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三途の川の話

あの世関連の話はすごく久しぶりになる。というか、noteに書くのもすごく久しぶりだ。この記事にたどり着くのはよっぽどの知りたがりか、私の記事に呼ばれた人となる。ようこそあの世界へ!
信じなくても今はいいどうでもいい話だから、理解しなくて良いし読んだ後忘れて良い。 

三途の川見た目イメージ

タイトルの事知りたいんだろうから単刀直入に書いておこう。
三途の川の幅、カバーにある写真(イラストフォトからお借りしました)みたいな感じのスケールだ。だだっ広いガンジス川みたいなイメージでいる人もいるとは思うんだけども、こんな風に結構狭い事が最近になってわかってしまったのだった。実感の個人差は出ると思うけども、幅については身近な街を流れる大きい河川程度とイメージすると良いだろう。

タイトルなし

あの世とこの世に多少の地面のズレがあるんだが、イメージとしては大体この画像に似ている。対岸にあるあの世は遊歩道みたいな道が川に沿って続いている。霊能力が薄い私が対岸を見ようと努力してみたが、向こうは田舎の夜道くらい暗すぎて全体像がはっきりしない。街灯が行きたい場所に届いてないあの暗さ。残念ながら、あの世のほうに電灯という設備はなさそうだ。
夜見なくても暗いのは太陽の光が当たってないって事だ。死んだら懐中電灯かヘッドライトを手に入れなければ周辺は確認できない可能性がある。

生死の境を彷徨ってないのにどうして三途の川なんて見えたんだ?
努力しなくても疲れてたら見えんだよあたしゃ! としか説明ができない。

前に、生きながら霊会の地面を見るコツの記事書いてあるので、どうやって三途の川を見たのかはリンクを参照にしてくれると助かる。

精神的疲労が重なると、意識して閉じていたはずの眉間の間の目が開いてくるからしょうがないんだ。それを人はサードアイとか言うよね。
ヨガかなんかの修行してないと開かないとかいうのは嘘だよ。みんなはあるのを忘れてるんだよ。第六感とかいうのも必ず備わってるからね。


三途の川の距離

最近、『亡くなった人と話しませんか』という本を購入して、三途の川についての項目があったので確認してみたら、対岸の向こうの川に沿って道があるのは間違いは無さそうだった。私だけの認識だと思っていた。

道の距離は個によって違うという。非常に興味深い対岸の情報を仕入れた。川の横の道歩いてる人もいれば、池みたいな水辺でランニングしてる人もいるみたいだ。
この道を歩いている人、すでに死んだ人で、次に生まれるまでただひたすら川に沿って歩くそうだ。
川の距離=次生まれる年数。内容をかみ砕くとそういう事らしい。
他の事柄についてはこの本を読むと良い。



三途の川の形状

読んだ本『亡くなった人と話しませんか』で池の横走ってる人のケースを初めて知ったのだが、おそらく中央に池があって、その周りをドーナツ状の川が幾重にも囲っているのではないか?
そんな疑問が浮かんだ。問い合わせで著者に質問はできないらしいので、直接この世に住んでない人を呼んで聞いた。(呼べば誰にでも来てくれる。姿が見えたり声が聞こえたりするかは別として)

この本に書いていなかったが、霊界の住人の話によると、三途の川は海に繋がってないらしい。霊界にはドーナツみたいな形状の細長い水の輪っかが幾つもあるみたいで、どの輪の横にも遊歩道みたいな道が設けられているとの事。この方いわく、「玉ねぎの輪切りを思い浮かべると良い」という。
「たまねぎ輪切りの片と片の境目のところが川」だってさ。
なんとなく送られたイメージを総合すると、空間が幾重にも重なった球根状の世界観らしい。安直に考えて多次元という事なのだろうか、現世の三次元的思考では発想が出来ないし説明がし辛い世界だという事だ。「でっかい玉ねぎのどの位置に行くかは生前の本人の行い次第」らしい。

