大福すあま

それでも、犬が好き

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最近の記事

写真嫌いが故に、苦肉の策でポストカードを描いた話

ラルゴの保険金請求が、通らなかった。 正確にいうとアプリからの申請ではなく 所定の書類一式を送るので 再度、申請して下さいといわれた。 そもそもラルゴは検査をしたものの 手術や治療を全て中断したので 検査と貧血への対処療法しかしていない。 正式書類を提出したところで さして変わらないのに… まぁ、いいか その時は軽く考えていたが 再送付された書類を見て固まる。 獣医師さまにご記入いただく書類として 保険会社指定の診断書が入っていた。 …また病院に行けとか、嘘でし

    • ラルゴからのマーキング被害

      喘息持ちで喉が弱いのもあって 冬は石油ストーブを着けることが多い。 円筒形の中心に火をつけて 熱を全方向に対流させるタイプなので 子どもの友達が我が家に来たときには 「古いストーブだ!」と驚かれた。 自動着火のスイッチが壊れしまったから マッチを使って点火していたのも その一因だろう。 「電気やガスは新しいもので 火を使うのは古いものなんだよ」 口の立つ子が、そう解説してくれて あぁ、そうなんだ、と返したが 子どものド直球な言葉は 今、思い出しても笑いが込み上げる。

      • 私の認識力 = 愛情指数

        私は記憶力というより、認識力が低い。 例えば、漫画のキャラクターは 記号が似ていると混同しやすい。 少年漫画にある尖った髪の毛だけで サンデー連載の漫画も ジャンプ連載の漫画も ほぼ同じに見える。 さらに言えば、勝手な脳内変換も多い。 ワンピースに出てくるチョッパーを バイキングヘルムを被っている小ぐまと つい先日まで思い込んでいたし *【B.B.クィーンズ】(古い…)にいた 男性ボーカルみたいなキャラが 骸骨だったのを知って驚いた。 検索したら名前はブルック。 *

        • AIが描く私とラルゴ

          旦那の知名度は、それ程、高くないけれど イラストレーターとしては中堅以上で 「アレの、この絵を描いた」といえば 大体の人が驚く。 その驚く理由は大体、以下の3つ ①そういう絵は作者本人が描かないの? ②これって写真取り込みじゃないの? ③そんな仕事に携わっていたの? イラストには名前が出ているものもあるし 出ていないものもあるから 相手の反応は、当然なのかなと思う。 もっと根本的な問題として 【イラストレーター】という言葉に 優雅なイメージを抱く人が少なからずいる。

        写真嫌いが故に、苦肉の策でポストカードを描いた話

          ラルゴに向ける熱量で、誰かと繋がること

          ラルゴの全盛期というのか 1番運動量が多く元気が有り余っていた頃 彼は、立っている私の顔まで飛び付いてきたし 旦那の肩に顔を乗せるぐらいには ジャンプすることができた。 散歩中、何かに驚くと 文字通り「飛び上がって驚く」ので 飛び付かれたこっちも 脅威のジャンプ力を見た周囲も 一緒になって驚くことになる。 何度も思い出に蘇ってくる その場面は鮮明に繰り返されているけれど それが実際に起きた通りのことかといえば 少し違うのだろうと思う。 それは、ドラマや映画の本編で 目を

          ラルゴに向ける熱量で、誰かと繋がること

          怪しんだスピリチュアルに救われる

          「ラルゴは、もう助からない」 感覚的に悟った瞬間が、確かにあった。 もう別れは、絶対に避けられないし すぐそこまで来ているのが分かって 私はラルゴにとっての最善を想像して 最期の瞬間まで、尽くした。  私は縁あって神職資格を保有しているが ラルゴの病気が治りますようにと 神頼みはしなかったし 正直、思い付きもしなかった。 正確には、神社に1度だけ参拝した。 けれどラルゴを助けて下さいと お願いをしていない。 もう、治ることは叶わないと 自分が確信していたからだろう。

          怪しんだスピリチュアルに救われる

          子どもとラルゴに使った、美しい抱っこ紐

          子どもが生まれた当時 私たち夫婦は車がないばかりか 免許すら持っていなかったので 移動は徒歩か自転車・公共交通機関のみ。 そのためベビーカーは最軽量のものと 安全性重視の2本立てで考え どれにするかは、すぐに決まった。 一方で、抱っこ紐は何にするか 迷いに迷って、なかなか決められなかった。 肩や腰の負担が少ないだとか 通気性が良いだとか 装着がしやすいだとか 生まれて来る前の試着は限られているし 実際に赤ちゃんを入れたらどうなるか あれこれシュミレーションしてみるもの

          子どもとラルゴに使った、美しい抱っこ紐

          二極世界の騙し絵に描かれる「生」と「死」

          私には嫌いなものが、明確にある。 人混みや騒音が嫌い 報道番組が嫌い 馴れ馴れしい人が嫌い。 日常生活での嫌いなことは 執拗なまでに目に付き、耳に障るので 自分には病的な面があるのだと ひっそり思っていたが 結局は 静かな場所での自分の時間 身近に起きる美しい変化 距離感の心地良い人付き合い そういったものを、この上なく愛していて こだわりをもって大切にしている その裏返しに過ぎず 自分にとって心地良いものを 分かりやすくするため 嫌なものには敏感なのだと自覚した。

