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【自己紹介】濱田 英作の〇〇マインド

ページをご覧いただきありがとうございます。
濱田 英作と申します。
これまで、ミュージシャンの卵(孵ることはなかった💦)や営業職、ラジオ放送の制作現場で、作り手やしゃべり手の立場でやってきました。

こちらでは自己紹介、経歴の紹介とともに、私の〇〇マインドというくくりで、私自身が大切にしている部分などを併せて紹介できればと思います。

プロフィール

名 前:濱田 英作(はまだ えいさく)
生 年:1975年(昭和50年 乙卯年)
出身地:鹿児島県の鉄砲とかロケットで話題の島
   (体長52cmの巨大児として生まれ、取り上げた先生が「わっ!」
   と声を出すほど驚いたとのこと)
現在地:鹿児島市
生 態:平成7年に、地元の国立大学工学部に入学するも、大学から始めた
    バンド活動にハマってしまい、以降エンターテイメントのあるとこ
    ろで、もぞもぞ活動しております。

私の〇〇マインドと経歴

 幼少期から学生時期、仕事を持つようになってからも一貫している想いがあります。

それは「楽しいことの中心地にいたい」ということ。

 昔からたいへん気が多い性格で、部活動一つとっても、キャプテン翼のように華麗にサッカーをしたくてサッカー部に入ったり、タッチのようにかわいこちゃんとの出会いを期待して野球をしてみたり、でもやっぱり一番結果を残すことが出来た格闘技をやってみたかったりと、広く深く多くのことに関わりたいと願ってきました。また実際そうしてきたこともありました。

 しかしながら、人ひとりの行動や時間には限界があり、なかなか思ったように体験の数や深さを増やすことはできません。そういう時は、情報収集!!書籍、TV、ネットなど様々なチャンネルから、時には直接話を聞く機会を設けてもらったり、いろんな方々の体験を集めてくることで、その人1人分…とまではいかないものの0.5人分くらいの体験をした気分になれます。これらの集めてきた体験は、実際の体験ではないですが、なんとなく疑似体験をした気分には十分なれますし、人が何年も時間をかけて積み上げた体験を、数時間ほどである程度トレースできることは、とにかく多くの体験をしたい私にとって非常に貴重な時間となりました。

 そうして、疑似体験も含めて積み上げた体験の数は、沢山の方々と「共感」を作っていくことに、非常に役に立ちます。共感の引き出しの中身が多いということは、様々な方々とコミュニケーションをとるときにも非常に役に立ち、そのコミュニケーションがまた私に疑似体験を与えてくれるという、いいスパイラルも生まれます。
 そういう中で私の人生における基本的なマインドとして、「経験は財産」だと考えるようになりました。人生マインド、すなわち座右の銘でもあります。

それでは、以下に私の経歴とともに、その時々に積み上げた〇〇マインドを紹介していきたいと思います。

経歴① 20代のほとんどの時間をバンド活動に

 この時に、音響器材の知識とオペレーションの能力を身につけます。
 当時より演者として身を立てたい願望があった私ですが、大学在学中に所属していいたバンドサークルの学園祭ライブの現場にて、音が出ないトラブルが発生したことがありました。その原因を自分のせいにされたということがあり、そのことがきっかけで、「クソ、こいつ(自分よりかなり年上の先輩)より、絶対器材使えるようになってやる!!怒」と心に誓います。
 以降、演者としてバンド活動の傍ら、器材に対する知識や経験も増やしていき、ついにはイベントやレコーディング現場での音響オペレーションにも従事してくことになりました。

 ちなみに最初のエピソード…なぜ発音トラブルの原因を自分に疑われたかというと…ミキサー担当の方に無断でワイヤレスシステムを持ち込んだから…だったんですが、今にして考えると、疑いをかけられるに十分な行動だったなぁと、こっそり反省しています。結局のところそのトラブルの原因は単純なボリューム設定ミスだったのです…笑

 音響のことを学んでいく過程では、用語の意味、各種パラメーターの意味と操作との関係性、ある程度の電気的知識と覚えること、実際に使ってみて感覚とすり合わせていくことなど、身につけたことは多くありました。そのなかで、いわゆる「音作り」に関して、基本的な自分ルールも併せて出来上がって行くことになります。

 その一つ目は「音響操作は鉄壁ではない」ということ。器材のことを学び始める前は、イコライザーの達人になればあらゆる音が作れると思っていましたが、学んでみると一番大事なのは発音体そのものの生音、そしてその生音のもつ可能性を十分に拾いきるマイキングだということ。
 二つ目は「良い音とは、個人的な好みの音ではなく、万人が聞き取りやすい音」。よく知られているように、音は聴く場所、角度、果ては年齢差でも聞こえ方が違います。できるだけ多くの方に、届けたい音声を意図したとおりに届けることが、エンジニアとして出すべき良い音の考え方だと思っています。
 音には自然にある音の他にも、例えば音楽のように意図された音もあります。そういった場合も、意図した方(音楽の場合は作曲者や演奏者)の想いが、そのまま聴衆に伝わっていくことを目指していく、というわけです。先ほど、音声を加工するためのパラメーターの話に少し触れましたが、加工や編集においても、自分好みに音を変化させるのではなく、あくまでその音が持つ魅力、意図などを補佐・増幅していくというところで音声に加工や編集を加えていくということです。

