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『ダブドリ Vol.2』 インタビュー01 田口成浩(秋田ノーザンハピネッツ)

2018年3月15日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.2』(ダブドリ:旧旺史社)より、田口成浩選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行当時のものです。

熾烈なB1残留争いの末、B2で2017-18シーズンを迎えた秋田ノーザンハピネッツ。アーリーエントリーから継続して秋田に在籍する田口選手が、キャプテンとしての思いを語ります。

ブースターの方々とかスタッフの皆さんと一緒に1部に上がって、結果残してやりたいなと思ったので、この1年は「もう俺は逃げない」っていうことにしました。

大柴 本日は表紙と巻頭インタビューということで、田口選手、よろしくお願いします。
田口 お願いします。
大柴 実は今回、オファーを出そうと思ったきっかけがあります。僕の知り合いで、秋田ブースターの方がいらっしゃるんです。
田口 そうなんですか?
大柴 その人にちょっと茶化した感じで「安藤(誓哉。現アルバルク東京)さんいなくなっちゃったじゃん。大丈夫なの?」みたいなことをオフに言ったら「うちはシゲ(田口選手の愛称)がいれば、全然大丈夫ですよ」みたいなことを言っていたんですよ。「これ、かっけえな」と思いました。それでオファー出すことにしたんですよ。
田口 お~、その方に感謝ですね。
大柴 そうですね。正直なところ、チーム名とかはもちろん言えないと思うんですけど、このオフの間にオファーとかありましたか?
田口 ありましたね。
大柴 でも、割とすぐ残留を決断されたようですが、その理由を聞かせてください。
田口 もちろん契約のこともありましたけど、やっぱり、屈辱的な負け方というか、ある意味どん底に落ちたような負け方でしたからね。しかも秋田のホームで大声援の中、信じられないことだったので。実際本当に、4日間ぐらいもう家に閉じこもっていたぐらい、立ち直れなくて……。
大柴 そうだったんですね。
田口 多分、人生の中で一番落ちた瞬間だったかもしれないですね。あの1週間は本当にひどかったです。でも、今まで僕を成長させてくれたのがブースターの方々とかスタッフの皆さんなので、やっぱりもう一回、一緒に1部へ上がって、一緒に喜んで恩返しをしたいというか、結果を残したいなと思ったので、1年でチームを変わることは何も考えられなかったです。これからどうなるかは分かりませんが、この1年は「もう俺は絶対に逃げない」っていうことにしました。
大柴 実際、今はそれに向かって着々とリーグ首位で進んでいますね。手応えとしてはどうですか?
田口 今のところ、結果は出ていると思いますし、ヘッドコーチ(ジョゼップ・クラロス・カナルス)の下、チームがひとつになりながらやっていると思います。それと同時にブースターがすごいので、それが良い結果につながっているのかな、と思いました。
大柴 田口選手は今、ファンと相思相愛的な関係を築けていますよね。
田口 そうだと思います。
大柴 チームとしても、ファンととてもいい関係を築けているな、と思うんですけど、特に田口選手の愛され具合はなかなかのものですよね。今日は田口選手がどのようにして秋田ノーザンハピネッツのフランチャイズプレイヤーになったのかということを、高校時代ぐらいから振り返っていきたいと思います。
田口 はい。
大柴 昨年は日本代表候補にも入った田口さんですが、実は意外にもバスケットボールを始めたのが遅かったとか。
田口 スタートは小学校ですが、本格的に始めたのは高校からですね。
大柴 何がきっかけでバスケットを始められたんですか?
田口 小学校の時には親から、野球を専門的にやりなさいと言われてきました。そういう家庭だったので、将来的に野球をやるのは確実だったんです。でもその当時、野球部には4年生からしか入れなくて。ただ一方で、バスケットはスポーツ少年団といって、部活動ではなかったので、3年から体力を付けるためにやりなさい、というので始めました。4年になってから野球とバスケットを両立しながらやっていたんですけど、メインは野球でした。ただ、まだ本当に下手だったんですけど、バスケットの楽しさは知っていました。でもバスケと練習がかぶったら野球、試合がかぶったら野球っていう感じだったんです。だから中学校でも野球を続けるって決めていました。でも、なかなか結果が残せなかったんです。