          二極世界の騙し絵に描かれる「生」と「死」

          自己肯定感を上げてくれた犬という存在

          犬を飼うことは、人が生きる上で 決して必要なことではない。 盲導犬や介助犬がいることで 活動範囲が大幅に広がるとしても いなければ生きていけないという人は 恐らくいないだろう。 訓練をクリアした犬であることや 必要性の高さは全く違うけれど 自分の人生をより良くする為に 相性の良い犬と共生をしている点は 犬を飼うことの共通項だと思っている。 旦那は、野良犬や捨て犬との遭遇が 珍しくなかったそうなので 「いたから飼っていた」と話すが それでも、相性や波長が合わなければ 飼う

          自己肯定感を上げてくれた犬という存在

          最後の黒棒と、末期の水

          病気で日に日に痩せ細るのが確実なので とにかくラルゴが口にするものを探して 少しでも多く、食べさせようとした。 普段から食べているカリカリドッグフードに ウェットタイプの缶詰を購入し おやつには【いなばワンちゅーる】 その日の気分や体調で ラルゴが食べたいものを選ばせた。 わんチュールの食い付きはさすがで  水分補給用と総合栄養食の2種は それぞれ20本入を用意する。 そのまま食べるだけでなく 途中で飽きたエサにトッピングして 完食させるのにも役立った。 栄養食のち

          最後の黒棒と、末期の水

          ペットロス・ロスト

          人との死別には、お通夜や告別式 初七日や四十九日の法要が節目で執り行われ 合間には、事務的だけれども しなければならない諸手続きがある。 悲しみに浸りながらも、生きていく人が 日常生活という日々の営みへ戻るのに よく出来たシステムだなと、常々思っていた。 残された人たちが皆で、故人を偲びながらも お別れのプロセスを踏んでいくのは 公に悲しむのを許される時間でもあって。 悲しむ人が悲しめることと 悲しむ人を悲しむままに許すことは 健全な姿なのだと思わずにいられない。 ラ

          ペットロス・ロスト

          メモリアルフォト

          病院で余命宣告を受けてからの2週間は 常に目が届くところで世話をして 私は最高の従者となるべく ラルゴの挙動を見逃さないようにしていた。 至らない点はいくらでもあって 準備不足や勉強不足を悔やんでいるけれど あの時に出来る最善を尽くした それだけが救いになっている。 今、1番の後悔は何かといえば ラルゴとの写真が少ないことに尽きる。 ラルゴの写真は残しているけれど ほとんどは私が、自分のスマホで撮ったので 単体か、旦那の上で寛ぐラルゴが多い。 解せぬ。 ラルゴと一緒の

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          ERで掛かった医療費

          ラルゴの詳しい検査や輸血などの処置を 近所の動物病院では出来ないといわれ ERを紹介された。 掛かり付け医が間に入ってくれたので 初診予約時にどんな話しがされたのかは 全く分からない。 初回に予想される治療費の説明は わざわざ先生が確認してくれたのかなと そう思っていたのだけれど ERでも、検査や入院にかかる費用を 比較的早い段階で説明されて これくらい掛かりますが、大丈夫ですかと 簡単な同意を取られた記憶がある。 入院に際しては、内金10万円。 会計が現金のみだったら

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          さきのないさよなら

          私は、ラルゴと一緒にいると その時々で起きることに、いちいち反応して 湧いてくる感情に飲み込まれる。 ラルゴが甘えてきたり ラルゴが楽しそうだったり そんな時は、一緒に幸せに感じるけど ラルゴがテーブルに上ったり ラルゴが椅子にマーキングしたり そんな時は、本気で叱っていたし 片付けしながら腹を立てまくっていた。 ラルゴが病気になって 死に向かっていくのを見る時は 寂しいや悲しいを通り越して ただただ苦しかった。 胸も重いし、息苦しいし ラルゴがいなくなった後の毎日が

          さきのないさよなら

          掛かり付け医に最後の挨拶

          もう残された時間は、数日。 神様の奇跡が起きない限り ラルゴと10月は、迎えられない。 9月11日に手術をキャンセル 全ての検査結果は出ていなかったが ERでの治療や診察を終了する。 9月12日は、かかりつけ医に挨拶へ行き 検査結果と、ERでの診断を伝え 手術や輸血などの措置を止めて 家で過ごさせることを報告した。 「そうですか、辛かったですね…  でもラルゴくんには1番いい決定かな」 ラルゴは抱っこ紐から顔を覗かせながら 先生と私の会話をじっと聞いている。 「貧血

          掛かり付け医に最後の挨拶

          飼い主が決める、残された犬の時間

          ラルゴに長く生きてもらいたいのではなくて ラルゴと一緒の時間を愉しみたい。 なので、入院先で延命処置の輸血をしつづけ 命を繋ぐだけの治療では意味がないのだと やはり思ってしまう。 無理に手術をお願いしたとしても 術後の回復や、貧血症状が緩和する速さと 転移した腫瘍で症状が悪化する速さとでは どちらが速いのか。 経過によっては、入院が長引くかもしれない。 手術中の万が一だって、ある。  その可能性を考えると 手術は必ずしも 私が望む結果には繋がらない。 ラルゴにとって

          飼い主が決める、残された犬の時間