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カラスないても鬼の声はききたくない


北畠八穂『透った人人』(出帆社、1975年6月10日)

北畠八穂『[すきとお]った人人』は古書善行堂にて。北畠八穂(きたばたけやお)は青森県出身の作家、児童文学者、詩人。深田久弥の妻でもあり、深田のゴーストライターだったそうです。出会った著名な文学者たちの印象を鋭い観察とともに描いています。

冒頭に置かれている中原中也とのやりとりなど、中也のいたいたしさが伝わってくる、そして容赦のない逸話ではありますが、ここでは、昨日、衣巻省三作品集の感想で引用した「便所のステちゃん」と呼応するような津軽の伝説が出ていますので、そこを引いておきます。太宰治を回想した一篇です。

同郷だけあって中学時代の津島修治(金木の津島のオンチャ[弟息子])と吹雪の道で八穂はすれ違ったと言います。その十二年後に帝大生になった太宰と再会し、それなりに親しくつきあったようです。

 戦後、家探しに精根枯らした時、太宰さんは東京で家探しを手伝って下さいました。その中間報告は、どれも津軽言葉まじの道化たたよりでした。中の一通に、そちらでも鬼のいそうもない所がみつかったら、こちらにも報せて下さい引越したいからと、津軽昔語りの文句が引いてありました。それは鬼に囚われた童だがバクチうちだかが、鬼をだまして逃げる時に使った文句です。にげようと決心した囚れ人は雪隠へ入ります。鬼は臭いからと、雪隠の戸がみえるあたりで番をします。囚れ人は念をこめてウンコをし、ウンコにオレの代りに返事を頼むと、雪隠の奥を破って逃げます。鬼は戸の外で、まァだかとききます。ウンコはさっそく〽カラスないても鬼の声はききたくない、と答えます。鬼は中にいるなと安心して待ちます。きかれる度に返事をするウンコは返事をする勢にも熱をつかって、次第に冷えて声が小さくなるのです。そこを太宰さんは〽カラスないても、の文句を、だんだんに小さくして三つならべてかいてよこしました。さもあわれで、おかしく津軽人の私には通じました。 

p19-20

衣巻がこの話を知っていた……はずはないですね。
なお、津軽の鬼はいいやつみたいです。

鬼は、一般的には怖くて悪い妖怪みたいものと思われていますが、津軽の鬼は、山や川の自然界のように、厳しさと恵みを合わせ持つ神のような存在です。昔語りでは、山から里におりてきて困っている人々を助けて働き、時には一緒に遊ぶこともある、やさしい心と大きな力を持った頼れる兄貴のようなもの。現在でも、災いを払ったり、子供の成長を見守ってくれる尊い神様として大切に思われています。

古津軽 鬼伝説

古津軽 鬼伝説
https://kotsugaru.com/story/maine_story/maine_story01.html

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