大柴 そうなんですか?
田口 最後の引退試合もサードコーチだとか、なかなか試合に出る機会がなかったです。その時は、ほんとに小さくて、小太りだったのもあったかもしれません。
大柴 中学生の頃は何センチぐらいだったんですか?
田口 165センチとか本当にそれぐらいです。で、太ってて、足が遅くて。
大柴 まるで想像がつかないですね。
田口 いや、本当にそうなんです。で、やめてから本当にぐぐっと身長が伸びました。それで太ってたのが、ちょうどいい感じになったんです。高校では野球をやらない、と自分で決めていましたので、もう一回バスケットをやってみようかなって思っていました。
大柴 なるほど。都合よく身長が伸びたんですね。
田口 そうですね。姉が2人いるんですけど、バスケットをやっていたので、バスケットの環境っていうのはずっと自分の中でもありました。家では家族が試合を見たり、テレビで映っていたりしていました。
大柴 その観戦というのは、お姉さんの試合を観戦していたんですか?
田口 見に行ったりしていました。家に『月刊バスケットボール』とかありましたので、それを見たりしていましたね。どういう選手がいるのか、もちろん田臥(勇太。現栃木ブレックス)さんとか、たくさんそういう選手を見ていたんです。それでやってみようっていうのがきっかけで、高校に入って始めました。
大柴 そうなんですね。ちょっと僕、リサーチしてきたんです。野球における憧れの選手は巨人でプレイしていた頃の仁志(敏久)さんだったんですか。
田口 そうなんですよ! 1番、仁志。2番、清水(隆行)。3番、松井(秀喜)。4番、清原(和博)。あの時代がすごい好きでした。野球は、本当今でも大好きなんですけど、仁志さんが特に好きでした。今はもう、見る専門ですけど。
大柴 なるほど。その頃の観戦とか、『月バス(月刊バスケットボール)』とかを読んでいた頃のバスケのアイドルはどなたでしたか?
田口 やっぱり田臥さんとか折茂(武彦。現レバンガ北海道)さんとかです。秋田にたまに試合に来るんです。そういう時は俺もバスケット好きだったので行こうと思って、わーって行ってサインもらったり。バッシュに折茂さんからサインもらった記憶があって。
大柴 それはファンになりますね。
田口 そうですね。しかも折茂さんは今もプレイされていますので。自分の中では、ある意味テレビの中の人だって思っていました。田臥さんもそうです。今の話をしますと、そういった人たちと対戦したり、代表の時にはチームメイトでやったりってなると、本当に最初は夢だと思いましたよ。
大柴 折茂選手だと本当にマッチアップ相手になるわけですよね。
田口 そうです。今でも現役でやってるじゃないですか。もう一番警戒しなきゃいけないくらいの選手なので。
大柴 空けちゃうと、すごい確率で入っちゃいますもんね。
田口 はい。巧さがあるなと思います。
大柴 リサーチ絡みで言うと、田口選手は明るいキャラクターで知られています。それは高校時代からですか?
田口 もう自分は、小学校からこういうキャラで。もう誰にでも土足で踏み込んで。
一同 (笑)。
田口 楽しい雰囲気にさせようとするようなキャラクターでしたね。人見知りもせず。大人になってからちょっとずつ人の性格を見るようになりましたけど。
大柴 何かやっちゃった系、あるんですか?
田口 そうですね。イラッとされたんだな、みたいなことがあるんで。人の顔を見ながら「この人は大丈夫だな」と思ったらこの感じで。そのベースは変えずにやってるんですけどね。
大柴 例えば一番、これやらかしたなーってエピソードはありますか?
田口 入り込み過ぎて、本当に話しかけられなくなるくらいになったっていうようなエピソードが、結構あります。「あぁ、うざがられてんな」というような。顔で分かりましたので。でも、人を喜ばすといいますか、楽しい雰囲気にするのが自分の持ち味かなと思っています。

