「新しい東北」先導モデル事業選定 「被災者を最後のおひとりまで支える次世代型地域包括ケアの推進」とは何だったのだろうか?

地域包括ケアを一言で言えば

「住み慣れた地域で安心して一人一人が最後まで生きることができる社会」
それを実現する仕組みが「地域包括ケア」

これが、現時点で僕自身が納得できる意味。

石巻で言えば、雄勝、牡鹿、北上の人も一人一人が
安心して最後まで生きられる地域であるために、必要な手段が
「地域包括ケア」。

それは、高齢者だけに留まらず、子供も子育て世代も、不登校の学生も
働く世代も高齢者も、一人一人誰もが。

SDGsでいう、誰一人取り残さなない社会。と同義であるかもしれない。

スクリーンショット 2021-02-13 11.26.41

(引用:外務省ホームページ

そのためには、民間では経済合理性から難しいことが沢山ある。
だからこそ、公立の医療機関が必要で、
石巻においては市立病院がその機能を担うはずだった・・・

「新しい東北」先導モデル事業選定
被災者を最後のおひとりまで支える次世代型地域包括ケアの推進とは何だったのだろうか?

昨日、その役目を担い、先頭に立って尽力してきた
長医師の勉強会に参加した。

長医師は、地域医療の先進地である長野県佐久市から
復興後の医療、福祉だけではなく、暮らしの再生まで
実現するために、あえて行政の中に飛び込んだ。

スクリーンショット 2021-02-13 11.36.06

(引用:内閣府ホームページより)

当初は、国の先導モデル事業になったり、
若手の医師が移住してきたり、社会福祉士の雇用を増やしたりして、
日本を代表する地域包括ケアの先進地になるように進んでいた。

しかし・・

昨日、参加勉強会に参加した住民からは
「(ある僻地の)医療や看護の計画が全く進んでいない」
「そもそも公立の病院は民間と同じことを行なって、何のためにあるのかわからない」
というように、
現地住民の僕からみても、迷走しているのは明らかであり、
石巻市が目指す地域包括ケアって何なんだろうという疑問しかなかった。

むしろ、その曖昧な言葉が原因で、
何かを行っている気になったり、誤魔化したりしている
ような気がして、嫌気がさす言葉の1つとなっていた。

その1つの原因が昨日、分かった。
詳細は、ご本人のFacebookを。

日が変わりましたが、2月12日は、生涯忘れられない日となりました。約9年間勤めた、石巻市立病院・市雄勝診療所・市包括ケアセンターを辞することとしました。                           急な表明で、関係者の皆さんには大変...

Posted by 長 純一 on Friday, February 12, 2021

僕も、デイサービスから卒業するという仕組みを続けてきて
いろんな地域で話してきた。
地域の住民や医療福祉従事者がその必要性を求めても、
ほとんど変わらないのが現実だ。

いくつか原因があるが最も本質的な原因は、トップである。
当たり前だが、現場で改善できることは限りがある。

・その組織の存在意義は何か?
・なぜ、その事業を行っているのか?
・その事業で目指す成果は何か?
・どのような人材を育成するか?
・そして、人材育成の仕組みはどうなっているか?

これらの言葉や仕組みをどう作るかで、現場はいかようにでも変わる。

「一人一人の暮らしの実現のための包括的な手段」が地域包括ケアでありシステム。

僕が勉強会でした質問は、長先生が思い描いている地域包括ケアとは、そもそもどんなものなのかと聞いた。

その応答から、冒頭にある

住み慣れた地域で安心して一人一人が最後まで生きることができる社会」
のを作る仕組みことなのだと、当たり前すぎることにようやく腑に落ちた。

地域包括ケアは、決して目的になってはならない言葉だと思う。
目的になった瞬間、解釈の齟齬が必ず生じる。
「一人一人の暮らしの実現のための包括的な手段」が地域包括ケアでありシステム。
そこには、医療や福祉だけではなく、街づくりやコミュニティーなど
一人一人に必要なことが全て包括される概念。
都合よく使われる言葉であり、包含される内容が多岐にわたるからこそ、丁寧に使う必要がある。

その実現のために、最も重要なキーパーソンを失うことになった石巻市。そして石巻市民。

昨日、最後の質問者の言葉が印象的だった

「石巻は日本の縮図である。」
「石巻の未来は日本の未来である」

石巻はどうなるのか?
石巻で、どう暮らしたいのか?

問われているのは、私たち一人一人。



サポート有難うございます。難病の治療や入院費に当てさせて頂きます。勇気頂き感謝です🙇‍♂️