正義や評価なんて所詮曖昧
皆、それぞれ自分の正義を振りかざして生きているよね
揉め事が起きた時は、大体お互いの正義を譲らない、歩み寄らないから起こる
冬季オリンピック
平野歩夢選手の決勝2回目の審査員もそう
高梨選手のスーツ規定違反の検定員もそう
竹内選手の審判もそう
皆、それぞれが自分の正義のもと、裁いたと思う
アジア人が嫌い?
自国の選手にメダルを?
忖度?
なんだか知らないけれど、正義はその都度変わる
だから明確な基準がないと点数は審査員頼りになるが、厳密にしすぎると、それなら人間ではなくプログラミングされたAIがやればいい
ただ、そうなると恐らくはちゃめちゃにつまらなくなると私は思う
だから、人間がそのままやればいい
それを含めて、その競技だと思う
ただし、説明を求めた時には、しっかり説明責任を果たして欲しい
その正義を変えさせた平野歩夢選手の3回目はめちゃくちゃにカッコよかった
審査員全員が『すみませんでした!』となった感じがする
私達、一般ピーポーの生活でも同じような事は起きる
職場での評価
学校での評価
習い事での評価
色々あるが
そんな物は見る人が変われば評価も変わる
自分の意図した評価をされない事の方が多い
それを覆そうと一生懸命行動する事はとても大切な事だと思う
だが
所詮、評価してる奴も同じ人間だ
少しばかり長く生きてたりもするが
所詮、同じ人間
自分がやれるだけやって評価が変わらなければ、気にする事なく、場所を変えよう
平野歩夢選手は、評価を変えれたけれど
悲しいかな、変わらない事もある
その時は速やかに次のステージへ
きっと貴方を評価してくれる人はいるし
そうなると評価なんてどうでも良くなる
気にする必要がない
なんせ曖昧だから
髙田
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