そして私は心に變なたくらみを抱いた
今日は梶井基次郎の誕生日ということで、作品社版『梶井基次郎全集』上巻と下巻(ともに1937年3月5日発行)を取り出してみました。
「「檸檬」を挿話とする断片」がふと目に付いて読み進めていると当然ながら丸善のくだりにさしかかりました。「私」は泥酔した翌日、街へ出て、とある果物店に入ります。レモンをひとつ買ってその絵の具を固めたようなレモンエロウに荒んでいた心を慰められます。
と、ここで「檸檬」の方はどうなっていたかな? という考えが浮かび、巻頭に置かれた「檸檬」の丸善に入るあたりを探してみました。すると、次のように書かれています。
おや? 丸善についてまったく逆のことを書いている。《常に私を楽しませてくれた》と《平常あんなに避けてゐた》……どっちなんだろう。
そしてもうひとつの「檸檬」のヴァリアントが含まれている「瀬山の話」へとページをめくって行ってみますと、こんな風に書かれています。
なるほど、以前は楽しかったが、最近は苦しくなって遠ざかっていた、そういうことですか。《以前は》以下の叙述は「「檸檬」を挿話とする断片」では上記のように簡略化されています。ただし「檸檬」では、丸善を前段に一度登場させて「瀬山の話」と同じことを少し変形させて描写しておいて、その後の描写がとどこおらないように工夫しているようです。
また、「瀬山の話」では、檸檬の逸話は友人「彼」(おそらく『青空』の仲間だった淀野隆三のことだと思われます)から聞いたという設定になっているのも、今回読み返してみて、気になりました。檸檬の前に語られる少年時代の失恋と芸者との出会いは、間違いなく淀野の体験です。これは淀野日記(その一部が『spin』みずのわ出版、に連載で公開されました)と照らして確実です。
では、檸檬を丸善に置いたのは本当に彼=淀野の体験談だったのでしょうか。それは淀野日記からは読み取れませんでした。他の誰かがそんないたずらをしたのかもしれませんし(やはり『青空』の仲間だった中谷孝雄がそんなことを書いていてような気もしますが、今、手元にその本がありません)。この「瀬山の話」から「檸檬」の挿話だけを独立させたのが『青空』に発表された「檸檬」ということになります。
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