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フローレンス・プライスのこと

2022年5月15日(日曜日)

今、アメリカでもっともめざましい再評価ブームを巻き起こしている作曲家といえば、フローレンス・プライス(1888-1953)。

黒人女性として初めて、アメリカのメジャーなオーケストラによって演奏された交響曲を書いた作曲家とされている。彼女は作曲だけではなく、優れた編曲家、ピアニスト、教育者でもあり、交響曲や室内楽、ピアノ曲、歌曲などの他、黒人霊歌の編曲やコマーシャル音楽、舞台音楽など、とにかく膨大な音楽を手がけていた。ところが、その作品のほとんどが埋もれたままで、近年になって屋根裏部屋から300作あまりの未発表楽譜が発見されたという。

プライスは、南部連合の合衆国再編入によるアメリカ再建時代の前に生まれ、公民権運動が確立する前に亡くなった。女性であり、黒人であることが自由を阻む壁となった時代、そもそも女が社会で働くこと自体が難しかった時代、離婚してシングルマザーでもあった彼女は教職につき、子供を育てながら、作曲家としての活動を続けていた。
それがどれだけ困難な道だったのか、想像もつかない。
が、そんな時代の中でプライスは力強く、おおらかで、美しく、優美で、慈愛に満ちた音楽を生涯にわたって紡ぎ続けた。

社会的には厳しい時代だったが、文化的な意味での幸運というか運命的だったのは、活動の拠点だったシカゴとニューヨークで体験したシカゴ〜ハーレムの黒人文化ルネサンスの興隆を、“内側”で(つまり、ガーシュウィンのように傍観者のリッチな白人男性としてではなく)体験していること。だからこそ、今、この時代に聴いても新鮮な音楽性が確立されているわけで、とはいえ、今、この時代に生まれていたらもっと華々しい活躍をしていたかもしれないし。「神のみぞ知る」というのはまさしくこういうことだなとは思うけれど…。

フローレンス・プライスについては書き始めると長くなるので、もしご興味あれば『ERIS』第34号の私の連載「オレに言わせりゃクラシック」で詳しく書いているので読んでもらえたらうれしいです。うれしいですっていうか、読んでくださいお願いします。どうせならクラシックにも行きたいという強欲な音楽ファンはクラシックをどう聴くべきかについてうだうだ考えて続けている連載です。
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そして。
このプライス再評価ブームの立役者ともいえるのが、ヤニック・ネゼ=セガン率いるフィラデルフィア・オーケストラ。

ちなみに日本語表記は「フィラデルフィア管弦楽団」で、日本のクラシック界は表記にはとてもきびちいのは存じておりますが。個人的に最近「フィラデルフィア・オーケストラ」と書く字面が気に入ってるので、noteではそうさせてもらう。

なんか、ちょっと、プライスさんがおっかない姐さんぽくなっちゃいました。

今、わたしがアメリカでいちばん好きなオーケストラ。指揮者とオーケストラのコンビとしては、まちがいなく世界でいちばん好き。そんな彼らによるプライスの交響曲1&3番が、今年のグラミー賞で最優秀オーケストラル・アルバム賞を受賞。

おめでとうございます\(^^)/。


このアルバムはデジタル先行だったのだが、リリースにあたってネゼ=セガンが「ストリーミング、サブスク時代の今、あらためてこの作曲家を紹介できることを光栄に思う」と言っていたことがとても印象的だった。さまざまな音楽ジャンルを自由に縦断横断して楽しむことのできるサブスク時代、テイラー・スウィフトがブライス・デスナーを介して現代音楽とコネクトする…などというミラクルも当たり前のように起こる現代を生きるリスナーだからこそ、ジャズやゴスペルからチャイコフスキーやドヴォルザーク、ラヴェルまで…多彩な要素がめくるめく勢いで溢れ出てくるプライスの、あまりにも情報量の多いシンフォニック宇宙の真価を堪能できるのではないかと思ったり。

で、なぜ今ごろプライスのことを書きはじめたかというと。
このグラミー受賞を記念して、通常は有料サブスクとなっているフィラデルフィア・オーケストラの「デジタル・ステージ」シリーズが、5月11日に配信されたプライスの交響曲3番(1938-40)と、アマンダ・ハーバーグのピッコロ協奏曲(世界初演)を1週間無料で公開したのだ。なんと粋なプレゼント。
(日本では18日くらいまで?ご興味あれば、急いでPhilorch.orgへ)

フィリー・ソウルとも深いつながりのあるフィラデルフィア・オーケストラのキレッキレのリズム感覚や、エレガントで情熱的なストリングスのグルーヴ、天性の色彩感覚と歌心が魅力のネゼ=セガンの指揮。たぶんプライスの音楽性をいちばんモダンでシアワセな形で表現できるのは、このコンビではないかと思う。

