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CBC㉘「沖縄居酒屋の奇跡。たった3曲で人生は変わる」

最終話◆沖縄栄町キセキの夜

12月。沖縄NAHA

数年ぶりのマラソンに挑戦するだった。

明日は太陽と海とジョガーの祭典「NAHAマラソン」

僕は落ち込んでいた。なんで沖縄まで来たんだろう。
体調不良、体力不足で、どう考えてもマラソンなんて走れない。

わかっていた筈なのに、何も準備できていなかった僕。
いやいや。できてなかったんじゃない。してなかったんだ。

いろんなことを言い訳にして、練習も調整も碌にしなかった。

じゃあなんで走るなんて言ったんだろう。
しかも沖縄まで来てるんだろう。。。。なんという優柔不断。。。

NAHAマラソンには思い入れがある。

初めてフルを走ったのもNAHAマラソンでした。挑戦した理由は3つ。

理由◆1 2005年にコーチ仲間と挑戦したハーフマラソンが最高の思い出だったから(いつかnoteにも書きたい)

理由◆2 平本さん(先生)とドライブ中に聞いたジェームス・スキナーのCDで「年に一回くらいチャレンジするといい」ときいて感化された

理由◆3 コーチ仲間のRさんがNAHAマラソン参加で激変したから。彼はNAHAで体験した出来事によって、本当の自分に生まれ変わったのです

そして僕もNAHAマラソンにチャレンジし、そこで体験した物語で人生の角度が大きく変わりました(この話もいつかnoteに書こう)

そんな思い出のNAHAを、僕は自分の行動で踏みにじろうとしている。。。。ホテルのラウンジで、僕はそんな気分になってました。

僕を応援に来てくれようとしている人たちに

「ごめんね。NAHAまで来たけど体調不良で参加できない」

みたいなメッセージを送りながら、凹んでいました。

で、やさぐれて、ホテルの近くで昼から飲みました。

でも全然酔えなくて、2軒目に行ったのが栄町ボトルネック。。。


普段は激混みなんだけど、開店直後だったからか、この日のお客さんは、カウンターに座る男の子が1人だけ。

そのお客さんは、ロック少年!みたいな感じで革ジャン革パン。腰にチェーンとかつけてる。まだ二十歳そこそこな感じ。

僕はちょっと離れたドラム缶の前に座って飲み始めた。。。

明るいうちからハシゴ酒とか。。。何してんだろう。。。こんなんだったら東京いたら良かったじゃん。。。

そんなことを考えながら飲んでいたら、あっという間に店が満席になっていた。。。

そこに、常連のオジーがふらっと店に入ってきた。

勝手にショーケースから瓶ビールを取り出して、勝手に栓を抜いて。。。ビール瓶を持ちながら、座れそうな場所を探してる。。。。

混み合う店内で、カウンターのロック少年が声をあげた

「おじさん!ここ空いてるよ」

オジーは、男の子の隣に座った。

そっか。。。あの子は誰かと話したかったんだな。。。最初からちょっと寂しそうだったもんな。。。この辺の子なんだろうな。。。何してる子なんだろう。。。

僕は気になって、聞き耳を立てていた

「おじさん!注ぐよ」

男の子はグラスにビールを注いであげる。オジーは旨そうに飲む。オジーは男の子にもビールを注いであげる。孫と一緒に飲んでるみたい。

そうしてしばらく飲んでいて、気分のよくなったオジーは、立ち上がり、店の奥から三線を持ってきた。そして男の子に向かって

「なにか好きな歌、歌ってあげよーね」

彼は「だったら唐船ドーイがいい」と言った。有名なカチャーシー。アップテンポで、みんなで一緒に踊るような曲だ。

オジーは「じゃあ、それは後でしようね〜」と言って

安里屋ユンタ

を弾き始める。ゆっくりしたテンポ。オジーの三線の音色で、薄暗かった店内が一気に沖縄の大きな海と空に包まれる。。。

サー 君は野中の いばらの花か
サーユイユイ
暮れて帰れば ヤレホンニ 引き止める
マタハーリヌ (また会いましょう)
チンダラ カヌシャマヨ (愛しい人よ)

オジーの歌声が胸に沁みる。。。男の子もうろ覚えっぽいけど一緒に歌って楽しそうだ。。。やっぱり地元の子なんだな

一曲終わり、さらに酒を交わし合い。二人はますます打ち解けていった。
男の子も酔って来たようだ。そして語り始めました

男の子「じつは。。。僕。。。最近、こっちに戻ってきて。。。高校でて、内地(本土のこと)で就職したんだけど。。。。なんかうまく行かなくて。。。。仕事は一生懸命やったけど。。。いろいろ大変で。。。3年は頑張ったんだけど。。。親に心配かけたくないけど。。。何したらいいかわからなくて。。。まだ。。。」

