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祖父、ネタバレ

昔から、祖父のネタバレがひどいです。

普段は祖母と2人暮らしの祖父。なかなか集まりにくい家族が皆で集まった時、祖父を中心にわいわい食卓を囲むことがあります。映画関係の仕事をしている叔母の最新オススメ映画レビューが食卓に彩を添えるのですが、そんな時に発動されるのが祖父のコレ。

「あの映画はね、あれだよね、あのー、よく最後に〇〇が×××したなぁと感心するんだよね」

「僕は最後がちょっと分からなくてね、一体なんで△△は最後に⭐︎⭐︎⭐︎...」

観てない人の方が多い場合がほとんどなので、食卓は一家団欒の風景からムンクの『叫び』の模写大会の様相に転じます。「言わないでよ!!!」「わーー!!わーーー!!」「ほらまたぁぁ」...

最近では映画を2倍速で観る現象が話題になっているそうで。お話=コンテンツを限られた時間の中で誰かと共有したい、そんな「会話のための」映画鑑賞の姿がそこにはあるのではと感じます。アーレントという社会学者・哲学者だったと思うのですが、「チェスのためにチェスをする」という言葉を残しています。何かの目的に沿って行動するのではなく、ただ純粋にその行為を楽しむ、没頭する。何かのための映画鑑賞ではなく、ただ「映画のために映画を観る」。そうやって映画を観てきた祖父にとって、ネタバレはさほど大きな罪ではないのかも知れません。いや、僕は全然イヤだけど。

毎回祖父のネタバレを叱責するのは祖母の役目。ピシリと祖父の手の甲を叩く祖母と照れ臭そうに笑う祖父の姿を目にすると、ムンクの習作と化していたさっきまでの自分の感情がしゅるると萎んでなぜか一緒に笑ってしまいます。

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