この本を読む前に、死んだ人は輪廻転生の年数が決まっているかを既に亡くなっている父に尋ねたのだが、「知らんがな」と一蹴された。「まあ、ルーレットで距離決めてたかなぁ」と後からぽつりと漏らした。
あの世にルーレットみたいなのがあるんか!?
「スタート地点に置いてあったぞ。人生ゲームのアレみたいなやつ縦にしてあったわ」
スタート地点? 人生ゲームのアレ……?
要するに、我々は人生ゲームの盤面を歩かされているとでもいうのだろうか……。サードアイが開いてるうちに薄らぼんやり向こうを透かして見たら、STATって書いてあるしょぼいアーチまで見えてきたわ…。本当にそうなのかは知らんけども。
ルーレット回す神か獄卒みたいな奴がいるか聞いてみたが、いないらしく、基本はぼっちプレイとなるらしい。何年か何百年か何千年かは最初にルーレットみたいなので決められてるみたいだ。自分で歩く年数の距離決めてる凄い奴がごく稀にいるらしいのだが、詳しい事は当事者に聞かないと分からない。
ルーレット?で決まった年数の道をひたすら歩いていくとの事だ。生前、冗談が大好きな父だった。
個の魂の感覚で言っている事なので、真意については実際に聞いた私が死んでみないと分からないのかもしれない。


歩くのに疲れたら

三途の川の横の道を歩いていたら、突然疲れて立ち止まる事もあるだろう。
そんな時に、どうしてるかも、亡くなってる父が簡単に教えてくれた。
「暗い部屋で自分が出演してるビデオ観てるんだよ」
現世を生きる我々の感覚で言うと、自分が映ってる動画をひたすら見させられているらしい。現世での過ちや行いを認めたら部屋から出られるそうだ。
「そういえば、うちのばあさん、ずっと同じビデオ観てるな」
父よりも先に亡くなってる祖母は、とある過去の行いを認めていないようで、同じ場所に留まっていたようだ。
「じっとしてるの嫌だからよ、俺のほうが先に進んじまった…ガハハハ!」
わが父は生前の行いを認めると部屋の外に出れる仕組みに早く気付いたようで、祖母よりも先に歩をすすめたようだった。川の道で、先に亡くなった人を追い越すのは容易らしい。
歩き疲れたらまたビデオ観るそうだけど、道の途中で立ち止まると厄介らしい。挫折したりとん挫したり、スタートすらせずに立ち止まってる奴もいるらしく、そういう根性のないのは「生前のビデオ観てる」らしい。そこに天国か地獄という概念はない。「ずっとビデオ観てる。好きじゃないとこ納得するまで巻き戻して観てる」永遠にそれやってるとしたら、地獄だと思うのは私だけなのだろうか。

三途の川の中

この世とあの世には歪みがあって、アイレベルが違う。この世の者があの世を覗く時、私に限っては水面から顔を出してあちら側の様子を頑張って伺おうとしている。対岸に行こうと泳ぐ意識を持って行っても距離は縮まらないので、死んで体と魂が切り離されないと駄目みたいだ。
あちらの世界と川を隔てて繋がっているのは間違いないようで、あの世の住人は成仏したものに限り容易にこちらに来ている。
ここからは憶測なのだが、川に飛び込んで呼んでくれた人の側にワープしてるんじゃないかと思うんだよ。
父が実際に死んだらしき日に、私は100Kmくらい離れた土地にいたんだけども、簡単に飛んできたからな。父が死んだ原因の話は強烈なんだけど、話が長くなるから割愛する。

現世であるこちら側が川の中という憶測。肉体がある我々がめだかの学校の生徒なのかもしれない。

気になったらめだかの学校を歌ってみたり、歌詞を朗読してみると良い。
なんかゾクゾクする。この世に生まれて何やってるかの意味が何となく理解できればそれで良いんだ。


カバーにお借りした画像はリンクが貼れなかった。(https://illustphoto.com/?dl=87)わかりやすい川の画像、ありがとうございます。




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