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そこはかとない圧力

 小雨模様の30日の午後、ぼくは都内の某撮影スタジオにいました。国会前デモに向かった何人かの友人に実況を頼んでいたので、携帯やらiPadやらをチェックしながら、そわそわした仕事ぶりでした。
 まさにその時間まで、あの国会前が一体どうなるのか、ほんとうに予想がつきませんでした。しかも悪天候だし、蓋を開けてみたら空振りだったなんてことになりはしないかと思ったりもしました。だからこそ正面に続くあの車道が開放され、国会前にひとがあふれたと聞いたときは心底うれしくて、思わず声を上げてしまいました。そしてあの空撮写真。この8・30を経験したことで、ぼくたちの民主主義は、確実にひとつステージレベルを上げたのだと思います。

 ただそれと同時に、喜んでばかりもいられない状況が起こっているのも感じずにはいられませんでした。政権の側は、これまでの一連の運動で確実に追い込まれています。それを自覚しているからこそなのでしょうが、いままで見えなかったもの、これをなんと形容したらいいのかまだわかりかねていますが、つかみどころのない「気配」がたちこめだしたように思うのです。
 官房長官がへんなコメントをだしたり、在特会みたいなひとたちが安保法案賛成のデモをしたり、橋下市長が露骨に安倍の後方支援をかってでる素振りを示したりとか、そういった「目に見える」反動勢力の動きだけではなく、もっとたちの悪いといいますか、気持ちの悪い柔らかな圧力を感じるのです。
 それはすぐ隣のひとや、知り合いや同僚、身内、はては自分の身体から発せられています。決して権力が押し付けてくる、強引な外圧ではなく、内側からじわっとでてくる、そんな類の圧力なのです。自主的な規制といってもいいと思います。


 30日のデモの成功は、ある意味で、一線を越えてしまった。そこで空気がガラッと変わったのです。そして、その変わりかたには、二つの方向性があったように思います。
 ひとつはさきほども言いましたけど、民主主義のあらたなる地平を体感するという、民主主義が一歩前にすすんだことで感じる空気です。これは確実にこれからの政治や運動や生活のなかに、いままでとは違った「わたし」を意識し、そして「わたしの力」を信じる自信をもたらしたことでしょう。
 もうひとつは、一線を越えたことで、やはりいままでシンパシーを感じ、意識や意見を共有していたと思われるひとたちのなかで、その少なくない割合のひとたちが、一斉に眉をひそめたことで感じる空気なのです。
 つまり「これ以上はやってはいけない」と、「いいかげんにしておいたほうがいい」と、そう言い出し始めることでたちこめる規制の雰囲気といってもいいと思います。
 なんとなくリベラルなポーズでここまできたのだけど、そのなかにはあくまでポーズだったひとも数多くいたわけで、ことの成り行きがいよいよ真剣味なり、真実味を帯び、実現可能性が見えてきたところで、「おいおい話がちがうよ」とばかりに尻尾を巻いて逃げ出している。
 そして単に逃げ出すだけでなく、運動との無関係を決め込み、ひどい場合は、草の根の反動勢力となっていきます。内閣の支持率がここにきてまた上がりだしたのには、こういった背景があるように思います。

 「もうやめなよ」「こっちまで同類と思われるのは迷惑なんだよ」「会社に面倒かけるな」「立場をわきまえろ」「就職に不利になるぞ」。
 そんな声があちこちから聞こえはじめています。実はこういったすぐ近くからのそこはかとない圧力が、運動を推進していこうとするもの、自分の意見を発していこうとするものには、一番こたえるだろうと思います。

 ぼくはもともと政治的でもなんでもないし、むしろそういうことは好きじゃない。けれどもなにかものが言えなくなる、言わなくなる、言えなくするという風潮には、非常に困惑するし、憤りを感じます。安保法案もこわいけど、そういった自主規制や同調圧力も、同じくらいにこわいと感じています。
 みな自分の日々の暮らしが一番なのです。それはあたりまえのことです。それを脅かされるのは困るわけです。ことばをかえればそれだけ守られればいい。アメリカを敵に回したり、自民党政権を倒したり、大企業とか経団連を攻撃したりしてもらっては困る、経済が止まってしまってはいけない、というのが本当のところでしょう。だって仕事がなくなってしまうから。
 この「仕事がなくなる」という恐怖は、バブル崩壊以降、思いの外多くのサラリーマンや事業者に浸透していて、彼らは潜在的に、自民党が倒れると「仕事がなくなる」という強迫観念を植えつけられているように思います。

 所詮、反対運動なんて、やってもたかがしれている。結論はすでに用意されていて、最後はちゃんと決まったところに落ち着くのだからと、実におおくのひとが、諦観まじりに、腹のなかで思っていたのではないでしょうか。
 しかし、30日の大規模なデモが目に見えるカタチとなって、いざほんとうに安倍政権や安保法制がまずいぞってことになると、ガラッとかわって、手のひらをかえすひともでてきます。これがいまの政権を影ながら、消極的に支えているように思います。そして、そういったひとたちが、そこはかとなく発する「いやな空気」が、これからどんどんと蔓延していくのではないかと危惧しています。

 なんか薄暗がりから、ぼんやりと正体が見えたようで、とても興味深く感じています。安保法制は、これから参議院で山場を迎え、スケジュール通りであれば、9月なかばには採決があります。もうひと波乱あるでしょう。
 そして、それだけでなくオリンピックのゴタゴタ、原発問題、TPP、辺野古の基地問題などなど。民主主義力をレベルアップした市民の運動と、権力が仕掛けるであろう目にみえる押さえ込みや、その後ろにいる「すぐ隣のひと」のそこはかとない同調圧力、それらがぶつかりあう機会がしばしばやってきます。
 果たしてどうなるものかと、へんなところで好奇心を膨らませながら、事の成り行きを注視していきたいと思っています。

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