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共感の不思議〜心はどこにあるのか?〜

昨日は経営実践研究会の同じチームのリーダーのえびけんさんこと戎健太郎さんと池やんこと池田裕二さんと相互インタビューを行いました。

同じグループの野中チームのインタビューの取り組みを聴いてとてもいい!と共感したので是非私たちのチームも取り入れてやってみよう!となりました。
それならまずは自分達でやってみてから拡げていこうということに。

普段同じチームで活動しているんですが、なかなか会う機会やじっくりどんなことをしていて、どんなことを目指しているのかなど関心事を聴く機会ってないんですよね。

共感していると時間の経過が早い

仕事柄組織開発などの研修でペアインタビューなどよく行います。
互いの価値観を深めていくためにペアになってじっくり話を聴いていくとはとても有用です。

今回はその後にテキストにまとめるということがあるので、ちょうど3人いたということもあって記録係も入りました。

1回目は
話し手(池やん)
聴き手(私)
記録係(えびけんさん)

2回目は
話し手(えびけんさん)
聴き手(池やん)
記録係(私)

1回目と2回目が行われたのは結果的に別日となりました。
あっという間に時間が経つからです。

仲間の経営者が今本気で取り組んでいることや、そこに至る経緯、そしてこれから挑戦したいことをリアルタイムで聴かせていただくととんでもなく勉強になり心が震えます。

根底部分での共感が生まれます。
全く違う分野であっても、同じ人間なので価値観が震えるわけです。

その価値観の実現に向けてそれぞれの専門性を活かしたかかわりや、それならこんな人知ってる?という具合で話が深まったり広がったりするので結果として気づくと2時間程が経っていました。

Time Fliesとはよく言ったもので、集中している時や夢中になっている時、また共感している時は時間の体感は飛ぶように早く感じます。

情動的共感と認知的共感

私にとってお二方のお話はとても共感する部分が多いのですが、そもそも共感とは情動的共感と認知的共感の2種類に分かれるそうです。

情動的共感

情動的共感とは、「悲しむ相手を見て自分まで悲しくなる」のように相手の感情をまるで自分の感情のように感じるプロセスのことだよ。似た言葉として情動伝染などがあり、どちらも無意識的かつ自動的に他の人と似た情動状態を体験することを指すんだ。

情動的共感に関連する脳の部位としては扁桃体や​​島、全部帯状皮質の背側部など情動に関連する部位が関与していると言われているよ。

一般的に「共感」と言われてイメージするのはこの情動的共感のことかもしれないね。

情動的共感は人のつながりを強めたり安心感を与えてくれる一方「子供やよく知っている人、自分とふるまいや社会的地位が似ている人、好ましい外見の人など特定の相手にしか生じない」「グループに属さない人を排除する行動に繋がる」といった特徴を持つよ。

『反共感論』で情動的共感について「道徳的指針として不適切である」と述べたポール・ブルーム氏は「共感が暴力にブレーキをかけることもあるが、逆に暴力に導くこともある」とも主張しているんだ。

「その気持ちわかるよ〜」と情動的共感ばかりで繋がるのは、危うい部分もあるんだね。

とくに「共感性が高くて人の気持ちを感じ取りすぎてつらい」という悩みは、この情動的共感が働きすぎていることがあるんだ。ただ、このときに感じる「この人はこう感じているに違いない」という考えは事実とは異なり「“この人はこう感じてるに違いない”と自分が思い込んでいる」ことが多いんだ。

自分の中に生じる思い込みをうまく制御しながら相手に共感するためには、次に紹介する「認知的共感」が大切になってくるんだ。

 

認知的共感

認知的共感とは、例えば相手が悲しんでいるときに「この人は悲しんでいるんだ」と理解するプロセスのことだよ。

認知的共感には脳の運動前野や下前頭回を中心としたミラーニューロンシステムや、内側前頭前皮質を中心とするメンタライジングシステム、側頭・頭頂結合や上側頭溝から成る他者視点取得のシステムが関連することが研究で報告されているんだ。

認知的共感は相手の表情や言葉、置かれた状況など相手の立場の情報を元に

「この人の置かれている状況はどういうものなんだろう」
「この人の立場ならこう考えるかもしれないな」

と推測するプロセスであり「同じような気持ちを味わう」情動的共感とは少し違う、論理的な能力を必要とする共感なんだ。

共感が社会に必要な理由

「共感」への注目は年々高まっていて、共感性に関する研究論文の年ごとの発表数が2006年から2015年で2倍以上になっているなど、研究者の間でも注目されているんだ。本屋さんや広告でも「共感」の文字を目にすることは増えてきているんじゃないかな。

