気づけば会話
極端に発語が乏しかった息子と、
気づけば会話をしていました。
話題はころころ変わってせわしないし、お互い伝わらない言葉がありながらも、ラリーが途切れないことが嬉しくて息子もわたしも夢中で言葉を探し、10分ほど話せました。
ついにこの日が。
目を合わせて話せたことがとても嬉しかったです。
今年の夏、アゲハチョウの幼虫の飼育をきっかけに「成長するかどうかは本人次第であり、そのタイミングは本人さえ分からない。他者がそこには立ち入れないし、立ち入ろうとしてはいけない。」「相手が必要としているものを用意する。ただし、用意したからといって使わないこともある。」「わたし(相手)にできることしかできない。」と、子育てに対する考えを整理でき、あるかどうか分からない漠然としたなにかに、自分にも息子にも以前より期待しなくなりました。息子たちには失礼だけど、いままでは無意識のうちにどこか完成品を作り上げるような気持ちでいた気がします。
わたしが息子にできることをやる。
一方的にベストを尽くすのではなく、毎日お互い許容できる範囲で積み重ねられることを積み重ねて今日の「できた」を築く。ここぞという場面にはなりふり構わず全力を注ぐ。
息子たちが食べたいごはんを作って、ぼちぼち快適で清潔な環境を用意して、自立に向けて息子ができることは息子がやり、できそうだけどできないことは教えて、できないことはやってあげ、わたしにできないことはできる人にお任せして。それでもどうにもならない現状は、しかるべき場所に協力を求めて選択肢を見直しながら少しでも快適な生活へ向けて少しずつ方向転換していく。
こうした思考の変化から息子にとくべつ期待することがなくなったところ、ふいうちに他愛のない会話から息子の思考過程をより深く垣間見れるようになり、びっくりしました。
そして改めて、
いままでのわたしは、自分の理想とする型に息子を当てはめようとしていたのだと振り返り、いままで苦しんでいた(苦しめていた)原因をまた一つ理解できました。また、生活面や学習面の見通しの立て方も変わり、まさかアゲハチョウの飼育をきっかけに子育てを学ぶとは思いませんでした。
まだまだ感情をぶつけ合うこともあるし、一難去ってまた一難……みたいなことも日常的にありますが(;'∀')
なるようになると思いながら、ぼちぼちやりたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
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