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第十章の97◎貧富の差に関係が無い武士道精神

 日本人の心の拠り所とは、いったい何でしょう?
私は、日本人の心の拠り所は「武士道精神」と「平和主義」であり、資本主義社会と共産主義社会と比較した場合には、「勤労平和主義」だと信じています。
 勤労主義とは、清貧の思想の事でもあり「真面目にコツコツと働いて自分の労働力で富を稼ぎ出す」労働者が主体であり、日本人には当たり前の考え方なのです。
 一方で資本主義とは、「社会に資本(貨幣)を投下し、投下した貨幣を社会で運用し、より大きな利益を伴って回収する仕組み」ですから、「お金が勝手に富を稼ぎ出す」マネーゲームのような仕組みの事であり、主体は資本家にあり、労働者は使われる側の単なる駒に過ぎないのです。
 そしてもう一つの共産主義とは、「生産手段を企業などの私的所有から社会的所有を目指す思想、もしくは、それに基づくソ連や中国などの社会体制の事」です。
ですから、資本も労働力も利益も、全て共有しようという仕組みの事なのです。
 真面目な勤労主義と比べて、現実の資本主義や共産主義では正直者がバカを見てしまい、インチキする奴らが富を得るケースが当然の様に起こってしまっています。
やはり、何事もフェアープレイでなければ、不公平や不満が生じるのが当たり前のことなのです。
 日本人にとって、真面目にコツコツ働く事は、当たり前であり、そして非常に大切で重要な事なのです。
ですから「蟻とキリギリス」「ウサギと亀」のような童話が良い話や教訓として伝承され、日本人の価値観として定着しているのです。 
ところが、海外ではそうではありません。
たとえば、中国や韓国等の儒教を重んじる国では、頭が良い人間は労働をしない、労働軽視の思想があるのです。
また欧米では、残業はしません。宗教上の安息日が有り週末はゆっくり休む、夏休みを長く取り家族とゆっくり過ごす事が労働よりも優先される重要な生活行事であり、休みを取らない日本人をバカにして、「エコノミックアニマル」等の軽蔑を込めた見方をしているのです。
日本では、国内市場の競争が激しい為に、「休みたくても休めない」というのが現実なのだと考えますが、労働に対する考え方が、日本と世界では全く違う事が結果に表れて来ているのです。
 そして、平和主義について聖徳太子は、十七条の憲法で我々日本人に「和を以て尊しとなす」という貴重な教えを授けてくれたのですが、これからは日本国内だけでは無く、日本人が和の「ヴィジョン」を世界中に広げて行く使命があるのです。
そして、日本国内だけの和に留めておくだけでは無く、この力を世界中に横展開しなければならないのです。
つまりは、世界中とつながる輪となって行って欲しいのです。
まさに「世界に広げよう友達の輪!」を期待したいものなのです。
和と言うのは、エネルギーの絡み合いの事であり、英語ではTWINKの事なのです。もしも、エネルギーの絡み合いが目で見えるとしたならば、おそらくは相撲の横綱がつける横綱や出雲大社の本殿に飾られているような綱の姿をしているのではないでしょうか?
そのような期待も込めて、21世紀は「エネルギーの輪を以て尊しとなす」時代となって貰いたいものなのです。

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