なぜ「共感」がこれほど注目されるようになったんだろう。この背景には「従来の情動的共感だけでは社会が回せなくなってきている」ことが関係しているのかもしれないよ。

情動的共感だけではやっていけない

社会的本能としての共感、つまり情動的共感は認知的共感とは異なり、比較的少人数の集団の結束力を高めるために用いられる機能なんだ。

関わる人が限定されていた時代ならともかく、最近はネットワークの発達をはじめとしたテクノロジーの進歩で、遠く離れた人とも簡単にコミュニケーションが取れるようになってきたよね。

多様性を尊重する社会に進んでいることも重なって、考え方の違う人や自分にとって好ましくない属性の人を目にする機会も増えていくはず。そんなとき情動的共感だけで人と繋がろうとすると、どうしても他の集団を排除しようとしたり身内びいきを強めてしまうなど、様々な問題が起きてくるんだ。

SNSで自分とは異なる集団に対して過剰に攻撃したり、有名人への誹謗中傷が相次いだりする背景にも、情動的共感の暴走が潜んでいることが多いよ。

複雑になって広がっていく社会の中で、社会的な本能である情動的共感だけでつながろうとする危険性が浮き彫りになったことも、研究者たちの間で「共感」を改めて捉え直す動きと関係しているのかもしれないね。
https://cocology.info/sympathy/

個性によって共感の種類とバランスが異なる

私はどちらかと言うと情動的よりも認知的な共感が割合的に高い気がします。
人によっては情動的な割合が高い人がいたり、どちらかに振り切っていたりする人もいます。

どちらもバランス良く持ち合わせていることが理想だと思いますが、人間偏りや癖という個性があるので面白いです。
本当に個性によって共感ポイントも異なるので
共感資本主義など【共感】への注目が高まっている今だからこそ、様々な人の話を聴き、自分や人の共感するポイントを見極め、自身も共感を生み出せる在り方やかかわりがこれからますます大切になりそうです。

100%の共感はありえないらしいが、、、

私は産業カウンセラーとしても活動しているのですが、クライエントとかかわる際に基本的なスタンスとしてはじめに学ぶことがあります。
それがロジャースの共感的理解です。

相手と自分の境界線を意識する

臨床心理学やカウンセリングでも「共感」は重要視されているよ。だけど臨床心理学における「共感」は「目の前の人のことはわからない」という前提に立っている、という点で一般的な共感とは異なるんだ。

現在のカウンセリング理論の中でも特に広く知られている「クライエント中心療法」を創始したカール・ロジャーズ氏は、クライエントの邪魔をすることなく自由に安心して話をしてもらうための態度として「共感的理解」の重要性を述べたんだ。

共感的理解とは「話している人の私的な世界を、“あたかも自分自身のことであるかのように”感じ取ること」と定義されているよ。ロジャーズは共感的理解について「あたかも」「かのように」の性質が失われると「同一化の状態」になってしまうと述べているんだ。

つまり「100%の共感はありえない、自分と相手の感じ方は異なる、と前提を置いた上で、できるだけ詳しく知るために近づいていく」態度こそが共感的理解ということだね。
https://cocology.info/sympathy/

事業や活動のプレゼンテーションに関して様々な場面でフィードバックを受けたり、する機会が増えました。

人によってその個性は異なり、共感ポイントも異なるので私も含めて皆それぞれの違う観点で本気で伝えます。

そこに100%の共感ではなくても応援したい!力になりたい!という想いは湧いてきます。

人の心はどこにあるのか?

大学の時に受けたはじめての心理学の授業で冒頭に「心」は胸と頭どちらにあるでしょうか?と問われました。

当時迷いなく胸を指した私は、若いねーとチューター役の先輩に小馬鹿にした感じで笑われたのを覚えています。

あれから20年近く経ちますが、本気で生きている人と接すると人の数だけ「心」の位置やカタチは違うんじゃないかと感じずにいられません。

あと10年経ったらその感じ方がどう変わっているのか楽しみです。


仲間がそれぞれの心を綴ったnoteです。

◼️高橋塾長のnote

◼️えびけんさんのnote

◼️いけやんのnote

◼️河上さんのnote

◼️小笠原さんのnote

◼️わたなべさんのnote

◼️野中さんのnote

◼️池田真心さんのnote

◼️森俊介さんのnote

◼️宋さんのnote

◼️栗原さんのnote

◼️小田さんのnote

◼️田中さんのnote

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