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原稿用紙がほしいですね、とにかくほしいですね


田村隆一『書斎の死体』河出書房新社、昭和53年2月25日
装幀原画=小林千枝

田村隆一『書斎の死体』をいつもの古本屋の均一棚にて。田村隆一の詩集というのも、もちろんかつては何冊か持っていましたが、個人的には、エッセイ集の方がずっと好みです。『若い荒地』(思潮社、1968)は傑作です。

本書も推理小説の翻訳から旅行や酒の話、時局についての話題などを広く集めた雑文集のおもむきがあり、非常に面白く読めます。なかでは、私の興味の中心のひとつである喫茶店に関して「ぼくのコーヒーハウス」(初出『カフェ・プラザ』第10号、1976年10月)という短文はみっけものでした。

 ぼくが、コーヒーハウスの常連となって、落第大学生たちの悪い風習にそまるのは、昭和十五年の春あたりからである。その前年の秋には、第二次世界大戦が勃発していて、ぼくが一杯五銭(ゴールデン・バットが七銭、チェリーが十銭。岩波文庫の星一つが五銭)のコーヒーを飲みながら、かるく二時間ねばって、悪友たちと文学的サイレント映画的雑談に熱中していたときは、すでに花のパリは、ナチス・ドイツの軍靴に制圧されていてーー 

p198

値段の明治大正昭和風俗史 下』(朝日文庫、1987)の「たばこ」によればゴールデン・バットが7銭だったのは大正14年から昭和11年まで。昭和11年に8銭、昭和14年には9銭になっていました。岩波文庫の星一つも昭和2年の創刊から18年まで変わらず20銭でした。20銭は、今の価格に直すと、およそ600円くらいではないかと思います。人間の記憶というものはアテにならないもので、回想文などの数字はうのみにしないように気をつけましょう。なおコーヒー5銭は、昭和十年代でしたら、もっとも安い一杯かと思います。

このくだりにつづいてイヴァン・ゴルの詩が引用されていますが、省きます。

イヴァン・ゴルが歌った「一九四〇年の春」を訳した高峰英一も、落第坊主の一人で、やがてコーヒーハウスに夕闇がおとずれると、ぼくらは二時間以上もねばった椅子から腰をあげ、階下のバーにゾロゾロ入っていって、「哀しみのアブサン」を飲んだものである。
 一九四〇年の東京では、大正デモクラシーの影響下にある家庭か、ブルジョアの屋敷へでも行かないかぎり、コーヒーにはお目にかかれなくて、ぼくらは、コーヒーを飲むなら、盛り場のコーヒーハウスに出かけねばならなかった。そのかわり、まさにコーヒーハウスの全盛時代で、新宿では《ノヴァ》、浅草では《ベルリン》、銀座では《ブラジレイロ》、池袋では《セルパン》、大塚では《パンテオン》といったぐあいに、ぼくらの行きつけのコーヒーハウスがきまっていた。
 あの、濃褐色の、豆と太陽の不定型の結晶には、異国の宗教的な匂いさえただよっていて、若いぼくらを興奮させた。一杯五銭コーヒーは、主としてブラジル産のものだったような気がする。

p199-200

敗戦が濃厚になってくるとコーヒーの輸入は途絶え、大豆を代用するようになります。ただ田村は徴兵されたため、そのコゲくさい代用コーヒーは飲まなかったそうです。そして戦後は、銀座の小さな出版社で絵本を編集することになりました。1947年、鮎川信夫、北村太郎らと『荒地』を創刊。そのヴァレリー特集号に復員して来たばかりの吉田健一に原稿を依頼します。

 ある雨の日、銀座の小さな出版社で、ぼくが絵本の編集をしていると、吉田さんがヴァレリー論をとどけにおいでになった。第一次吉田内閣のときで、吉田さんは、黒い合羽をぬぐと、水兵服を着ている。
 ぼくはあわてて(どうしてあわてたのか、ぼくにもよく分からない)吉田さんを『心』という古風なつくりのコーヒーハウスに案内した。東銀座の迷路のような裏通りに、焼けのこりのコーヒーハウスがあって、その店には戦前のブラジル産のコーヒーがストックしてあった。
 ぼくらはブラジル産のコーヒーを飲み、煙草を吸った。これがシガーなら申し分ないのだが、ラッキーストライクかなにかのアメリカのタバコだったので、なんだかしまらない[5文字傍点]ような気がしたことを、いまでもぼくはおぼえている。
「原稿用紙がほしいですね、とにかくほしいですね」
 吉田さんは、しきりにそういった。

P201-202

なお、カバーの絵は、自分はベッドの上で原稿を書き、仕事のないときはひっくり返っているから痩せさらばえた老死体みたいなものだ、《ひとつ、その老死体のイラストを入れようではないか、という編集者の意見で》(あとがきにかえて)ある女流画家に描いてもらったそうです。油絵も描いてもらったようですが、使われたのはペン画に淡彩をほどこした上図のようなものになったようです。なお、その女流画家小林さんは「ギャラリー&インテリア 美卯 MIU」のブログによれば以下のような略歴の方です。私のムサビの先輩にもなるようです。

小林千枝
名古屋に生まれる。鎌倉在住
1958年、愛知学芸大学(現教育大)卒業
1962年、武蔵野美術大学卒業
個展多数
二紀会会員 日本美術家連盟会員

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