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外国語を話せる能力と仕事を遂行する能力

 「外国語を話したり書いたりできるようになる」ということは、相当脳のリソースを食う作業なのだと思っている。だから、なかなかできるようにならないし、必要に迫られたり猛勉強したりしないと身につかないのだろう。少なくとも、車の運転やパソコンを使えるようになるスキルよりは大変なことなのだろうと思っている。
 だから、会社の中でも一般社会でも、外国語ができる人は重宝されるし、高い給料をもらうことができる。最近でこそ、Googleはじめ翻訳してくれるデバイスが世の中に溢れているが、それにしたって特殊技能であることには間違いない。
 これは特に日本だけがそうなのかと言うと、フランスでも英語の話せるフランス人は割と得意げに英語で話してくるので、世界共通なんじゃないかと思う。なんとなく、海外に行くと海外の人はみんな英語を流暢に話しているような印象があるかもしれないが、それはホテルや土産物や、留学関係の人など英語を使う仕事や環境の人に会う率が圧倒的に高いからであって、そうでない生活圏の人の中で、何の必要性もなく外国語が堪能な民族がいるとは思い難い。
 だから、話せない人から見ると、外国語を話せる人というのはとんでもない異能力を持っていて、尊敬すべき存在に見える。仕事だってめちゃめちゃできそうに見える。
 ただ、これも海外で暮らしていたりした方はわかると思うのだが、外国語を理解して話せる・書ける能力と、物事をわかりやすく伝える能力は別のものである。もっというと、人を使ってプロジェクトを遂行する能力とは全く別である。なんとなく思い当たる方もいるのではないだろうか。自分も、海外にずっと暮らしていて会話には困らないが、正直ずいぶん変な人にもあったし、流暢だけど何が言いたいのかさっぱりわからない、という人も多かった。
 これは逆にいうと、人と共同作業をする遂行能力の高い人はシンプルに要点を伝えることができるから、外国語でもしっかりその目的を達成できる、という順序で、外国語が話せるから全部の能力が高いので仕事ができる、というのとはまた違うような気がする。
 それでもなお、やっぱり外国語を人前でしゃべるというのは、究極にドヤれる瞬間ではあることに間違いはない。自分だって、街中や電話でフランス人と話す機会があったら、めちゃめちゃドヤって話すと思う。どう思われようが、これはやっぱり気分いい。第一フランス語なんてまず誰もわからないんだから、多少文法がおかしかろうが、確実に流暢に話していると思われるに違いない。
 ただ、やっぱり見せられている方は、多少の憧れはありつつも、どこかやっぱり見下されているような、面白くない思いをするかもしれない。だって自分は、この隣の人が持っている能力を全く持ち合わせていないのだ。さっきの車やPCじゃないが、日常生活の中でこんな思いをすることなんてそうそうない。
 こういう想いが、漫画や小説の中に出てくる「イヤミな外国語話者」を生み出して共感を呼んでいるんだろうなと思う。人を見下す性格の悪いバイリンガルがいるところに、イケメンで性格のいい青年がもっと流暢に話して鼻をへし折る展開のやつ。

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