黒人音楽の要素を取り入れた米国のクラシック音楽といえば、ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)。「ラプソディ・イン・ブルー」のオリジナル版が1924年で、オペラ『ポーギーとベス』が1935年だから、プライスもほぼ同世代といってよい。ジャズやブロードウェイ音楽の要素が色濃い、白人男性目線からの黒人音楽要素が身上だったガーシュウィンに対して、自身の内面から滲み出る黒人音楽のルーツが欧州クラシックの優雅さと自然に溶け合うプライスの音楽というのは実に対照的だが、その両者を並べて聴くことで新たに見えてくるものはとても多い。勝ち負けとかではなく、当時、好敵手として並んでいたら歴史は変わっていた。これまでの時代の中で、なぜ彼らが同列で語られなかったのかと悔しくなるほど。

プライスの交響曲の最高傑作とされる3番は、時としてドヴォルザークやコープランドのようだったり。もしバーンスタイン時代のニューヨーク・フィルが取り上げたりしていたら、ばっちりだったかもしれない。さらには、レニーの評価があれば歴史も変わっていただろうに…なんてことも想像してしまったり。が、とはいえ、これだけ情報量の多いプライスの音楽性というのは、やっぱりネゼ=セガンが言うようにサブスク時代の今だからこそ理解されやすい…という面があるのかも。
そして思うに、クラシックだけを聴いているマニアではなく、いろんな音楽を聴いてきた多趣味派とか、私みたいな雑食派のほうが楽しめる音楽じゃないかなと。
星野源さんの番組は、ジョージ・ガーシュウィンを取り上げたついでにプライスも取り上げてくれないかな。

独グラモフォンによるダイジェストPV。

この配信プラグラムは、最初に演奏されたアマンダ・ハーバーグ作曲のピッコロ協奏曲も素晴らしかった。ハーバーグは地元フィラデルフィア出身、1973年生まれの女性作曲家。パンデミック中の20年には、95人のフルート奏者からなるヴァーチャル・フルート・オーケストラによる新作をFacebookで世界初演している。
ソリストを務めたピッコロ奏者、エリカ・ピールも女性。
最近、アメリカのオーケストラではけっこうプライス作品が演奏されているが、コンサートでは現代の女性作曲家の作品と組み合わせたプログラムが多い。ちなみにニューヨーク・フィルは来シーズン、今をときめくキャロライン・ショウの新作とプライス作品を組み合わせたプログラムを予定している。ショウとプライス、そういえばふたりとも今年のグラミー賞受賞作曲家ではないか。クラシック部門のメインとなる賞で、作曲家がふたりも女性ってカッコいいな。

プライス再評価ブームの背景として、女性に対する不当な評価や#MeToo運動も大きく関係していると言われていて、それは確かにそうだとは思うし。だから、プライス作品が女性の作曲家や演奏家と合わさることが多いのも、そういう流れを汲んで…というのも、当然ないわけではないだろう。が、それ以上に、そういった理屈的なものを超えて、プライスの音楽が持つ強さや優しさ、おおらかさといった本質的な部分が、時代を超えて現代の女性たちの感性にものすごくフィットしているから、女性作曲家の作品とも親和性が高いのではないかと思う。
と、そんなことを、演奏後のインタビューで「ものすごく緊張したけど、素晴らしい経験だった!」と嬉しそうに語るエリカ・ピールの奏でるピッコロにシビれながらしみじみ思ったのだった。ピッコロっていうのは、めっちゃ小さくて、音色もかわいくて、少なくともこれまでの歴史における価値観でいうならば、他の楽器に比べて“か弱い女の子”って感じの存在だ。そして、ハーバーグの協奏曲も、そんなピッコロの愛らしさを最大限に活かした作品ではある。が、小さくて、かわいいけれど、か弱くない。価値観に縛られていなくて、自由で、いわゆるマッチョ主義みたいな“強さ”とはまったく違う価値観の強さと逞しさが漲っている。
ハーバーグはそんなこと意識していなかったかもしれないけど、強大で絶大な男社会で白人社会だった世界で、こんなにも軽々と時代を越えるほど圧倒的に美しい音楽を紡ぎ続けたプライスの姿が、そのピッコロの音色と重なって浮かび上がってきたような気がした。この2つの作品をつなぐプログラムを組んだネゼ=セガン、やっぱりすごい。冴えてるなー。

そういえば、朝ドラ『ちむどんどん』で片桐はいりさんが演じる音楽教師は、日本で初めて交響曲を作曲した女性作曲家・金井喜久子さん(1906-1986)がモデルといわれているんですよね。沖縄音楽というルーツ・ミュージックをバックグラウンドに持ち、映画音楽や合唱曲など幅広いジャンルの作品を手がけ、晩年まで創作活動を続けた金井さんは、まさに日本版フローレンス・プライス。日本のオーケストラが、おふたりの作品を演奏する…そんなコンサートがあったらいいな。


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