「おいさー」は、自分なりの何かがあればなと思ったんです。地元のお祭りがあって、その掛け声が「おいさー」っていう掛け声でした。お祭り大好きなんですよ。

大柴 そうですよね。「おいさー」の掛け声もそうですし。
田口 そうですね。
大柴 あれはもちろん、(アントニオ)猪木さんがモチーフですよね。
田口 1、2、3はそうなんですけど、自分なりの何かがあればなと思って始めたものですね。地元のお祭りがあって、その掛け声が「おいさー」っていう掛け声でした。お祭り大好きなんですよ。
大柴 そうですよね。
田口 県内に川原町っていう、川に原っぱの原に町って書いた町内があるんですけど、中学の時にそこのお祭りが好き過ぎて、色々自分でもやったんですよ。当時は野球だったんで坊主じゃないですか。ちょっと伸びた髪をそろえて、川原町っていう文字にしたりとか。
一同 (笑)。
田口 で、お祭り参加して、終わったら全部剃るみたいな。
大西 いますよね。そういうひと。
田口 はい。そういう本気のやつ、いるじゃないですか。
大柴 (デニス・)ロッドマンとかもやっていましたね。
田口 本当に文字を入れていました。それぐらい大好きで。高校の時も大学の時も通うとか。今でも通えるときは、絶対通いますね。3日間あるんですけど、朝方までやるお祭りなんで。本当寝不足でも行きたがるような。それでもう、シーズン頑張ろうっていうモチベーションが上がるんで。
大柴 夜通しですか。どういうお祭りなんですか。
田口 曳山(ひきやま)がありまして。18町内あるんですけど、それがいろいろ目的を持ってぶつかったり、いろいろあって。結構危ないような部分もありますね。けんかとかもありますし。
大柴 道譲れということですか。
田口 そうです。譲らね、譲らねとなって、わーん、ってぶつかるみたいな。
大柴 譲れと。でもそれじゃあ夜ってできないですよね。
田口 夜が本番なんですよ。
大柴 夜、それやっているんですか? 危ないですね。
田口 夜中の12時とか1時。でも、最近はもうけんかとかあって時間制限みたいになってて。この日は、2時、3時、4時みたいな。結果帰るのは、もう朝方6時とか。
大柴 ふらふらしながらなんですね。翌日はいつ始まるんですか?
田口 例えば7日の日に朝の5時に帰ってきたら、次のもう9時とか。
一同 はええ!(笑)
田口 ほとんどもう寝ないんですよ。
大西 めっちゃハードですね。
田口 町内が近かったらすごくいいと思いますけど、自分はちょっと遠いんで、必ずもう朝方っすね。朝になってから帰って、3時間寝て、という感じです。
大柴 その好き過ぎというエピソードで聞かせてください。高校時代、人一倍練習熱心だったのに、お祭りの時は部活を休んでいたっていう情報が入ってきたんですけど、それは事実ですか?
田口 いや、さすがに休んではないと思うんですけど……。
大柴 休んではいないんですか?
田口 本当に通いたかったので、いつもする自主練とかをなくしたっていう記憶はあります。朝帰ってくるから、朝練も行けないので。普通のチーム練習には出て、自分の練習を回避してしまうっていう。
大柴 なるほど。
田口 お祭りだけですでに寝不足なんですが、練習でも精いっぱいやってしまうんです。だから、授業中は必ず寝ていたと思います。次の日また行かなきゃいけないですし。
大柴 そのお祭りは平日ですか?
田口 毎年9月7、8、9日なんですよ。
大柴 決まっているんですね、日にちが。
田口 平日だと最悪なんですよ、そういうときって。
大柴 そりゃそうですよね(笑)。そういうお祭りがお好きなこともあってか、これ、高校時代のチームメイトって方が、僕の知り合いの知り合いでいまして。
田口 えっ?
大柴 ちょっと名前は存じ上げないんですけど。基本、神頼みだったと聞きました。「ちゃんとやらないと罰が当たる」が口癖だったって聞いたんですけど。
田口 そうだ! でも誰だろう……。
一同 (笑)。
田口 本当に言ってましたね。すげえうれしいけど。初めてお会いしたのに。
大西 怖い。誰か分かんないから。
田口 怖いな。誰だ、それ。
大西 すごいリサーチ力。
田口 本当、そうですよ。どんな時も。外ランとか言って、結構つらいんですよ。練習はバレーとバスケの時間を振り分けて、何曜日は何時からって。
大柴 体育館を使うわけですね。
田口 はい。だから使えないときは外で走ったりするんですけど、大体コーチとか来ないじゃないですか。そんなときは、みんなで外を走るんで、隠れる所あるんで隠れたりするわけですよ。僕はもう、そういうのが大っ嫌いだったんで、絶対一番に走ってましたね。いつでもそういうふうにしてて。そうやっとかないと、絶対罰が当たるっていうのを、多分言ってたと思います。
大柴 そういう言葉はチームメイトに言っていたんですか。
田口 罰当たるぞっていうのは言ってましたね。
大柴 でも、その高校時代ってまさかキャプテンとかではないですよね。高校から始めたわけですから。
田口 副キャプテンですかね。
大柴 え?  副キャプテンをやられていたんですか? すごいですね。
田口 何もしなかったですけど。
大柴 でもやっているうちに、「野球より俺、バスケのほうがいけてんじゃん」みたいになってくるわけですよね。
田口 そうです。試合に出て、勝てるようになって、大会でも決勝とか行けていましたからね。地元は角館って、ここから1時間ぐらい離れてる所なんですけど。
大柴 通過してまいりました、本日。
田口 ありがとうございます。自分、高校が離れてるので、地元のもともとバスケやってた人たちがいる角館高校とかと当たるときがあるんです。僕、明桜高校って出身なんですけど、なぜか1回戦で絶対当たるんですよ。もう運命だなと思って。全部勝ったんですけど、彼らからすれば、僕は野球部だっていうのを知ってて、「あいつ確かもともと野球やってたよな?」みたいな。それで「バスケやってんじゃんか」となっていましたね。
大柴 野球部の小太りのやつが、急に背は伸びてるし、みたいな。
田口 そう。で、勝つじゃないですか。僕はもう、「見たか」っていう感じです。その時はドヤ顔してましたね。「どうだ」っていう感じでやってたと思います。

田口成浩締め用

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この後も、プロになるまでの意外な経緯や富樫勇樹選手とのエピソード、秋田への愛を熱く語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

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