ジム行ってウォーキングすることの愚かしさについて

こんにちは、人生かっぽ堂の大地です。

ぼくは歩いています。

あ、何がって、日常的に、てことです。

冬の青森

簡単に言えば、健康のためです。
身体的健康のためにも、精神的健康のためにも歩いています。

数年前から体づくりをしているぼくは、増量期と減量期を繰り返しているわけですが、減量期の時はとにかく歩くようにしています。

で、歩くためにマシンを使いにジムに行っていたんですが、
あるとき無心でマシンの上で歩いている時、ふと頭をよぎったんですね。

「歩くためにわざわざジムに行く移動時間あるなら、その時間で歩いたほうが早いんじゃね?」と。

もちろん、マシンでできることがたくさんあるのも分かってはいます。
傾斜つけられるし
心拍数測れるし
ペース設定できるし

ただ、それ以上に
「歩くために移動時間とお金をかけている」
自分の現代人らしさに笑けてきたわけです。

そもそも、もそもそ
歩くことって日常の一部の中に組み込まれてきたんだと思うのですが、

結局車を手に入れたりとか
鉄道を手に入れたりとかして
日常から歩くことや走ることがなくなってしまったわけ、じゃないすか。

でもやっぱりそれってめっちゃ不健康じゃんってことで、
歩くことを取り戻すためにジムという機能を
別途お金を払って、
移動時間をかけてまで
手に入れているわたし。。。

科学
ってものは、ぼくたちの世界を因数分解して、
切り離せない最小単位まで事象をめっちゃバラバラにして、
ひとつひとつの単位の持ってる働きを解明して
「あ、この働きをするAさんとBさんがかけ合わさるからこういう現象がおきるんじゃーん。おどろきー」
と解き明かしてきたわけです。

つまり得たい結果があるなら
必要なことだけピックアップして
それ以外はやらんでよろしいやろっていうのが科学さんの得意なことなんですが、
これが移動手段ってことに目を向けるとどうなるか?

結果的にA地点からB地点まで移動するんやったら単純にめっちゃ速い、ちょっぱやな車とか電車とか新幹線とか飛行機とか乗ったらええやろワレェってことになって、

結果、歩かない。
みたいな。
そうやって「科学的に」「合理的に」考える時
歩くと健康的ィィイイ みたいな考えはまったく無いわけです。

だってそのときは「A地点からB地点までめっちゃ速い移動」という結果だけが欲しいので健康的になることとかそういう余計なことは考えないんだよってことです。

で、結果、人類メタボ、みたいな。
で、結果、人類金払ってジム行き、みたいな。

イラネって削ぎ落としたのに、削ぎ落としたものの大切さをまた取り戻すために別の手段を使って、しかも金を払ってまた取り戻すみたいな。

仕事から帰ってきて隣の部屋の煮物の匂いが鼻に入ってきてどうしてあんな大切な人と別れてしまったんだろうみたいな。

手放してわかるあなたの大切さオンリーワンみたいな。

そういう人類の愚かしさあるよねっていう。

でも、おまえ、じゃあ交通機関使わないのかよって話にはなるんだけど、

使うさ!ああ使うさ!!めっちゃ使うね!!むしろなに!?車ないと生きていけないけど!?HAAAAAN!?

けどね、たぶんあれよ。

往復20分かけてジムに行って20分ウォーキングすることに対して思考停止しちゃう人類にはなりたくないよね。

ってそういうこと。

だから東京に引っ越してきてからも帰り道は歩いて帰っています。


今日も、人生をかっぽしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?