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最後の黒棒と、末期の水

病気で日に日に痩せ細るのが確実なので
とにかくラルゴが口にするものを探して
少しでも多く、食べさせようとした。

普段から食べているカリカリドッグフードに
ウェットタイプの缶詰を購入し
おやつには【いなばワンちゅーる】

その日の気分や体調で
ラルゴが食べたいものを選ばせた。

わんチュールの食い付きはさすがで 
水分補給用と総合栄養食の2種は
それぞれ20本入を用意する。

そのまま食べるだけでなく
途中で飽きたエサにトッピングして
完食させるのにも役立った。

栄養食のちゅーるを食べなくても
水分補給用は食べることもあったから
意外と味の違いがあるのかもしれない。

お世話にはならなかったけれど
薬を服用する助けになるちゅーるもある。

掛かり付け医の受付嬢から
最後の挨拶へ行ったときに
サンプルを1本いただいた。

錠剤そのままで飲んでくれないときに
砕いて粉状にしたものをコーティングする為の
ハードタイプちゅーるといった感じ。

鼻先が短くて口を開けるのが難しい犬や
錠剤のままでエサに混ぜても気付く犬には
恐らく重宝するだろうと思う。

この頓服用ちゅーる単品だと
ラルゴはそっぽを向いて、食べなかった。
いやしいのに、意外にもグルメで驚く。

意外なことは、もうひとつあった。
食欲が明らかに減っているにも関わらず
台所で料理をしているとフラフラしながらも
仕切りの手前で、スッとお座りをして
野菜の端切れが来るのを待っていた。
料理の合間、柵越しに何度も目があう。

いや、ラルゴ…
お前、いやしいな?

食べようという意思を見せているのだから
にんじんやきゅうり、レタスなど
害のない野菜を与えると
奪うようにシャクシャクと食べた。

初めて、茹でた鶏のササミをご飯に出すと
ラルゴは目を剥いて、ガツガツ食べた。

横取りは許さないとばかりに
食べるときに出す威嚇の唸り声も
久しぶりに聞いた。
余りの美味しさに、独占欲が刺激されたらしい。

ウヒョーッ‼︎ 何コレ⁈
なに、この美味しい食べ物はっ!
スゲーッ!ウマ〜ッ‼︎

勝手なアテレコだが、食べる勢いや表情は
間違いなく、そう語っている。

餌皿のささみを一気に食べ尽くすと
静かにおすわりをして、熱い視線をよこした。

この高貴で美しい姿勢は
食べ物を要求するときだけなのが
残念でならない。

品評会でのポージングさながらに
姿勢よく座り、じっと動かないラルゴは
その時も、賢そうに見えた。

うん、よかった…
追加のささみをやりながら思う。

本当は、病気なんかじゃないでしょ?
ただ単に、もっとウマい物を食わせろって
食欲がないフリをしただけなんじゃない?

そうでなくても、この食欲を維持できれば
貧血の進行を抑えられるかもしれないよね?

薄いだし汁と茹でた野菜を入れた雑炊
スープやヨーグルト
果物も与えた。

ラルゴが未知の味と遭遇して
目を見開き、ウヒョーッと
嬉しそうに食べる姿見たさに。



ERの先生は、手術などの措置をしなければ
持って2〜3週間だろうと話していた。

実際に治療を打ち切ってから5日で
固形物は、ほぼ食べなくなってしまったから
医学的見地からの言葉は的中していく。

あんなに喜んでいたささみを差し出しても
ぷいと横を向いて、食べたがらない。

ペースト状のものも次第に食べなくなり
ボンヤリと虚な目で体を横たえたまま
時折、思い出したように
水や牛乳を飲むだけになった。

もう食事と呼べるようなものには
全く反応をせず、見向きもしない。

病気の進行は、医師の予言通りで
もう神様の奇跡は起こらないんだなと 
縋る気持ちも消えていく。

残された僅かな時間を、神頼みではなく
ラルゴと過ごすことに、可能な限り集中した。

最低限の家事や、子どものお弁当作りはしても
自分のことに労力を使うのが面倒で
お腹が空くと、ラルゴを抱っこしたまま
食事代わりのビスケットや焼き菓子を食べた。

その日「黒棒名門」というお菓子を食べていると
ふとラルゴが顔を上げて、鼻を鳴らす。

黒砂糖と小麦粉、卵で作られた焼き菓子で
外側は焼いた砂糖の食感でシャリシャリ
中は空気を含んで、ふわふわとしている
素朴で美味しいお菓子だ。

食欲がないときや、時間がないときは
牛乳と黒棒で済ませてしまうくらいで
腹持ちも悪くない。

切らさないようにしているので
お茶の時間には、必ず誰かが食べていて
ラルゴは、崩れて落ちた黒棒の欠片や
個包装の袋に残った粉にありつこうと
常に虎視眈々と狙っていたものだ。

