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息子、春の別れ。



幼稚園でお世話になった先生が
退職される知らせが入りました。


” お世話になった先生 ” というのは、
一昨年の、息子(長男)にとって幼稚園の最終学年にあたる年に一年間お世話になった担任の先生です。


少し回りくどい表現になりましたが、
というのも、
一昨年息子は、二度目の年中組でした。
( 年少 → 年中 → 年中 ⇐ )



先行き不安な中での決断でしたが、いざ始まってみると不安だった気持ちを忘れるほど息子と先生の相性は抜群で、数えきれないほどの思い出と成長がそこにはありました。

自分の世界でほぼすべてが完結していたはずの息子が、先生のサポートのもと一年かけて他者と関わる喜びを味わい、それにより笑顔でいる時間が格段に増し、双方向のコミュニケーションを強く欲する気持ちが芽生え始めました。



息子の力をベースに、それまでの2年間で担任の先生方が積み上げてくださった力、療育の先生が積み上げてくださった力など、すべてが噛み合わさった、我が家にとって喜ばしい成長の瞬間でした。


そしてそんな充実した時間は
本当にあっという間に過ぎ去り、


去年の3月、

年中組に在籍しながら
最終学年だった息子は、
卒園式の日を迎えました。

大勢いる年長組さんに交じって
先生と息子の二人、
ふたり並んで参加。


涙涙の卒園式でした。


そのひと月後、
次男が同じ幼稚園に入園。
そのため先生との関係はその後も続き、先生に会えば心配して声を掛けてくださり、次男も可愛がってもらっていました。 



そんな中、
年度末の突然の知らせに、私は呆然。


息子は、あっけらかん。


息子は、目の前の出来事がすべてです。先生は心の中にはいるけれど、過去の人。
次男の幼稚園行事に連れて行っても恥ずかしがって先生に挨拶できない日々が続き、卒園後、直接ご挨拶できたのは10月が最初で最後でした。


ついに先生に会える最終日。
修了式の日がきてしまいました。


本当ならその日息子を「これで最後だから」と、ご挨拶のため幼稚園に連れて行きたかったのですが、断られてしまいました。恥ずかしいのと、卒園した現在、先生とどのように接っすればよいのか対応が分からないようです。


当日、息子が直接挨拶する代わりに
息子の一言を添えたメッセージ動画を見せ、息子からの手紙をプレゼントしました。


先生ははじめびっくりした様子でしたが、

(手紙を見せながら)
「見てください、
ひらがなを書けるようになったんです」


そう私が言った途端、
先生は目を真っ赤にして泣いてくれました。


ぽろぽろぽろぽろ涙を流す先生。 


感謝の気持ちとともに、
なんだか切なかったです。
申し訳なかったです。


あの一年間がなければいまの息子はいないのに、息子にとって先生からの愛情は当たり前のものであり、ただの通過点であり、一度さよならしたらそれでひと区切り。それはそれで最高な形である気もするけれど、あの一年がなかったかのようで寂しい。



せめても、
形にしたくて今日書き残しました。

あれから数日たったいま、
「きっと、子育てってこういうものなんだろうな。」
と、思います。


大半は忘れ去られる儚いものだけれど、ひと一人の人格形成に欠かせない大切な日々。
一緒に過ごしたその時、その瞬間がすべて。
与えた先の感情は相手のもの。

「やりたくてやっていることだから、見返りは求めてない」
これは夫からよく聞く言葉ですが、子育てに対して私もそうした姿勢でありたい。



こうして振り返ると、在園中から卒園後までの二年に渡る先生とのやりとりを通じ、親子ともに学びの多い時間でした。先生には感謝の気持ちでいっぱいです。



読んでくださり、ありがとうございました。


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