10月16日(土)子供の連れ去り#225日目

今日で子供たちが連れ去られて225日目です。

そして8ヶ月が経ち、本日初めて第三者機関を通して一時間ほど子供達に会えました。やっとです。。

最初、対面するなり長女は笑顔になってくれて、長男は少し怒ってるように下向いてましたが、数秒後には笑顔で一緒に遊んでくれました。

第三者機関を通してなので付き添い人が2人いて、長女もチラチラ様子見ながらでしたので、オドオドしい感じではありました。

昔は子供達は会うなり走って抱きついてきてましたが、すでに8ヶ月も経っているのと、知らない人2人いたので仕方ないですね。

今日は長女はおままごと、長男は車で遊んでいて、昔部屋で遊んでいた時とそれほど変わらない懐かしい感じでした。

長女もよく喋り、長男も言葉と認識できるほど、はっきりと話せるようになっていて成長も感じました。

幸せな時間というのはとても過ぎるのが早く、あっという間に終わってしまいました。

最後は二人を抱っこして写真を撮ってくれましたが、二人を抱っこから下ろすと、そろそろバイバイなのかなと察した目をしてました。

付き添い人の方に「ママくるから靴下履いて、シューズ履いてください」と言われた時に、もうバイバイかという表情で長女はちょっと私の方をみて、そのまま準備し始めたので、二人にハグとキスしてバイバイしました。

二人がいなくなってからは、涙が溢れて止まらなくなりました。

付き添い人にも「子供達との接し方上手ですね」と言われたけど、ずっと1人で子供2人を世話してたし、これでも8ヶ月ほどのブランクはある。

むしろ、その言葉を言うのであれば「8ヶ月」もの長い間、一切子供と接触できてないことに「何かしらの疑問を持って」それに対する「何かしらのアクション」して欲しいと思ってしまう。それができないなら今の私には表面上の言葉はいらない。

第三者機関では「子との面会は多くて月1回」それはあくまで「応急処置」だから。「応急処置」はあくまで「一時的」。現実何が起こっているのか客観的に見て、第三者機関から適切な場所(裁判所など)に必要な対応を促すことくらいはできると思う。

私は弁護士でも裁判官でも第三者機関であっても誰に対しても、一貫して「間違っていることを前提に会話はできない」と言っています。

よく「気持ちはわかるけど」と言われますが、全くわかってないので繰り返し伝えてます。

なぜなら、もし気持ちが分かって間違っていると思っているなら「どうしたら変わるか」「何ができるか」そのために「何をしているか」を言えるからです。

ただそういう人たちは皆同じ、何もせずに「今を前提で会話」しています。

ただ本日、人生の宝である子供達と会えて、溢れ出た涙を通じて、改めて気づいたことがある。

それは、やっぱりこの国はおかしい。そしてこれは絶対に許されるべきではない事ということも。

私の人生にとって子供達は全て。それを赤の他人(裁判官、弁護士、警察)が奪うのことを助長させていて、正義なんかクソもない。絶対に許さない。

絶対に変える。

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