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「へんしんっ!」

 きょうは年に一度の健康診断。秋葉原のクリニックに14時半となっている。朝からなにも食べてはいけないというのは、かなりの苦役だ。昨日の晩は、その分もとたらふく食べたが、朝になるとしっかり減っている。まぎらわすためにも映画でも観ようと、まえから気になっていた「へんしんっ!」にもぐりこむ。

 立教大学新座キャンパスがメインの舞台。はからずもの学生映画だった。そこから映像学科非常勤講師としての、また別の視点がむくむくとでて、映るもののひとつひとつをたいへん興味深く観た。
 やっぱり大学っていいなあというのが、素直な感想だ。立教大学が取り組んでいる学びの場、表現の場としての環境作りに強い関心を抱いた。
 そういえばぼくが学生だった1980年代、「映画」を正規の科目として設けていたのは、立教と東大駒場だった。ニューアカデミズムの一翼を牽引していた蓮實重彦の授業を受けたくて、ずいぶん「もぐり」がいたという。実際ぼくの友人たちも立教に忍び込んで「映画」を受講していた。

 それから40年が経とうとしている。大学という「場所」のありかたも、求められるものもだいぶん変わったことだろう。それでも「へんしんっ!」に映っていた立教はすごく魅力的だった。かつて自分が体感した、大学という特殊な「場所」の、懐かしい匂いがしたようだった。

大学は就職斡旋所ではない。
肩書きライセンスの発行所ではない。
学生はお客さんじゃない。
文部科学省の出先機関じゃない。
と、そう思いたい。

 自由で、多様で、対等で、自立した、学びとぶつかり合いと共生を、つかの間実現する、かけがえのない「場所」であってほしい。そこでだれかと会って、たくさん議論して、一緒になにかを作ることができる、そんなパラダイスのような「場所」にしないと。そしてそれをたくさんの努力と善意で守っていかないといけないと思う。
 身も蓋もない、実学一辺倒のこんな世の中だからこそ、普遍性という怪物とまっこうから向き合う「場」としての大学のありようは、いまもこれからも、どうしても必要なのである。
「へんしんっ!」を観たら、あっ立教っていいなって思うのではなかろうか。なんか思いがけず、いろいろなことを考えさせてくれる映画だった。


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