ちなみにトップの画像は
ふかし芋だったかを旦那が落とした瞬間
ラルゴが見事な空中キャッチを決めてしまい
ムキになった旦那が意地でも食わせるかと
取り上げているところ。

我が家に来て間もない頃の、懐かしい写真は
ラルゴの鼻筋が、まだ茶色い。

食べていた黒棒を、少しだけちぎり
食べる? そう口元に寄せると
ラルゴはゆっくり口を開けて、食べた。

食べた後、もう無いのかと
私の手のひらを嗅いで、黒棒を探すので
新しいものを袋から出して
そのまま差し出す。

手のひらの黒棒が、ほろほろと崩れ
ラルゴの口に入っていった。

あぁ、ずっと食べたがってたよなぁ
力なく、それでも時間を掛けて完食すると
牛乳を少し飲み、こちらをじっと見てくる。

これ、スゴく美味しいねぇ…
そんなセリフがぴったりの満足そうな表情で
ラルゴは自分の口の周りを舐めたあと
私の手のひらまで舐めた。

弱々しいけれど
間違いなくウヒョーな反応。
これが最後に食べた固形物になった。 

9月18日
私たちが食べていたものを
そのまま分けていれば
もっとラルゴは何か
食べてくれたのかな…

ラルゴの反応に泣きながら書いたメモが
手帳に残っている。



ラルゴが人間を、どう認識していたのか
私には想像もつかないけれど
自分とは違う生き物ということと
それでも同じ群れに属している仲間
それぐらいには考えていたと思う。

だからなのか、ラルゴは人と同じタイミングで
一緒に食べることへの拘りがあった。

旦那が夜に活動をするフリーランスなので
食事やお茶の時間は1日に5〜6回にもなるが
ラルゴが起きてリビングにいるときには
何かしらの食べ物を与えていた。

それでも、人が食卓で食べているものを
そのままラルゴにやることはしなかったし
寝床も神経質なラルゴの性格を配慮して
寝室とは別の部屋に設置していたので
全てを一緒にはしていなかった。

犬と人の間にあった線引きを
最後の最後に取り払ったことが
ラルゴの刺激になったのかなと思う。

生きる力がなくなるほどに衰弱している犬
人が食べているものを分けるという
群れの行動を擬えるような行為は
悪くないのかもしれない。

そんな飼育論は聞いたことがないけれど
犬は人が考えている以上に
人と自分の間に存在する差を認識して
色々と考えていたことは間違いないと思う。

最後に線引きを無くしたことは
同列にも等しい家族という仲間だったと
伝える行為になり得たのではないかと
言い訳にも似た解釈をして

だからこそ、改めて自分はラルゴにとって
どんな存在だったのかを想像すると
自責の念に近い感情が湧き出してくる。




9月19日以降
ラルゴは牛乳も水も飲まなくなり
前日までは数回あった排泄も
1度の失禁以降はなくなった。

生きるための機能を、少しずつ止めていく
そんな段階に入ったのだなと
横たわるラルゴを見続ける。

苦しくない? 痛くない? 大丈夫?
ただただ撫でながら話しかけると
ちろちろと僅かに瞳が動いて反応するも
視線は全く、合わない。

9月20日・午前2時半過ぎ
突然、ラルゴが顔を上げたので水を飲むかと
顔に水を近づけてて飲ませようとしたら
ラルゴは上半身をグッと起こすと
力を振り絞るように立ち上がり
もの凄い勢いで、水皿から水を飲み始めた。

舌がすくい上げた水を飲み込むたびに
喉がグッグッと鳴って
文字通りに飲み干す勢い。

ラルゴの足はピンと伸びたまま絡れて
立っているというよりも突っ張った足が
辛うじて体を浮かせているといった風だった。

本人も苦しかったのだろう
フーッ、フーッと荒い息の音が
水を飲む間に溢れる。

私は自重で骨が折れてしまいそうな
ラルゴの痩せ衰えた体を支え
その異様な勢いに気押されると同時に
不吉な、そして哀しい予感がしていた。

飲み終えると、足からぐにゃりと力が抜け
崩れるように倒れこんだラルゴを
膝の上に乗せて抱っこをする。

びしょ濡れになった顔を拭きながら
美味しかった? 満足した?
声を掛けるが、表情は変わらない。

ラルゴは呼吸で上下する胸以外は
ぴくりとも動かなくなって
虚な目をしたまま
4時間後に永眠した。

ラルゴが自力で飲んだ水は
まさに末期の水だった。

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