オジーはニコニコと聴いている。

いい笑顔だな。。。。とそれをみていた僕は

オジーの笑顔の奥にある確信に気づいて、震えました。

     なんくるないさ

絶対大丈夫だ
今は悩んでるかもしれないけど
お前はなんでもできるよ。大丈夫
世の中そんなに悪いもんじゃない


男の子が話し終わるまで、ただただニコニコ聴いていたオジー。

男の子が落ち着いたのを見計らって、こう言いました

オジー「一つ言ってもいいかな」
男の子「。。。。はい」
オジー「なんでもいいんだよ。。。打ち込めそうな仕事をしなさい。。。それが、人の役に立つってことだよ」

優しく、確信に裏打ちされた声。男の子の目から涙が溢れます。

僕は感動しました。男の子は、その言葉の奥で、ずっと「誰かの役にたてる自分でいたい」と訴えていた。このオジーは、それをきちんと捉えて、返してる。。。。ワンダフルカウンセラーオジー!!

そして

なんくるないさ は、正式には

まくとぅ(真)そーけーなんくるないさ

「人として正しい行いをしていれば、自然とあるべきようになる」

というそうです。オジーが言っているのは、そのことなのかも知れない。。。


でも、話はここで終わりませんでした。

オジー「じゃあ君のためにもう一曲歌おうねー」

何を歌うんだろうと待っていると、それは

BEGINの島人ぬ宝

でした。よかったら皆さん。どこかで歌詞を見てほしい。
とはいえ歌詞の概略は以下の通り

  僕はこの島の何を知ってるんだろうか→知らない

から始まり、

  でも誰より知ってるんだ(ここで生きてきた体験があるから)

そして

  教科書に書いてあるようなことでない、大切なものがここある

  それが沖縄人の宝である


僕の心が震えました。声にならない叫び声を上げてました。なんて素晴らしい歌なんだろう。なんでこんなにピッタリの歌を歌えるんだろう。。。

男の子も泣き笑いで歌っています。

まさに島人(しまんちゅ)の宝がここにある。そう思いました。

歌い終わって、オジーが言いました

「じゃあ最後に、君がリクエストしてくれた唐船ドーイを歌おうね」

オジーがイントロを弾き始めます。明るい明るい音色。ハイテンポのリズムをきっちり刻んできます。僕の身体が動きたがってる。。。

男の子は踊り始めました。僕も踊りはじめました。

とーしんどーい さんてーまん 
いっさんはーえーならんしや 
わかさまちむらぬしなふぁぬたんめー

これは「唐(中国)から船がきたぞー」と言ってみんながお祭り騒ぎで踊り続ける歌。これは本土から帰ってきた男の子のメタファーなのかな。。。しかも謎のオジーが落ち着いてそれをみているという歌詞も含まれる歌です。

一体オジーは、どこまで、何を考えているんだろう。。。。音楽と一体になって、全身で三線を引いているオジーを見ても、何もわかりません。

気づけば店内みんなが踊っていました。。。

そして、僕は驚きました!!!

踊りながら、いろんなお客さんが、男の子のところにいって

「よかったね!」とか「がんばれよ!」とか言っているのです。。。

なんだよ!!みんなきいてたのかよ!!

素知らぬふりして、酒飲んで!! みんな。。。優しいじゃないかよ!!!

涙が溢れて止まりません。

こんなに泣きながら踊るのは初めてでした。隣のテーブルのニーニーたちも泣いてました。。。一緒に踊り、喜びを分かち合いました。。。

100年以上遡れば、コーチングもカウンセリングも、この世には存在しなかった。

ではそのころ人々は不幸だったかと言ったら、そんなことはない。こうやって助け合いながら、生きてきたんだ。

ここに地球に生きるわれわれのがある。

地球人(ほしんちゅ)ぬ宝。。。。

僕はコーチングやカウンセリングがしたいんじゃない。むしろそんなものがなくても、こうやって生きられる世の中が欲しいんだ。

そして、それはちゃんと、存在していた。

その夜。。。栄町の。。。小さな酒場にも。。。

帰り道。僕は決めました。あしたのNAHAマラソンには応援としていこう。

卒業生に電話をかけます。彼は毎年NAHAマラソンの中間地点で応援ボランティアをやっているのです。
「じゃあ一緒に行きましょう」と言われ、彼に指定された出発時間に驚きました。マラソンに参加するよりも遥かに早い。早朝も早朝。。。。

