12月14日(火)子供の連れ去り#284日目

今日で子供たちが連れ去られて284日目です。
連日投稿失礼致します。

本日、婚費/面会の調停がありまして、夕方には来週に行われる保全で動いている件で、調査員による調査報告書が送られてきました。

ただその内容を見て、だいぶメンタルをやられてしまい「自殺をすればどれだけ心も身体も追い込まれているか理解してもらえるのかな」と余計な事を考えてしまったので記事にしました。

今日の調停では、面会交流の話から始まりました。

調停員の第一声が「先日子供と会えたんだね、じゃあ面会は話し合いが完了したということで合意でいいかな?」でした。

私は全く理解できずに「何をどのような解釈でそう思ったのか?」と聞きました。

調停員曰く「面会できたのだからそれで十分でしょ」とのこと。

子供が連れ去られてから10ヶ月。
裁判官は何も考えずに保全を棄却しようとしたけど実際に面会交流が実施されなかったから保全を復活させて、ようやく10月と12月で室内面会が1時間/2回実施された経緯があります。
にも関わらず、それで十分?

挙句の果てには「婚費で10数万しか払ってなくて、子供の衣食住や生きるためのお金には何も思わないのか?」とまで言われました。

私は「年収が下がっているので可能な範囲で払ってます」と伝えました。
現に手取りでは到底足りてないので、毎月借金が増え300万まで借金が増えてます。

そんな中「面会の調整」すらまともにできてないのに「本当に子供を思っているなら婚費で気持ちを示せ」というスタンスに冷静ではいられませんでした。

その後は、調停員が裁判官を呼んで「面会交流」について議論するとのことで席を外されました。

30分後くらいに、弁護士だけ呼ばれ20分ほど中で話してました。

弁護士が戻ってきて言われたのが、
「調停に変わる審判を出すので面会の調停はこれで終わりになるようです。そしてその内容に異議があれば申し立て審判に移行させるとの事」でした。

弁護士曰く、これはかなり異例だそうです。
理由としては、基本的には「当事者間で合意が整った状態」で調停に代わる審判が利用されることが多いため、全く合意ができていない私のケースではかなり強引な判断とのこと。

裁判官が入ってくるなり「早く終わらせたい雰囲気」を出していたようなので、外部的要因がありそうとのことで、私にとっては不利に動くものだとのこと。

その結果、面会調停は裁判官が勝手に決めるとし、あとは婚費調停だけを進めていくと流れになりました。

もちろん納得いかないまま帰宅しました。

そして、先週から申請していた調査官調査の調査報告書が夕方届きました。
その調査報告書を見て、もう全てがボロボロになりました。

監護方針、教育方針、相手方の監護補助者、父親について、調査についてなどいくつかに分かれ記載があったのですが、

まず保育園:
連れ去りをされた週に子供は通っているのかと電話で安否確認した際に「通っていないし、教えることもできない」と言われた園長先生。
まだ新しい先生でしたが、その方のコメントで「保育園で父親の名前が出ることはなかった。友達にダディーは?と聞かれても長女はマミーと答えていた」と記載されていた。実際は私に嘘をついて3月末(1ヶ月ほど)まで通っていたようでした。

子供達も楽しそうだったので保育園の先生には感謝しかなく、コロナの初期も中国からマスクを取り寄せて数百枚を妻経緯で保育園に渡してもらったりしてましたが、ここまで悪者、且つ子供たちには存在しない父親のように書かれたら気分が悪いですね。

そして相手方の監護補助者:
相手方の社長ですが、子供を連れ去った時にもサポートしていたようで、家も行き来できる距離なので何かあったときも柔軟にサポート可能なので、監護補助者として適正とのこと。

最後に調査官:
調査官が帰ってもダディーの会話が出る事はなかった。しかも家は綺麗で掃除が行き渡っており、清潔感もある。子供二人育てるのに十分な広さ。適切に監護していると認められるとの事でした。

今年の3月から落書きだらけの汚い家を捨て、新しい家に引っ越したらそれは綺麗でしょう。

それより一番許せなかったのが「子供達がダディーの会話をしない」と記載しているところ。

あれだけ子が連れ去られる前に「長女が泣きながらダディーいかないで」と叫んで妻に連れてかれる動画や、連れ去られる前日に警察が関与した際に「長女がダディーと過ごしたい」と言って一日過ごした証拠も提出してい流にも関わらず、、、

10ヶ月もの間、子供達を放置して、ダディーという言葉も使えない環境に慣れさせてから「子供達がダディーの会話をしない」と記載する大人の神経が私には理解できない。

この件で、保育園にも、調停員にも、調査官にも、裁判官にも、警察にも、相手方の関係者含め、誰にも味方されていない事を改めて理解しました。

相手方から暴力されても、その時の警察に見放されても、ずっと子供達と過ごしてきたのは「ただ父親として子供達のそばにいたかったから」それだけだった。

だけどこの国では「親として子供のそばにいたい」というのが間違いなんだと知りました。

アメリカもフランスも国が動いてくれてますが、私のために動く人はいない。それでも自分で頑張ろうと思っていたけど、、、

ここまで味方もいないのであれば、私の考えが「悪」なんだとも思った。

だったらいっその事「自殺をすればどれだけ心も身体も追い込まれているか、関わっている大人に理解してもらえるのかな」と思った。

だけど先日の面会で、子供達が笑顔で走ってハグしにきてくれた映像が蘇り涙が溢れて絶対に死ねないと思った。

生きてるだけで辛い、呼吸ができない、

確かに自分が死ねば、少しは後悔する関係者もいるだろうけど、
その代わり、二度と子供達に会えないと考えるとそっとの方が辛い。

「生きる」ということは理解されない世界で孤独になるという事だけど「死」を意識すると子供たちの笑顔がフラッシュバックされて、涙で何もできなくなる。父親の「死」は子供達にも十字架になってしまうから。

もう何をすべきで、何ができるのかもわからなくなってきてますが、
一先ず、冷静を取り戻したので子供たちには感謝です。

Thank you and I always love you, my kids.   

Daddy.




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