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飼育委員は大人気

小学校四年生。
それは新しい扉が開く。

部活動入部資格が与えられるだけでなく
全員が何かしらのクラブ活動と委員会に入らなければいけない。

 
 
誰がどの委員会に入るか決める日が来た。
任期は一年。
委員会活動は三年間あり、一年交替で他の委員会になる。
様々な委員会がある中、私の本命は飼育委員だった。
動物が好きだが、自宅で動物を飼うことを禁じられていた私は
動物と触れ合う絶好のチャンスだと思った。
学校の校庭にはウズラ、ジュウシマツ、鶏、鯉、ウサギがいた。 
もうどれもかわいいのだが
なんといっても特別かわいいのがウサギである。

私は動物の中なら一番ネコが好きで
二番がウサギ、三番がハムスターだった。

 
ネコやハムスターを飼っている同級生はいたが
ウサギを飼っている同級生はいなかった。
学校と数年に一回行く動物園でしかウサギは愛でられない。
何が何でも飼育委員になって
モッフモフのうさぎにハァハァするのだ。
ちなみに私が一番好きなウサギは白いウサギで目が黒い子だ。

 
「飼育委員になりたい人ー?」

 
司会進行の学級委員の声に反応し、ピッと手を上げた。
手を上げたのは私だけではない。
ひーふーみー………

 
ゲゲゲ!?
クラスの1/4じゃない!?

 
各委員の定員数は3~4人。
倍率は2倍近い。
な、なんということだ。
みんなどれだけ動物好きなんだよ。
予想以上に飼育委員目当てが多い。

 
 
書記担当の学級委員は黒板に手を上げた人の名前を白いチョークで次々に書いていく。
そしてまた次の委員…例えば図書委員とか保健委員とかになりたい人を次々に聞いていく。
希望者の人数と定員数が一致した場合
書記担当の人が赤いチョークで委員会を丸を囲う。
決定の証だ。

 
司会者が一通り委員会を聞いた後、明暗は分かれた。
特定の委員会は人気があり、特定の委員会は人気がなさすぎる。
飼育委員は一番の人気だ。
希望人数が多すぎる委員会は教室内に東西南北に分かれ、ジャンケン大会が繰り広げられる。

 
何かを決める時はジャンケン。
話し合いなんてものはいらない。
至ってシンプルでこの公平なルールに文句などは言えない。
それが小学校の掟である。

 
所詮この世は弱肉強食。
ジャンケンが強ければ生き(当選し)、弱ければ死ぬのだ(他の委員になるしかないのだ)。

 
 
さて、勝負の結果どうなったかと言えば、私は負けた。
飼育委員希望者は一番人数が多い。
「最初はグー!ジャンケンポンッ!」のかけ声をかける前に
ジャンケン大会の場所まで自分の席から移動して集まるまでに時間がかかり
「あいこでショッ!」等と一発で勝負はつかない。

 
その間に他の委員会ジャンケン大会はあっという間に終わり
負けた人が次々に黒板の自分の名前を消し
第二希望の委員会の横に自分の名前を書いていった。
そして定員数に達した委員会に赤いチョークで丸がつけられていった。

 
私はあと一歩のところで負けた。
最後の最後で負けた。
やはりチョキを出せばよかったなどと思っても、もう遅いのだ。
仕方なく私は黒板に書かれた、飼育委員の横にある自分の名前を消して
定員割れの委員会の横に名前を書かされた。
敗者なのだから仕方ない。
定員割れの委員会はたった一つだった。

 
放送委員会

 
である。
チャリラーンといった気分だ。
私が一番避けたかった委員会である。
目の前が真っ暗になった。
あぁあ………なんということだ。
モッフモフのウサギが頭の中から遠ざかる。

 
放送委員…この私が放送委員なんて………。

 
 
当時、私は内向的だった。 
放送委員は名のごとく、当番の日に校内放送をしなければいけない。
なんてこった。
自分の声がマイク越しに全校生徒に聞かれるなんて最&悪だ。
恥ずかしいったらない。

 
だが、決まったものは仕方ない。
やるしかないのが小学校四年生の宿命だ。

 
 
 
放送室は職員室の隣にあった。

「失礼しまーす。」

と言って扉を開け
職員室の東側の通路に行くと
印刷室や給湯室があった。
生徒にとって未知の領域で、そこを通り過ぎて見ながらドキドキした。
更にそこを通り抜けた突き当たりに、放送室があった。
全体的に灰色でメカニックで可愛げのない部屋だ。
ウサギのモッフモフなんてものがあるはずなく 
ぬいぐるみの一つも置いていない無機質な部屋だ。
ますますため息をつきたくなった。

