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不潔な自転車の旅 第2話「清川村」

◯始めに

 今回の不潔自転車の旅シリーズは、放課後である。私がいた大学では、18:00には5時限目の授業が終わり、放課後となる。さあ、何をしようか。当時の私はポケモンにもハマっていた。サークルの友達と一緒にポケモンをやりたがったが、今回はポケモンよりも、自転車で夜間走行をしたい気分が勝った。それに、その日はサークルの活動日でもなかった。

◯降下

 キャンパスを出て、まずは坂道を下る。やはり気持ちがいい。真っ直ぐ行くと、交差点に出た。青い看板には清川と表記してある。左に行くと清川に行けるようだ。そういえば、厚木の西側とはどういう場所なのか、まだ行ったことが無いのもあって気になっていた。

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 とりあえず迷わず左折。既に建物が少なくなっており、向こうには山が連なって見える。この時点で既に厚木の西側の空気を感じていた。Google MAPを見ると、「駒沢大学高等学校グラウンド」とある。駒大高、サッカーでは強豪校なので聞いたことがある。しかし、近くに野球場があることから、恐らく野球部が活動していてこの近くに寮があるのだろう。野球部は1999年に選抜初出場し、1勝を挙げていが、決勝まで対戦相手が負け続けた。その後は甲子園から遠ざかっている。東東京や西東京は周知の通り建物だらけでグラウンドが学校の近くにないことが多いので、他の離れた場所で野球部が活動していることが多い。有名な例だと関東第一は江戸川区に学校が、二松学舎大付は千代田区に学校がありながら、野球部グラウンドが千葉県にあることだろう。今は見る陰もないが、古豪である堀越も、学校は中野区にありながら、野球部専用グラウンドは八王子市にあるのだ。駒大高もその例に漏れず、学校が世田谷区なのに野球部グラウンドが厚木にある、というものだ。駒大高は学校から厚木までのアクセスが悪すぎるので、近所に野球部寮があるのだろうと考えることができる(実際は休日のみ厚木のグラウンドを使用しているのだそうだ。そうなると平日は専用グラウンドが無い学校敷地内でしか練習ができず、練習内容が限られてくるという東京ならではのハンディが付き纏う)。

◯境界

 更に進んで行くと、山がより立体的に見えるようになっていた。本格的に厚木の裏側まできたということだ。どんどん山に吸い込まれて行く。しかし、この時点で既に18:30であり、段々景色も薄暗くなっていくので、より強く山に吸い込まれるのを感じた。

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 この辺りまでくると本当に建物がなくなってくる。最後に見た人工物が、道路以外だと道路やガードレールのインフラ類を除くと「飯山温泉郷」の薄汚れたサインだけだった。流石に何も無さすぎて怖くなってきた。

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 何も無くなってきたのが境界が近くにあることを示すかのように、急に看板が現れた。「清川村」と書いてある。5月頃になると18:45くらいでもいくらか辺りは見えるので、辛うじて文字が読めた。確かに私は清川村に足を踏み入れたのだった。何も無い場所に来たのかと思いきや、人がいる。この山中に人が住んでいて驚いた。とはいえ、10キロ先は厚木の市街地だから人がいるのは別に不思議なことでもない 。

 うねる道を真っ直ぐ行くと、交差点にぶつかった。どうやらここは清川村の市街地らしい。村というくらいだから、人口は少ないだろうし、人がここに集中している。

 交差点は左折した。すると、清川村に入る前の無の空間に再突入。もしかしたらとは思ったが、案の定すぐに厚木市に戻ってきてしまった。清川村、本当に一瞬だった。こうなるとあとはもう帰るだけ。サイクリングの下り道は楽しいものだが、そろそろ19:30を回る時間帯にもなってきているので、初めて下り道が寂しいと思えた。

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  少し坂を下ると小さな市街地に出た。ここは厚木市のはずだが、小さな市街地が、本来の市街地と離れた場所にもあるので、栃木県で生活していた頃を思い出せて、夕暮れの空気の中で懐古に浸っていた。合併前は昭和30年まで遡らなければならないが、合併前は小鮎村という地名にあたるので、小さな市街地はその名残かもしれない。

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 交差点は左折すればすぐに帰ることができる。直進すれば伊勢原市に行けるが、直進すると帰宅が21時過ぎてしまいそうなのと、伊勢原市に行くのは別の日に楽しみをとっておきたかったので、今回は直進せずに左折した。

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この辺りまで来ると厚木の裏側感が段々なくなってきた。このまま直進しても台地の下の地域に、少しずつ左折しても飯山に出るので、上り坂がキツいことを除けば30分もあれば自宅に帰れる。私はあまり坂は上りたくなかったので、遠回りをして直進してから台地を上ることにした。

◯最後に

 帰宅してから清川村を調べると、私が行った清川村は本当に一部であることが分かった。もう少し北上すると宮ヶ瀬湖という少し大きな湖が拝めたのと、そこより先は本当に山しか無い。人口が2000人しかいないのは、恐らく、こういう背景があるのだろうと考えていた。そこまで時間をかけずに清川村に行けるのだから、次回は宮ヶ瀬湖を拝んでから帰ろうと考えていたが、それ以降は清川村に行くことは無かった。夜に暗い中自転車で移動しているのがあまりにも危なすぎたせいだろうか。危なすぎるのは自業自得である。

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