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わたしの蔵書から

駒場にある日本近代文学館の館報『日本近代文学館』(公益財団法人日本近代文学館)の昨年発行分(N0.311〜316)を頂戴しました。どの号も興味を惹かれる寄稿が多く、編集者のセンスを感じさせる内容です。なかでも「わたしの蔵書から」というリレー連載は、文学研究者や作家のみなさんの本との付き合い方を知ることができて、かなり面白いものになっています。

ここではまず小説家・澤田瞳子さんの「本と、記憶と、思い出と」から少し引いてみます。本を手放せない性分で蔵書がどんどん増えて困っているという話から入ります。

仕事場である実家にすべてを運び込んだ十年ほど前、十五帖ほどの部屋を書庫と決め、四方の壁に本棚を巡らした。しかしとうの昔に本は書架からあふれ、空いたスペースに山積みになっている。集密書架の設置を検討しているが、そのためにはまず床の書物を片付ける必要がある。その時間を取ることができず、ますますあふれ出る本ばかりが増えていく。最近では仕事部屋や玄関、階段にまで増殖が始まった。

No.313, p3

まあ、このくらいは本好きなら誰でも通る道でしょう。本を使う人は整理に時間をかけます。

 記憶にある限り、わたしが人からいただいた古書の中でもっとも古いものは、吉川英治の『鳴門秘帖』。それも今は絶版の「吉川英治文庫」版で、確か小学校五年生か六年生の頃、母に従って彼女の故郷に行った折、持参した本を読みつくして退屈していたわたしに、大叔母が貸してくれた三冊揃いだ。小学生に吉川英治を勧める大叔母もなかなか渋いが、わたし自身、野村胡堂「銭形平次」シリーズなどに読み耽る子どもだったので、今から思えば奇跡のマッチングだったのかもしれない。

No.313, p4

結局、その三冊はもらって帰り、現在も書庫に納まっているそうです。

そして改めてページをめくるたび、わたしは小さな家の片隅でうずくまってこの文庫を読んでいた自らにも、再会することができるのだ。
 とはいえすべての本にこのように執着していては、我が仕事場は近々本に埋め尽くされ、足の踏み場もなくなるだろう。だが、それも悪くない。誰かの思い出と本に家を埋め尽くされるのは、きっと幸せなことのはずだ。
 ただ問題なのは時に、必要な本が書物の山の中からどうしても見つからぬことで、いい加減整理の時間だけは作ろうか、と溜息をつくこの頃である。

No.313, p4

もう一人、国文学の渡辺憲司氏の古本譚「六十年前への謝辞二冊」を紹介しておきたいと思います。昭和41年3月、法学部から文学部へ転じることが決まったとき、ロック座の照明係のアルバイトで稼いだお金で高い本を買おうと思ったそうです。

 浅草の帰り道、蔵前のいつもの古本屋をのぞいた。
 通るたびに欲しいと思っていた『天草本 平家物語』が棚に残っていた。横書きだ。会話体の日本史教科書風のものだ。三万円弱、四年後初めてもらった定時制高校の初任給が、たしか四万五千円くらいだった。これは高すぎる。しかし、これで平家物語の研究をしたら面白かろうとポチ袋を開けて買おうと思った。手を伸ばすと、ばあさんが、「それは貴重本だよ。値が張るよ」と云いながら、棚台にはたきをかけ別の本をすすめた。コピー製本の野間光辰校注『定本 色道大鏡』である。三千円くらいだった。誰かがコピーして売ったのである。
「これにこれもつけてやるよ。」
 おまけでもらったのは、かなり疲れた和装本。外題は鉛筆書きで『色里三十七所息子順礼』とある。墨付き四丁程の小冊子だ。 

No.316, p3-4

この後、大学の研究室へ行くと、同じコピー製本の『色道大鏡』がありましたが、それはかなりの値段だったことが分かり、氏はいい買い物をしたと嬉しくなります。そして後年には、その本が研究者にも手の届かない高額な本になってしまったため、八木書店の協力を得て新版を刊行することができました。

おまけにもらった『色里三十七所息子順礼』も『江戸の岡場所ー隠売女の世界』(星海社新書)を執筆するときにそのテコとなりました。

 古本屋のばあさんは、もしかしたら、照明係が法学部から文学部へ転じること予感し、この一冊を祝意にしたのかもしれない。

No.316, p3-4

そんなはず・・・でも、いいお話です。

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