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「ゴキブリが、ピカチュウなら良いのか問題」を君は知っているかね?【見た目と、擬人化と、大虐殺が一緒になって分からなる話】

 「ゴキブリが、ピカチュウなら良いのか問題」を君は知っているかね?

 知らんかね? そこのお若い方、知らんか? まぁ知らんのも無理はない。なぜなら、ワシが昔から脳内で思っていることだからのう。

 この問題は書いて字の如く、ゴキブリの姿がピカチュウならオッケーなのか? サトシのようにそのゴキブリピカチュー(以下:ゴキチュー)を可愛がれんのか? というポケモンファンはおろか、全人類の固定概念を破壊しかねない、恐ろしい議題なのじゃ。もうこの辺で面倒臭いので、じじい口調は終わらせてもらうがのう。ウッヒャッヒャッ!

 いや、もう7月じゃないですか、皆さん。
 気づけば2023年も早くも折り返して夏到来。つまりGの季節ですよ。G。今朝から福岡ではセミの鳴き声も聴こえてまいりまして、本格的な虫の季節、虫の時代、虫の夜明けドーン・オブ・ザ・インセクトの到来です。

 で、いろんな虫が目の見えるところに現れてくるわけですけど、その中でも最も嫌われているのが、断然Gですよね。

 あらゆるところにいつの間にか「ギャーーーッ!いる!」という神出鬼没さ、殺虫剤も徐々に克服してしまう免疫力とタフさ、あらゆる生物の中でも最も長く存在している種族=G。

 でもってそのGがですよ。あのビジュアルだからこそ嫌われているのではないか? という永遠の哲学的問題が、今回取り上げる「ゴキブリが、ピカチュウなら良いのか問題」なのであります。

 いきなり結論ですが、僕は全然オッケーじゃないと思います。

 おそらくGの姿、形が、ピカチューのような可愛いスタイルのゴキチューだとしても、我々人類が抱くGへの嫌悪感は全くそのままであり、ゴキチューをいかに効率よく殺し、居住空間から除外し、遠ざけるのかを、人類は懸命に試行錯誤すると思います。

 これには条件があるのですが、当然Gは長い年月を経てあの姿、色、形態に進化してきました。
 それは生存確率を上昇させる合理性を追求した結果であるわけで、条件として、Gが突如としてピカチュー的なビジュアル(今のトレンドだと『ちいかわ』とか?)へトランスフォームしたりする状態は考慮しません!

 しかし、その進化の前提を強引に無視して、仮に長い年月を経てピカチューのような姿でいるとしましょう。ですが、その世界線では長年人類に記憶されたGのヴィジュアルイメージは、ピカチュー=ゴキチューなのであり、今の我々が持つGへ抱く嫌悪感込みのイメージがそのままゴキチューへと移行されるはずだと思います。

 無数の大群で野生動物や発見された遺体に群がる姿、汚らしい下水道やゴミの山を這う光景、その存在が見えるだけで、その空間が汚らわしく思え、またどこから現れるか分からない恐怖。その全てのイメージが、ゴキチューへと移行するわけです。

 よってピカチュー的な丸みを帯びた可愛いキャラクターは、その世界では可愛い対象ではなく、全てゴキチュー的なのであり、即ち全ての人類からの嫌悪の的になることかと予想します(その世界線での可愛いの定義は変わっているでしょうし、可愛いという概念があるかも定かではありませんが、ここでは深く考えません)。

 昔、何かのWeb媒体で見た漫画の話で、貧乏な親子が裏路地の残飯なんかを漁って暮らしていて、それはそれは読む者の同情と悲哀を誘う描写でした。
 しかしその親子が巨人に叩き潰されて殺される展開になり、それを巨人側からの視点へ移行すると、殺された親子は実はGでした的な内容でした。

 まぁ読んでると何となくそうだろうなとも思えたし、立場を変えて正義だとか悪だとかの思考逆転が成される話なんて腐るほどあるのですが、このお話にいくらか感動したとしても、やはり部屋にGが出てくるのはイヤだし、出てきた場合には、それはもう仕方がないことです。

 ここで会ったが百年目。侍が鞘から刀を抜いたら、そう簡単には納められないように、おぬしの姿を見、存在を知った以上、ここから生きて帰すわけにはいかぬ! というわけで、そこから血で血を洗う命のやり取りが起きるわけです(あくまで僕の場合)。

 このようにビジュアルイメージに対する嫌悪感ってのは、どこか人間の中の根本的な何かを刺激して、急激に感情を揺さぶる作用があるように思います。

 それが例え、我々が今が可愛いとしている、丸みを帯びた体形でも、その歴史や過程が変わっていると、価値観そのものにも変容が起こるに違いないはずです。

 昔のゴジラ映画で『ゴジラ対ガイガン』ってのがあって、サイボーグ怪獣ガイガンを操って地球を侵略しようとする、見た目は完全に日本のオッサンというM宇宙ハンター星雲人ってのがいるんですが、こいつらの正体が、知性を持った巨大Gなんですけど、やっぱり姿は人間であっても、巨大なGだと分かれば話は別というか、逆に巨大Gだと分かれば、地球侵略に来てるんだし、まぁ心置きなく「れる!」って感じなんですよね。

 いや、でもそれ以上にあからさまに見た目が醜い『第9地区』のエビ宇宙人には感情移入するし、むしろ人間への嫌悪を抱く映画になってて、状況としてはさっき上で書いたG親子の擬人化漫画と同じなんだよなぁ。

 何より人類は、西洋社会の中でアフリカ人や新大陸の原住民を、奴隷として普通に動物扱いできてたわけだし、20世紀に入ってもなおヒトラーだとか、スターリンだとかが、リアルな人間をあらゆる理由付けで人間扱いしないことが、かなり大規模にこなせたんだから、だんだん分からなくなってきたぞ……。

 何だか妙な思考のスパイラルに入りそうだし、書くのがしんどくなってきたので、急ですがここで今日は終わります!

 何というか、取り留めのない内容になったし、久々に書いたnoteがこんな感じで申し訳ないのですが(じゃあ、どんなのなら申し訳なくないのかもよく分からんですけど)、とりあえず7月一発目更新できましたとさ。めでたしめでたし!

 最近、こんなに更新が遅めであっても、ちらほら記事を読んで下さる方も、フォローして下さる方もいらっしゃって本当にありがたい限りです!

 noteの筆は無精気味ですが、代わりに文芸賞向けの執筆は、ぐんぐん進んでますので「知らせがないのは良い知らせ」てな感じで、皆様、思っておいてください。

 いやいや、そこに甘えたくもない気持ちも勿論ありますけど……。

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