 こうした音声に対する向き合い方の中から、私の音作りマインドは「そこにある音を、できるだけ多くの人に、できるだけそのまま届ける」ということになります。

経歴② 会社員として営業職に

 バンド活動に20代のほとんどすべての時間を費やしてきた私ですが、ある体験がきっかけで、音楽で身を立てていくイメージに大きく変化があり、ビジネスのことをしっかり学びたいと考えるようになりました。
 この時点でもまだ、バンド活動についてはあきらめがあったわけではありませんが、自分に足りないものを得るために、それまで体験したことのなかった営業職の世界に飛び込みました。
 この時に社会人としての基本的なビジネスマナーや立ち振る舞いなどを覚えていきました。結局、仕事としては成果を上げたとはいえず、1年間で解雇となってしまいますが、転んでもただでは起きぬとばかりに、困難の中でも折れない心を手に入れた時期でもありました。

 この時期は、正直うまくいかない時間ばかりでしたが、そういう中でも小さな成功を感じることもありました。失敗ばかりの時期でしたから、逆にコントラストのようにこの小さな成功を喜ぶことが出来ます。「失敗は成功のもと」ということわざがあるように、小さい成功のほとんどが、失敗に向き合い、やり方に改良を加えることで起きることにも気付きがありました。

 この時期に得た仕事との向き合い方のマインドを言葉にするならば、「一度の失敗で無理と決めつけない。しかし失敗に対しては丁寧に向き合って、違うアプローチを考えてみる」というところでしょうか。

経歴③ コミュニティ放送局の立ち上げ、運営

 自分の次の身の振り方について考えている中、ちょうどコミュニティ放送を立ちあげたいという活動をしている方々との出会いがありました。話を聞いてみるととても興味深く、自分がやってきたことややりたい事と合致する点も多く、中心メンバーとして法人の立ち上げ、また放送局を立ち上げるべく総務省に放送免許の申請、設備の構築から開局までを無事に達成。以降は番組企画、制作、番組の編成や運行の管理に従事します。

 この時に得たものは、会社を設立、運営していくノウハウなど経験として蓄積したものも多くありました。また日々放送のコンテンツを作っていく上では、取材やまたそこで集めた内容を、リスナーの方々に意図されたとおりに伝えていくための、編集や言葉選びのスキルも身につけた時期でもありました。

 これらの業務においては、もちろん初めての業種で、ゼロから積み上げていくことも多くあった中で、実は経歴①や②の中で培った経験やマインドが活きることもあり、経歴に伴ってスキルが積みあがっていることを実感できたことは日々の励みになりました。

 取材をしていく中で、私が大事にしていたことは、まず「相手(取材対象とリスナーの両方)の立場になり切って、聞くべきことや聞いてほしいことは何なのか」を見つけること、これは出来るだけ速くできるだけ正確になされるべきことです。当然取材対象の下調べを十分行っておくというのは、ここの速さと正確さをより良くしていくために必須の準備ですし、リスナーの興味の動向なども普段からアンテナを張っておくことで、聞かねばならないことに素早くアプローチすることが出来るようになります。
 そのうえで、「対象から引き出した情報の内容を変えずに、情報としての強さ、インパクトを与える言葉選び、編集で伝える」ことで、リスナーの心にしっかりと印象付けてもらうという一連の流れは、取材から情報を得て、それを伝えていく上で大切にしていた部分です。
 編集という作業はとても怖いもので、例えば内容の整理のためとして、下手に語順を変えたりすると、意図した文脈が崩れることも起こり得ます。そういうった微妙な匙加減を調整しながら、最終的な伝える形を決めて放送をした時には、もちろん取材対象が意図した内容をしっかり伝えられているか気になりますし、伝わった手応えがあったときには幸せな気分になります。
 またその情報をしっかりと受信してくれた方々が、その情報をもとにどういうアクションをしてくれるだろうか?というところも気になるところとなりました。

 放送という仕事を通して積み上げたマインドは「まずは、情報をそのままの形で取り出すこと。そして形を変えることなく、その情報の持つエネルギーを増幅して届けること」ということになります。
 情報を加工できる立場にいることは、とても責任を伴う仕事でもありました。自分の言葉選びや紹介の仕方ひとつで、対象の印象を変える立場にあり、そこを支えるのは私自身の良心であり仕事への誇りしかありません。毎度毎度身が引き締まる思いをしながら、放送原稿に落とし込む日々でした。

これから

 経歴、すなわち学びや仕事のことを考えたとき、これらのことは究極的には、自分に備えられた(あるいは備えたいと願う)能力を、どのように社会に還元し活かしていくか?もっと簡単に言うならば、どう役立っていくのか?ということだと思っています。

 私はこれからも、「世界中に散らばる有益な情報を拾い集めてきて、それを皆様のお手元に届けていく」スタンスを軸にしながら、いろいろな手法でこれを実現してきたいと考えています。

 私が伝えた情報がきっかけで、少しでも皆様の日々の生活が豊かになりますように。

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