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ペットロス・ロスト


人との死別には、お通夜や告別式
初七日や四十九日の法要が節目で執り行われ
合間には、事務的だけれども
しなければならない諸手続きがある。

悲しみに浸りながらも、生きていく人が
日常生活という日々の営みへ戻るのに
よく出来たシステムだなと、常々思っていた。

残された人たちが皆で、故人を偲びながらも
お別れのプロセスを踏んでいくのは
公に悲しむのを許される時間でもあって。

悲しむ人が悲しめることと
悲しむ人を悲しむままに許すことは
健全な姿なのだと思わずにいられない。

ラルゴの病気が判明してから逝くまで
瞬く間に過ぎた3週間。

今日は看取ってから2週間と3日。
ペットとのお別れは呆気ないと
心の隅で感じている。

火葬の手配を慌ただしく済ませて
ラルゴの遺骨を受け取ったのは
臨終から3時間も掛からなかった。

ラルゴの名残りを消そうとした訳ではないけれど
マーキング防止に家具へ掛けていたカバーや
不要になったペット用品を片付けたり。

役所に飼い犬の死亡届を提出したり。
捨てるには惜しいペットフードなどの消耗品を
里親活動をしている団体へ寄付したり。

翌日から、あれやこれや動いて
1つこなすと本当にいなくなったんだなと
改めて実感する。

そんな中で、仕方ないことだとか 
もう犬なんて飼わないほうがいいだとか
的外れな慰めの声を掛けられて
犬や猫との別れは
急かされている様にすら感じた。

その割に自分が平静を保っていられるのは
私の家族と、極々親しい友人たちが
痛みを理解して寄り添ってくれる人ばかりで
間違っても「悲しむな」などと
明後日な慰めを言うような人が
1人もいなかったからだろう。

そして、もう1つ理由を挙げるとすれば
ラルゴに対しては明確に犬を飼うという目的で
我が家に迎え入れたからだろうと思う。

私が最初に飼ったパグは
生まれて初めての犬だったこともあったけれど
流産をして落ち込んだときに縁があったので
色々な意味付けをして溺愛した犬だった。

あれはペットとして犬を迎え入れたのではなく
なくしたものを穴埋めするためや
辛いことから目を背けるためだったので
まさに飛び付いた。

当然、ペットロスの期間は長かった。
18歳と長寿を全うし、眠るような最期だった。
それでも、いなくなったことが受け入れられず
生きていた頃の名残りを見つけると
ボロボロと、いつまでも泣いた。

寝床に落ちていたドッグフードの1粒
掃除でモップに絡む白く短い毛
そんな物があるだけで、いつまでも悲しめた。

それでも子パグが残っていたことと
近所で保護された生まれたばかりの子猫を
娘の希望で飼ったことが
寂しさを紛らわしてくれたと思う。

ラルゴはパグ2匹と死別の辛さを体験し
それでも、また犬を迎えたいと機会を伺っていて
迎えた犬だ。

正しく犬と人として向き合っていたつもりでも
彼を溺愛した分だけ、辛いのは仕方がない。
それだけ、いい男だったし。

今は、近所にいる【さくら猫】の兄弟が
気まぐれにウッドデッキや庭へ訪れるくらいで
自分たちが飼っている犬や猫は
完璧に居なくなった。

我が家が人だけになったのは
実に24年振りのことになる。



後始末をしていくことで
自分で、愛犬の影を消していく。

自覚してのお片付けは
正しく寂しさに向き合っているような
そんな気にすらなる。

悲しいと感じている自分を
そのまま素直に動かした結果は
部屋の大掃除では止まらず
模様替えにまで至った。

料理している横に来られないよう
台所の間に設置していたゲートを外し
ついでに棚や本棚の向きを変えた。

広くなったリビングには
人をダメにするビーズクッションを置き
テレビを見ながらダラダラ出来るようにした。

皮肉なことに
犬や猫がいなくなったからこそ
可能になった模様替えだ。

犬や猫たちがいるときに
このクッションを設置しようものなら
あっという間に占拠され
毛だらけになったことだろう。

家が、広い。

クッションに身を投げ出して
手足をだらんと伸ばしても
飛び乗ってくる輩はいない。
ずっと静かだ。

先日は家族全員で、帰省旅行もした。
ペットホテルの空き状況や
お迎えの時間を気にすることなく
ゆとりを持っての移動は楽だった。

こんなに悲しいことの中にも
ポジティブな面が存在している驚き。



自分の感情が不意に乱れ
一気にネガティブに傾くのは
6年間で染みついた習慣が不要になったと
気付くときだ。

野菜の芯や端切れを、犬のおやつにしようと
まな板の隅に集めているとき。

犬が吠えだすからと
玄関のドアをそっと閉めるとき。

犬に取られないようにと
食べ物をテーブルの真ん中へ置くとき。

もう、いない犬の為にしている
無意識の行動を自覚した瞬間に
私はバランスを崩して
まだまだ悲しむ。



ペットロスの期間がどれくらいか
期間中に、どんな状態になるかは
人それぞれだと思う。

けれどもペットロスは、お別れの儀式だ。
法要で徐々に喪失が癒えていくように
ペットロスで悩む時間は
飼い主の最後の務めにも似て
健全なお別れのプロセスだ。

ペットロスが消えるときは
飼い主に全てが吸い込まれるように
悲しみも薄れて、消えていく。

今しか悲しめないことを
正しく悲しんで、何が悪いの?

ペットロスを責める人たちや
ペットロスに陥る自分を責める人たちに
声を大にして、そう伝えたい。

私のペットロス消失点は、もう少し先だ。


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