 
委員会担当の先生からザックリとした説明の後は
各担当の出番である。
確か見知らぬ上級生と私の二人組ペアだった。

 
当番の日、放送委員は給食を先に用意してもらい、それを持って放送室に集合する。
放送室で給食を食べながら、放送を担当するのだ。

何度も言うが、私は内向的だ。
見知らぬ上級生と狭い無機質な部屋で並んで食べるだけで緊張の極みである。
配膳中、決められた時間に特定の音楽をかけたり、「皆さん、手を合わせてください。いただきます。」等と言うのが当番の仕事だった。

 
私はまだラジカセを持っていなかったら
カセットテープをセットしたのも初めてだし
機械の電源を入れて
つまみを上げてボリュームを調整し
マイクに向かって話し
またボリュームを下げて音を切ることも
もちろん初めてだった。

 
当番初日、私はガチガチに緊張していた。
校内放送はなんとか小さな声だができたが
何もかもが初めてだ。

 
「私、ちょっと教室に食器置いてくるから○分になったら音楽とめてね。じゃあ。」

 
上級生は早口にそう言うと、仕事を押しつけて去って行った。
私が口を挟む暇はなく、「あ……。」となった。

あの…
あの…………

 
音楽の止め方、やり方聞いてないんだけど…………

 
  
私はその上級生に言えなかった。
職員室の先生にヘルプも出せなかった。
放送委員は放送室から出るのを禁じられていたから
職員室に行くという発想もまず浮かばなかった。
放送室はスイッチでいっぱいだ。
多分これを押せば音楽が止まるのだろう……とは思ったが
失敗が校内放送越しに全校生徒にバレると思うと
私は怖くて動けなかった。

放送室には大きな壁掛け時計があった。
指定された時間まであと少しだ。
立ちすくんだまま動けない。

 
どうしようどうしようどうしようどうしよう………!

 
私は結局、その場から動けなかった。
決まった時間を過ぎても音楽は鳴り続け
当番の上級生が慌てて走ってきた。

  
上級生「もう時間!停めて!!」

  
私「あの…あの………停め方が、分からないんです………。」

 
上級生は慌ててスイッチを切った。
そして私に一通りのスイッチを説明した。

 
 
これは仕事にも通じるが、新人さんに初日仕事を任せる時に

「やっといてね!じゃあ!」
 
は無責任である。
初日はベテランが隣についてノウハウを教え、見守りつつ、新人さんにやってもらうのが理想である。

 
 
 
当番初日から上級生に置いていかれ、職員室の先生誰一人としてヘルプに来てくれなかったことは
私の心に小さな傷を作った。
放送委員がますます嫌になった。

だが、一年間逃げることはできない。

 
失敗から学んだ私は
上級生の様子を見たり、スイッチの役割を覚え
徐々に放送委員に慣れていった。
昼だけでなく、朝の国旗掲揚時の音楽やマイクも任された。
コツさえ掴めば、放送委員はなんてことなかった。
住めば都ではないが
最初は嫌々でも、環境に人はある程度順応するようにできている。

 
 
  
 
放送委員もすっかり慣れて、半年以上が過ぎた。
季節は冬である。
 
冬……それは風邪やインフルエンザが流行る季節である。

  
学校全体で休む人が増えた。
学級閉鎖にはならなかったが、クラスの1/4くらいは休んでいたと思う。

 
私はそんな中、放送委員の当番日だったので、先に給食を用意してもらい
放送室にこもった。
ルールに則り、放送室でご飯を食べ、役割が終わってから、私はランチルームに移動した。

 
私の小学校はランチルームという部屋があり、ご飯は各クラスごとにランチルームでご飯を食べるルールがあった。
ランチルームは果物シリーズで、1階と2階にある。
一ヶ月ごとに学年ごとに時計回りでランチルームを移動するルールがあり
その日、私のクラスはパイナップルルームだった。
パイナップルルームはランチルームの中で唯一畳部屋で
食事中は正座が必須である。
給食当番や歯磨き時はいちいち上履きに履き替えねばならず
ランチルームの中で一番人気がなかったのがパイナップルルームだ。

 
パイナップルルームの扉を開けると、同級生が辛そうに呻いていた。
ただごとではない。一体何事だろうか。

  
どうやら話によると、給食は休みの人の分も含めたクラス人数分作られており
全員が強制的に何度もお代わりさせられたという。

 
私の担任は給食委員担当だった。
小学校はただでさえ、給食食べ残しは禁止されていたのだが
担当の先生は各個人の食べ残しだけでなく
おかずが入った分銅に残しがあるのも決して許さない。
お米は残していいが、おかずは絶対に食べろと言われていた。

