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私の3.11

当時はコミュニティ送局の開局準備の大詰め、すでに予備免許を交付され試験放送を行いながら、本放送開始に向けて編成やら何やらの計画を作っていたと思います。

14時46分その時も、机に向かってパソコン仕事をしながら試験放送をモニターしていました。
それから2時間ほどは、世間の重大な出来事に全く気付くこともなく、目の前のタスクに集中していました。

17時過ぎ、事務所を貸していただいていた大家さんがすごい剣幕で訪ねてきて、「何をのんびり曲なんか流しているんだ?」とお怒りに。
何も把握していない自分が???となっていると、「ニュースを見てみろ!世間は今大変なことになっているぞ!!」と。

ようやく事態を把握して、状況に合った対応をしようとするものの、出来たのは試験放送で流していた曲を静かなものに変えるくらい。
いまから情報を発信するラジオ局を開局しようとしているのに、いざという時には自分たちの手元に何も情報がないという現実を突き付けられたのが、自分にとっては一番印象的なことでした。

その体験があったおかげで、今考えればごく当たり前のことなんですが、情報を発信するということは、いつでも情報が入ってくる、あるいは取りに行けるチャンネルを、出来るだけ多く確保しておかねばならないということでもあるのだということに気付けたと思います。

そしてもう一つ、得た情報の正確性の担保ということも大きな学びの一つでした。

地震発生から数時間後、当時ちょうど流行りが来始めていたTwitter(現在のX)上やチェーンメールなどを使って、「地震による停電を支援するため送電を開始します。節電にご協力ください。」という情報が流れて来ていました。
その投稿の冒頭には【拡散希望】の文字。今となってはほとんどの方が知っている有名なデマ情報なのですが、開局後にパーソナリティとして番組出演が決まっていた方の一部が、そのデマの拡散に加担してしまったのでした。

当然ながら、悪意があっての拡散ということではなく、むしろこれらの方々は特に人が良いという部類の方たちです。
ゆえにこの大きな事態に対して何か協力したいという善意の思いが強くなり、重ねて内容が被災者を助けるためととれる内容だったことが、突き動かす要因となったことでしょう。

ほどなくして、電力会社等の広報を通じてその内容がデマであったことが分かると、自分も含めてそれをデマと疑えなかったことに戦慄にも近い危機感を感じたのも大きな体験でした。

3.11の体験は、以降の私の情報発信者としての背骨になるような体験を与えてくれました。

この5年後に、熊本地震では臨時災害放送局の運営の支援に入り、さらに貴重な体験を積むことになるのですが、それはまた別の機会に。


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