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怒涛の11月

11月の記憶がほとんどない。

色々とやったことはあったはずなのだが、とにかく怒涛のように時が流れていって、いつの間にやら11月が終わっていた。

大きなところでは、11月10日に北九州市立大学と旭川市立大学を招いて合同ゼミを行ったのと、14日に自分がボスの研究グループ主催のシンポジウムがあり、これらの準備で11月上旬は消化されていった。さらに、17日には授業に外部講師を招いて講演を行う企画があり、それの準備とアテンド(とても楽しかった)が前半の最後に待っていたイベントである。

10日の合同ゼミの後には市内の高校生から招かれて小さな講演的なことをやったり、シンポジウム翌日には、ゼミ関係で関わっている高大連携事業があり、その準備(学生への指示がメイン)も11月上旬には重なっているが、合同ゼミも高大連携もどちらも同じ学生が動いているためなかなかマンパワーも足りないし、あたし自身も体が空かなくて色々と後手に回ってしまったと反省する次第。

というわけで、大きめのイベントの間にそこまで大きくないイベントが切間なしに入り込むような11月の前半だった。

加えて、プライベートで人と会う日が11月上旬に何度かセットされており、公私の予定が相まってほとんど自由に過ごせる時間はなかった。

そんな前半を過ごすうち、今度は家庭の方でインフルが蔓延。11月19日あたりからの後半はインフルに倒れた妻と子供の看病に費やされることとなった。

まずは子供が発熱し、咳き込むようになって、病院でインフルの診断を受けた。40℃近い発熱の中でグロッキーになっている子供を夫婦で看病しているうちに、今度は妻が撃沈。いよいよ味方はいなくなり、戦傷を負った2人を1人で面倒見ている衛生兵兼戦闘兵。

しかし不思議なもので、なぜかあたしは倒れることなく1週間を無事に過ごしていたものの(実はすでにどこかで罹患済みだったのか?)、その間にだって時は無情にも流れ、容赦無く仕事は溜まっていく。こちらとしては手をつけたいのは山々だが、環境がそれを許してくれない。弾はどんどん打ち込まれるけれど、傷ついた同胞の看病が先だというわけで、撃たれるがままに銃撃に身を晒した結果、2人が回復した後の11月最後の1週間で怒涛の反撃。

全ての敵を退け、最月末には人生初の人間ドックを受診して11月終わり。

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