電車のドアが開いて行く。 中からは「冷蔵庫のような」としか例えようのないひんやりとした風が流れてくる。冷蔵庫に吸い寄せられるように、車内に入る。 車内は満席で、それなりに立っている人たちもいる。ちょっとマシになり始めた通勤電車、という感じだ。 前日の疲れが残っていそうなお姉さん。 勤続40年(と思われる)スーツのおじさん。 シャカシャカと、ヘッドホンから自分だけの世界を垂れ流し続けるお兄さん。 友達と連れ添う、行儀の良さそうな私立小学生。 いろんな人が、僕

          僕はひっそりと、電車の席取り合戦から身を引くことにした。

          見知らぬ誰かと話すことで、優しい世界をつくる。

          みんな、余裕がない。 僕はそれを、余白がないと呼ぶようになった。 正直、余裕でも余白でもどっちでもいいんだけど、僕には、現代の1分1秒を争う現代の人が、びっしりと鉛筆で描き殴って真っ黒になったノートやキャンバスのように見える。 だからそれを、”余白がない”と呼ぶ。 もっと、そこに余白があれば。 僕たちは家族や友達や同僚に愛情や優しさのようなものを携えて、接することができる。 今日エスカレーターですれ違ったあの疲れたサラリーマンや、電車で出会ったベビーカーを押した女

          見知らぬ誰かと話すことで、優しい世界をつくる。

          空港、心の湿度。

          誰しも、心が踊る場所があるのではないか。 理由はわからないけど、とにかく無性にワクワクしてしまう。 ドーパミンかエンドルフィンかよくわからないけど、何かしらの脳内物質がドパー!っと大放出してるような。 僕にとって、空港は、そんな場所の一つだ。 *** どんな空港でも高揚感があるかというと、そうでもない。 国内線フロアではなく、国際線フロア。 羽田空港ではなく、成田空港。 ニース空港ではなく、フランクフルト空港。 どうやら、各国を代表する国際空港の、国際線フロアが

          空港、心の湿度。