 
この日はクラスの1/4が休みである。
それはつまり、そういうことで
おかず量が半端じゃなかったということだ。

 
私もそうだが、全員が全員、給食をお代わりする訳ではない。
私なんて男子に給食を分けていたくらいだ。

 
それなのにクラス人数分、上の命令で勝手に作って
休みの人の分まで食べるように全員に強制するなんてバカバカしい。

 
………と今ならば思うが
学校のルールは絶対であり
私の担任は女王の教室をリアルに再現したような方だ。
一体誰が逆らえるだろう。

 
 
実際、姉も昔その人が担任で同じ目に合わされた。
その日、担任が出張で、代わりに別の先生が入った。
休みの人が多いため、やはり給食は余ったが
見かねた先生は「残してもいいよ。」とみんなに伝えた。
姉は担任に怒られると思って食べきろうとしたが
あと一口のご飯が入らなかった。
担任の先生曰く、「お米とおかずなら、おかずを食べ切れ!」という方だ。

出張から帰ってきた先生は、給食を残した人全員を怒り飛ばし、教室の後ろに正座させた。 
吐いたり、吐く手前まで頑張ろうと
残した人は全員悪だ。

 
その日のメニューはクラムチャウダー。
姉はその日のトラウマで、それからクラムチャウダーが大嫌いになった。

 
 
私の時はおでんだった。
私はおでんが好きだが、昆布巻きだけは嫌いだった。
なんだって給食の昆布巻きはあんなに気合が入っていて大きいのだろう。 
他の生徒にも昆布巻きは人気がなかったが
話によると
お腹いっぱいの中
不人気の昆布巻きを中心としたおでんは強制的にお皿に入れられた。
食べきれなきゃ怒られることは
クラス全員が知っていた。

そういった光景は、何度もあったからだ。

 
 
 
私は呻いているクラスメートを見ながら
初めて、放送委員でよかったと心から思った。
もしもあの日、放送室にいなかったら
私も間違いなく、強制的にお代わりだった。

 
いつからか
私はポケットにハンカチやティッシュを忍ばせ
お代わり強制攻撃をされた時はさり気に包んだり
わざと落として食べられないように工夫した。  

 
ただでさえ、私は胃が弱い。
気持ち悪くなったり、学校で吐くのはごめんだった。

 

 

春になり、私は五年生になった。

女王の教室バリバリの担当の先生は他校に移動になり
新しい先生は20代で明るく、教室はパァッと華やかになった。 

 
なんやかんやありつつも、放送委員は無事終了し、次の委員会を決める日がやってきた。
やはり狙いは飼育委員である。

 
「飼育委員やりたい人~?」

 
私はピッと手を上げた。
ひーふーみー…………うん、やはり今年も人気がすごい。
私の学校は各学年一クラス。
クラスメンバーは去年と変わらない。
だから去年と同じように、飼育委員争奪戦は避けられない。

 
私はやはりジャンケンに負けた。
五年生は清掃美化委員に決定した。

 
清掃美化委員は特定の日に、チェックリストを持って二人組で
決められた部屋の備品をチェックするというものだった。
確か私は図工室と体育館担当だった。
箒やちりとりの本数や状態をチェックするといったことは
放送委員より緊迫感はなく
非常に楽だった。

 
ただ、図工室には色々な落書きがあったり、彫刻刀で彫られていて
そこには卑猥なことも書かれていた。
柱には「なめたいな○○○」と絵柄付きで書かれていて
清掃美化委員の仕事の際にそれを見つけた時はビックリした。
というより、理解に苦しんだ。 
まだ性について、詳しくは知らない時代だった。
きっと他の人もそうだったと思う。

今にして思えば、あんな卑猥なことを書いた小学生は誰なのか真面目に気になる。
清掃美化委員とは言え、それを消したりすることはできず
チェックリストにないのに、私はついついあの落書きがないかチェックしてしまった。

 
 
一通り見回りが済んだ後、清掃美化委員担当の先生の元に行き、判子をもらう。
その判子は特注で、強面の先生のリアルな顔型判子だった。
チェックリストには先生の赤い顔の判子がどんどん押されてシュールだった。

清掃美化委員とは、一体なんなんだろう。

ふと、虚無に陥る。

 

 
 
三度目の正直を目指し、六年生になっても飼育委員にはなれなかった。

二度あることは三度ある

という言葉が頭に浮かぶ。

 
 
六年生になってやった委員会は、JSP委員会という、新たにできた委員会だった。
確かボランティア活動だかベルマーク集めだかやったような気がするが
新設の委員会の為に手探りであり、明確な役割がなく
ほとんど記憶に残っていない。
多分、委員会の時間はほとんど友達としゃべって終わった気がする。
模造紙に何かまとめたような気はするが
内容まで覚えていない。

 
 
 
  
委員会活動は小学校限定である。

こうして私はジャンケンに負け続けて飼育委員にはとうとうなれなかったが
人生経験は手に入れることができた。

望みは叶わなくても、必ず得るものはある。
 


 


 

  
 




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