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【読書感想文】自省録

マルクス・アウレリウス著 「自省録」を読みました。
感想だけでなく著者と時代背景についても記しておこうと思います。


マルクス・アウレリウス

マルクス・アウレリウス(121〜180)は、第16代ローマ皇帝です。
彼の2代前の皇帝であるハドリアヌスから寵愛を受けたこともあり、エリートの道を歩みました。
身体的には強くない一方で、幼い頃から哲学を愛し、賢明な人物であったと言われています。
前皇帝であるアントニウス・ピウスの補佐としてローマ帝国の統治を行いましたが、その間は大変平和な時代で、辺境への出張を行ったことはありませんでした。
しかしマルクス・アウレリウス治世では平和だったとは言えず、パルティアとの戦争、侵入するゲルマン人との戦い、疫病、洪水と、度重なる災難に見舞われます。彼自身は決して争いを好む性格ではないにも関わらず、環境がそれを許しませんでした。
それでも彼は誠実に内政・外政を問わず尽力しました。

時代背景

マルクス・アウレリウスはローマの五賢帝最後の一人です。
この五賢帝時代は、帝国領土が最大まで広がり、内政・外交の両面で安定したローマの最盛期と言われています。
この時代の哲学ではストア派が最も勢力を持っていました。
キケロ、セネカ、エピクテトスがローマにおける代表的なストア派の人物です。
ストア派の特徴として、個人の道徳・倫理的幸福を追求する点があります。
徳を求めることを何よりも重視し、憤怒、羨望、嫉妬といった感情からの解放を目指します。
また、ストア派はしばしば快楽主義(エピクロス派)と対比されます。
エピクロス派は「隠れて生きよ」という言葉も示すように、不快を避けるために政治などの公的な活動に対して後ろ向きな考えを持っています。
一方、ストア派では公的な奉仕が善とされ、当時のローマの貴族の考え方と合致していました。
マルクス・アウレリウスもストア派哲学を信奉しており、この著作もその思想を記したものと言えます。

感想

本書は元々出版を前提に書かれたものではありませんでした。
自身の考えを吐き出したり、他の哲学者の言葉を書き留めたりしたものであるため、綺麗な構成にはなっていません。
同じような考えがあちこちで言葉を変えて展開されることもあります。
従って哲学書というよりは、日記を読む感覚に近いです。

エピクテトスの影響を受けていると言われる通りで、自由意志をいかに正しいものに保つかというテーマが多めに取り上げられています。
エピクテトスは一つのテーマを話すのに冗長になりがちですが、本書は比較的簡潔で読みやすいです。
他者への教育が目的のエピクテトスに対し、マルクス・アウレリウスは内省を目的としていたからかもしれません。

皇帝の仕事は政治や裁判官的役割などただでさえ忙しいのですが、彼の時代は戦争・疫病・洪水と災難続きであり、その対処に寝る間も無く追われていたはずです。
本書では、そんなストレス下に置かれていたとは思えないほど高邁󠄀な思想を展開しています。
むしろストレスをコントロールするためにストア派の考えを実践し、書き留めたのかもしれません。
何度も登場する語句として「指導理性」があります。

「指導理性とは自ら覚醒し、方向を転じ、欲するがままに自己を形成し、あらゆる出来事をして自己の欲するがままの様相をとらしむることのできるものである。」

第6巻 八


自己に降りかかる災難をどう捉えるかは自分次第であるという考えが、彼の精神を健全に保ち、勢力的な活動への後押しになっていたのかもしれません。
他人から受ける不正への怒り、お追従による自惚れ、虚栄心、平穏な暮らしへの憧れ等を振り払うべく、内省が繰り返されています。

また宇宙から見れば人間なんてどれほど小さい存在か、という視点も繰り返されます。
人間の一生は非常に短く、存命中どんなに偉大とされていても死ねば皆同じこと。死は当然やってくるものとして受け入れ、現在にフォーカスして生きること。

現代人の我々が読んでもハッとさせられる主張や表現に満ちています。
2000年前から人間の本質は変わらないのだということを感じられます。
人類にとって不変的な考えだからこそ、これほど長く読み継がれてきたのだろうと思います。


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