"とき"

[サムエル記 第一 16:7]

主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

今日のデイリーブレッドからの引用だ。
「ご自身のご計画にふさわしい人選のために、人の能力や適性などを評価するとき、神は、その人の品性や意志、そして動機をご覧になります。そして、私たちにも同じようにしなさいと言われます。外見や家系、学歴などでなく、その人の心に焦点を当てるように招いておられます。」

季節に四季があるように、私たちの人生にも
四季のようなものがあると思う。
自分の出番のとき、自分の役割を果たすとき、
または、沈むとき、動けないとき、
さまざまな"とき"がある。
その"とき"を、
私たち人間がコントロールできないものだ。
思いもよらぬタイミングで結婚することになったり、退職や移動が決まったり、大切な人の別れがあったりする。
人生の大きな節目になればなるほど、
私たちには"とき"をコントロールできない。
その"とき"を支配しているのは神である主である。
主が私たちを用いるとき、私たちが想定していた"とき"とは違うことがある。
旧約聖書に出てくるモーセやギデオンは、
神様の"とき" を拒んだ。
なぜなら彼らは自分がそのような器ではないと自分自身で判断したからである。
しかし、神にとってはベストな"とき"であった。
その結果、彼らは偉大な成果を成し遂げるに至った。
私たちが覚えなければいけないのは、
神の"とき"を待つことだ。
そして、その"とき"がきたら「はい」と快く応答することだ。
神は、その人の品性や意志、
そして動機をご覧になる。
私たちの出番がくるまで、備えてしっかりと
その"とき"がくるまで準備していたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?