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「居場所」について思うこと覚書

地域の子どもたちの「居場所」についての集まりに参加しました。
不登校支援や子ども食堂など様々な活動があります。
そこに参加したことで、ふと思ったことがあります。

「居場所」の形は様々なので、たくさんの人に来て欲しい所もあるし、たくさんの人が来ないと成り立たない所もあるし、たくさんの人が来ると困る所もある。
うちはあくまで古本屋の片隅を開放しているだけなので、たくさんの人が来たらパンクします。
でもそんな小さい活動も必要だろう。小さい活動が気軽にできるのも大切だろう。そんな小さな活動を支えてもらうために、大きな力に頼るのもありだろう。

「放課後子どもたちがたくさん来て賑やかなの?」とよく聞かれます。それが大多数の「居場所」のイメージなのでしょう。
友達が集まってワイワイと好きなことができる場所は絶対に必要です。
でもそれはうちがやろうとしていることとは別なのです。
ここでやろうとしているいるのは、「ひとりで居ていい場所」なのだなと改めて思ったのです。

困ったことを助けてくれること。仲間づくりをすること。夢や望みが叶うこと。それと同じくらい、ひとりで居られることも大切なのです。
特に中高生は、何にも干渉されずひとりで居られる場所を得られにくいのですね。
そんな場所を提供するのが、この古本屋の片隅のスペースの使い方なのです。実際ひとりでふらりと来る人が多いです。

来た人に対してこちらからは何も聞きません。どこで知ったのか、学生なのか、どこから来たのか、何しに来たのか。聞きたくはなりますが、それよりもそんなこと聞かれずに「ただ居ることができること」の方が、ここでは大切なのです。そんな場所があることが必要なのです。

大人ならカフェだとかコワーキングスペースだとか、お金を使えば「ひとりで居られる場所」を得られます。しかし中高生だとなかなか難しい。
僕自身、学生の頃は本屋や図書館が居場所でした。ならばそこをもう一歩進んで机と椅子を、本を読むこととは無関係な机と椅子を用意するのもありだろう。

そんなことを考えて「10代のヒミツキチ」と名付けて、古本屋の片隅に自由に使える机と椅子を用意しているのです。

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