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写真嫌いが故に、苦肉の策でポストカードを描いた話

ラルゴの保険金請求が、通らなかった。

正確にいうとアプリからの申請ではなく
所定の書類一式を送るので
再度、申請して下さいといわれた。

そもそもラルゴは検査をしたものの
手術や治療を全て中断したので
検査と貧血への対処療法しかしていない。

正式書類を提出したところで
さして変わらないのに…

まぁ、いいか

その時は軽く考えていたが
再送付された書類を見て固まる。

獣医師さまにご記入いただく書類として
保険会社指定の診断書が入っていた。

…また病院に行けとか、嘘でしょ?
思わず声に出たくらい驚く。

いや、ありえないよね?
ラルゴがいなくなったのに
今さら、私だけで動物病院に行けと?
何の罰ゲームだよ、これ⁈

保険請求は遡って3年可能ですとあるが
今、無理なことが3年経って変わるはずがない。

リアル ミッション インポッシブル
無理無理無理無理ムリ…
1か月苦悶し続けた。

けれど、保管していた診療明細書をみて
気持ちが揺れ動く。

ラルゴのたった5日間の検査や治療では
30万円近くが掛かっていて
決して安くはない額だった。

当初は更に高額になる手術代も
出来ることはしてやろうと
躊躇なく払おうとしてくれた旦那に
感謝の意味も込めて、お金は渡したい。

保険金の申請をすれば
間違いなく、何万円かは支払われる。

保険料は5年支払った。
保険金をもらうのは当然の権利だし
診断書をもらいに行くぞと
一大決心をした

ラルゴを思い出させる場所へ
お金のために足を運ぶということが
さもしい感じもして、苦しい。

それでも、私が第三者の立場なら
貰えるものは貰って当然だと言うはずだ。
お金はあるに越したことはない。



決心すると不思議なもので
「そういえば」と思い付くことがある。

最後だからと、それぞれの先生に
ラルゴと一緒の写真を撮らせてもらったので
せっかくの機会だから渡そうかと
その時も、思い付いた。

けれども、もう1人の超絶ネガティブな私が
ヒソヒソと囁きかけてくる。

渡して、喜ばれると思う?
迷惑なだけなんじゃない?

実際に私は、余程のことがない限り
人の写真を撮るのも、撮られるのも嫌い。

卒業アルバムの類を捨てようとしたところ
親が断固反対して、引き取った。
今は大切な写真が、手元にほんの少し。
その中にラルゴの写真は入っている。

私にとっては、特別な写真でも
獣医師にしてみれば
飼い主から頼まれて撮った
来院した1頭に過ぎない犬との写真な訳で
突然に渡されるのは、いかがなものかと。

ましてやERの先生は男性なので
にこやかな表情で写ってはいるけれど
たった3日しか診てない犬との写真なんて
全く不要なものに違いない。

自分が写真嫌いなだけに
真剣に悩む。

さらにいえば、写真だけ渡しても
「この犬、どこの犬だっけ?」
そんな塩対応になる可能性が大いにある。
むしろ、そうなる状況しか思い浮かばない。

たとえ写真1枚だとしても
ラルゴが認識されないなんてことが
あってたまるか!という気持ちが湧く。

写真は捨てられるのは仕方ない。
だが、しかし!
ラルゴだったことだけは
ハッキリと認知させねばならぬ。

親バカならぬ、飼い主バカが
ここにきて覚醒した。

しばしの葛藤を経て
私は苦肉のポストカードを作成し
写真へ添えることにする。



以前の仕事場で支給されたファイルは
社員もパートも同じものだったので
すぐに自分のものと分かるよう
旦那にラルゴのイラストを
表面に描いてもらった。

旦那の絵は素人の落書きとは違うから
市販品かのような空気が漂っていて
上司にどこで買ったのかと
聞かれたこともある。

単純作業で拘束されるなか
ラルゴの絵が目に入ると力が抜け
気持ちを持ち直せた。

余りにも可愛くて、退職した今も
ファイルは使っている。
その絵を複写した。

最大の目的である「どこの犬」かは
間違いなく伝えられる。

私は菓子折りと写真をもって
診断書を受け取りにいった。



動物病院に足を運ぶ前に
そんな紆余曲折があったが
亡くなった犬の診断書を
無事、手にすることができた。

ラルゴの最期の様子を伝え
お礼を言うこともできた。

そして、ラルゴの写真を
ポストカードと一緒に渡す。

先生の優しそうな表情と
ラルゴのばっちりカメラ目線は
我ながら良い写真で。

ポストカードも元が良いお陰で
何とか見られるレベルに仕上がる。

旦那が修羅場中でパソコンを使えず
文字も全て手書きになったポストカード…


本当にそっくりだと
皆が笑って写真と見比べていた。

「こっちをじっと見ていた
 ラルゴちゃんを思い出します」

受付嬢は顔をくしゃっとさせて、そう言った。

「飾らせてもらいますね
 本当にありがとうございます」

先生の一言に、思わず涙が出た。
写真を喜んでもらえるとは思わなかったし
ましてや飾りますと言われるなんて
思いもしなかった。

数回しかお世話にならなかったのに
ラルゴのことを覚えていてくれたのが
何よりも、嬉しくて仕方がない。

ラルゴのお陰で、私はまた
良い経験をすることができた。

本当にありがたいと思うし
幸せだなと感じる。

私は狭量で臆病で、内弁慶で
それを知られないように取り繕う
いいカッコしいだから
本当は、すごく生きにくい。

そんなところも、私たちは似ていた。
それでもジタバタ身悶えしながら
自分と折り合いをつけてやっている。

まだまだ悲しい。
それでも、これまでの時間を思い出すと
じんわり喜びも湧いてくる。

Thank you for everything
I will never forget you!

ポストカードのメッセージは
先生に向けて書いたつもりだったが
私がラルゴに贈る感謝の言葉だった。

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