そうだよな。準備する人はこうやってやってくれてるんだよな。。。

当日折り返し地点の「平和記念公園」に行きました。たくさんの人。熱気。スタートの何時間も前から、みんなで準備をするのです。みんなとても楽しそうでした。

そしてスタートの時間。1時間ほどしたらトップランナーはここまでたどり着きます。

はじめて彼らの姿を見た時。感動でした。

生まれつき、走るために生まれた身体を持ち、さらに努力を重ねてきた。
その人たちの走り方の美しいこと。。。美しいこと。。。

そして、しばらく経って
才能はちょっと劣るけど、努力がすごい人たち

そんな人たちが走ってきます。それもまたすごい。。。
人間ってすごいなぁ。。。見ているだけで感動します。

そしてだんだん一般のランナーたちも入ってきます。

人生はマラソンって言葉があるけど、ある種、人生の縮図だなぁと思います。

この数時間をみんな精一杯生きている。駆け抜けてる。楽しんでる。

そして、僕は衝撃的なものを見ました。

僕よりも早く走れるランナーなのに、中間地点で、走るのをやめて
芝生に寝転がる人。。。。

その後も、中間地点で、リタイアして芝生に寝転ぶ人たち。。。。

その清々しい笑顔。。。。

僕は囚われていました。

出るからには完走せねばならない。それが当たり前。
少なくとも◯◯以下のタイムで走るのが当然。

コーチになって何年も経っていたのに、いまだに縛られていました。

応援しにいって、応援されたのは僕でした。

自分のやりたいように生きようぜ!

全てのランナーがそう、教えてくれていました。

そして、マラソンコーチの言葉が蘇りました

「だいじゅさん。本当は全てのランナーは完走してるんです」

自分が走ったところ、走れたところ。そこまで走ったら、それは完走だ。すべてが素晴らしいマラソンなのだ。と。

だとしたら、

すべての人は、それぞれのカタチで人生を完走しているんだ。。。。

去年亡くなった親友に、手を合わせます。完走お疲れ様でした!!

コーチがするカウンセリング全28回(おまけ2回)のシリーズは、僕にとってはライティングマラソンでした。毎日5キロずつ走るつもりで、過去のケースを綴り続けました。毎日少しずつでも続ければ遠くまで行けると体感しました。

ここまで僕のコーチング、カウンセリングの振り返りの旅に、お付き合いいただきありがとうございました。

願わくば、人類皆が、自分のコーチカウンセラーでありますように!時に、となりの人のコーチカウンセラーでありますように!

その一歩として、あなたが、あなたのためのコーチカウンセラーでありますように!

◆おまけ

別にコーチは特別な人でなくてもいいんです。誰でもできるんです。聖人君子でなくていいんです。

コーチがするカウンセリング㉖のT君には後日談があります。


T君は、みんなに嘘ついてました。

僕も騙されてました。

彼は、全然スノボの選手なんかじゃなかったんだって。ちょっと留学して海外で滑ってたくらいで。。。

でも自分を大きく見せたくて、

スノボの選手で夢破れて、だから今度はコーチで世界一目指します!

って嘘ついてたんだって。

ずっと辛かったって。売れちゃってからはますます言えなくなったって。

でも、彼は一大決心して、SNSでカミングアウトするんだよ。
(僕もそれで知りました)

そうやって、彼は段々と本物になっていったんです。

だから2度目の世界選手権に行った時はまだ、彼は嘘つきのままだったんです。

嘘つきでも世界一のコーチにはなれる

これは教科書的にも正しい話です。

そもそもロジャーズ論文に、こう書いてある。

有名な中核3条件の、第3条件の定義の部分です。

訳してみよう。

第3の条件は、セラピストがこの(クライアントとの)関係性の中にあって、一致していること/本物であること/統合されていることだ

ね!ちゃんと

クライアントとの関係の中で

と書いてある。だからまずはクライアントとの関係の中で、本当の自分として頑張れば良いのです。

ちなみに僕は第3条件は『誠実であること』と理解しています。

自分に誠実であり相手に誠実であること。
そして、そうありたいと思う気持ちに誠実であること。

沖縄栄町キセキの夜

男の子とおじさんとの間には誠実な関係があった。やっぱりそれが大切なんだ

まくとぅ(誠実)そーけーなんくるないさ

私たちが誠実でありたいと願うなら、世界は自然とあるべき姿になっていく


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