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自己肯定感を上げてくれた犬という存在

犬を飼うことは、人が生きる上で
決して必要なことではない。

盲導犬や介助犬がいることで
活動範囲が大幅に広がるとしても
いなければ生きていけないという人は
恐らくいないだろう。

訓練をクリアした犬であることや
必要性の高さは全く違うけれど
自分の人生をより良くする為に
相性の良い犬と共生をしている点は
犬を飼うことの共通項だと思っている。

旦那は、野良犬や捨て犬との遭遇が
珍しくなかったそうなので
「いたから飼っていた」と話すが
それでも、相性や波長が合わなければ
飼うという決断には至らないはずだ。

そう考えると、一緒に暮らす犬は
単純なペットなのか役割を与えられるのか
そういった差異があったとしても
完全に人間の一存で縁を作っている。

犬を飼うことができる環境にあった自分は
ラルゴと偶然に会う幸運に恵まれた。

ペットショップで売れ残ったイタグレは
価格相場の半額以下になっていたので
購入時のハードルが下がっていたし
成犬になっていたラルゴは
警戒していても、体を撫でさせてくれたし
戸惑いがちに尻尾もふった。

先住犬だったパグへの拘りから離れ
新しい犬との生活を始めるには
最適な犬種に感じられたし
何よりも、一目惚れの恋に落ちた
それが全て。

私は、私にふさわしい犬を見つけ
自分の人生に彩りを添えた。

その色鮮やかな日々が終わりを迎え
ラルゴがいなくなった今、改めて考える
私が犬との生活を望んだのは、何故だろうと。

不幸にして飼い主が先立つこともあるが
一般的に、犬のほうが人よりも早く老いて
その一生を終えてしまうのだから
必ず私たちは、辛い別れを体験することになる。

それを承知の上で、ラルゴを望んだのは
どういった充足感を得たかったのだろう?

単純な癒しではなく
もっと深い自己肯定感を満たすために
私は、ラルゴを側に置きたかったし
犬との暮らしを望んだのだけれど
深く考えたことはなかった。



犬を飼うメリットに挙げられることに
情操教育に良いとか、健康維持に役立つとか
犬との触れ合いによる精神的な充足とか。

東京都で実施されたアンケート調査で
ペットを飼う・飼い続けたいの理由は
「心を癒してくれる」が1位で67.9%
次いで「動物が好き」50.4%
「かわいい」35.1% という結果だったと
東京都生活文化局が発表している。

2018年1月29日だから資料が少し古いが
実際に犬に触れると幸せホルモンが分泌され
癒し効果があることは実証されている。

私もラルゴが取る特定の行動ではなく
ラルゴの存在そのものが癒しだった。

臆病で内弁慶で、自分勝手な甘えん坊で
マーキングしまくりの犬だったのに
何で幸せホルモンが垂れ流しになったのか。

犬と過ごすメリットを感じる
根本的な認識って、何だったんだろう?

ラルゴとの日々で得た幸せを分析すると
私は、私が望む自分になる為に
ラルゴを利用していたのだと思う。

言葉にすると身勝手極まりないが
そう思わざるを得ない。

犬は住まいと食事・一定の安全を条件に
言葉が通じない私たちに妥協を重ねて
ある程度従い、人が喜ぶ行動を見せてくれる。

ラルゴが、どんな気持ちで過ごしていたのか
どんなふうに私を認識していたのか
勝手な想像しかできない。

ラルゴが交換条件で示してくれる
概ね好意的で、多少の信頼が含まれた
態度や行動にドップリと甘えながら
自分が上位の者として、在りたい姿を叶えて
満足感や癒しを感じたのだと思う。

犬のトレーニングをするときには
有能な指導者でいたかったし

人にとって迷惑な行動を取られれば
寛容に受け入れる人格者を気取ったし

犬との散歩で行き交う人たちと
社交的に関わる自分を装ったし

何よりも、ラルゴみたいに魅力的な犬を
飼っているというだけで
自分の中でのステータスは爆上がりで

それくらいラルゴは色々な私の
隠れた欲求を満たしていた。  

私の欲求が思い通りに満たされず
振り回されるばかりの毎日で
怒ったり、落ち込んだりしても。

それでも無条件で
ラルゴに愛情を注ぐ自分がいた。 
はっきり言って、奇跡だ。

私はラルゴがいてくれたお陰で 
自分を少しだけ、見直すことができた。

美しいラインを描く体躯
颯爽と軽やかに歩く姿
神経質で人見知りの性格
マーキング癖に無駄吠え

躾は入らなかったし
警戒も完全には解いてくれなかったし
手のひらをしたたかに噛まれて
血の気が引いたこともある。

それでも、私が選んだ
私にふさわしい最高の犬。

私は犬を飼うという贅沢で
6年間の素晴らしい時間を得た。



人は群れでしか生きていけない。
どんなに厭わしくても
私は国とか社会とか、家族という群れで
最低限の義務を果たしているから
今、ここで生きているのを許されている。

それでもときどき
なめこの間にあるような粘膜が
自分と他者の間にもあって
まとわり付くような、繋がれているような
そんな閉塞感を感じるときがある。

息苦しさで身動きがとれないとき
私は人の群れから離れて
ラルゴとの関係に癒されていた。

ラルゴがいない今
人の群れが、過ごしにくい。

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