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京都

藤林邦夫の遺稿(1982年:京都福音教会25周年)

平安京の昔から、1200年の歴史を誇る京都の町は、日本人の心の故郷である。京の町を歩くと、自分のうちに忘れていたものを思い起こすという人がある。

血の中に流れている不思議な感情を、この町はかき立てるのである。

木屋町・高瀬川

今日、多くの人が一番訪れたいと願っているのは、京都である。特に若い女性に人気がある。試みに、大原の里を訪ねてみよう。三千院、寂光院、勝林院、そぞろ歩きの人々の嘆声は、心の琴線に触れられた喜びを伝えている。

自然の景勝と歴史、伝統の重み、この2つの調和が京都の魅力である。美しい景色と歴史の語りかけを、京都ほど堪能できるところは、他にない。実に、京都は宝の山である。

京都御苑の壁

自然と歴史の接点は人間である。いかに自然が美しかろうと、歴史が積み重ねられていようが、それを知る人がいなくては、生きてこない。人の立っていない地は空虚である。人こそ自然と歴史の語りかける耳を持っている。今、その耳を澄ます時、何が聞こえてくるであろうか。

鴨川

主イエスは、「聞く耳のある者は聞くが良い」(マタイ伝13.9)と語られた。

自然と歴史を通して語られる神の声を聞くことこそ、肝要である。山は移り、丘は動くとも、人は来たり、また去ろうとも、永遠に変わらぬ神の御心は立つ。栄枯盛衰の舞台に立って聞く、神の声こそ、現代に生きる私たちの指針である。

嵯峨野・嵐山

古きをたずねて、新しきを知ると、故人は言った。京の町のあちこちを訪ねる時、そこにひっそりと生きた人の足跡を見出して、懐かしくなる時があろう。また、華やかであった人の往事を思い出して、はかなさを覚えることもあろう。

諸行無常の響きありと、詠嘆するのでは足らない。そこにもなお、神の恵みを見出すのでなければいけない。

哲学の道へ

ベエルシェバに行ったアブラハムは、そこに柳の木を植え、「その所で、永遠の神、主の名を呼んだ」(創世記21.33)のである。

柳に風折れなし、という。しなやかで強く、土に着きやすい柳の木こそ神に生きる者の永遠性を象徴すると、アブラハムは考えたのであろう。

京都の町は、柳の木であろうか。
千年の都、京都には、日本で最初の小学校が建ち、市電が走った。

駅伝発祥の地

キリスト教も例外ではない。明治の初めから福音は伝えられた。
福音の光によって京都の町を、今年は訪ねよう。
(京都福音教会宣教25周年の年に)

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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