原稿用紙がほしいですね、とにかくほしいですね
田村隆一『書斎の死体』をいつもの古本屋の均一棚にて。田村隆一の詩集というのも、もちろんかつては何冊か持っていましたが、個人的には、エッセイ集の方がずっと好みです。『若い荒地』(思潮社、1968)は傑作です。
本書も推理小説の翻訳から旅行や酒の話、時局についての話題などを広く集めた雑文集のおもむきがあり、非常に面白く読めます。なかでは、私の興味の中心のひとつである喫茶店に関して「ぼくのコーヒーハウス」(初出『カフェ・プラザ』第10号、1976年10月)という短文はみっけものでした。
『値段の明治大正昭和風俗史 下』(朝日文庫、1987)の「たばこ」によればゴールデン・バットが7銭だったのは大正14年から昭和11年まで。昭和11年に8銭、昭和14年には9銭になっていました。岩波文庫の星一つも昭和2年の創刊から18年まで変わらず20銭でした。20銭は、今の価格に直すと、およそ600円くらいではないかと思います。人間の記憶というものはアテにならないもので、回想文などの数字はうのみにしないように気をつけましょう。なおコーヒー5銭は、昭和十年代でしたら、もっとも安い一杯かと思います。
このくだりにつづいてイヴァン・ゴルの詩が引用されていますが、省きます。
敗戦が濃厚になってくるとコーヒーの輸入は途絶え、大豆を代用するようになります。ただ田村は徴兵されたため、そのコゲくさい代用コーヒーは飲まなかったそうです。そして戦後は、銀座の小さな出版社で絵本を編集することになりました。1947年、鮎川信夫、北村太郎らと『荒地』を創刊。そのヴァレリー特集号に復員して来たばかりの吉田健一に原稿を依頼します。
なお、カバーの絵は、自分はベッドの上で原稿を書き、仕事のないときはひっくり返っているから痩せさらばえた老死体みたいなものだ、《ひとつ、その老死体のイラストを入れようではないか、という編集者の意見で》(あとがきにかえて)ある女流画家に描いてもらったそうです。油絵も描いてもらったようですが、使われたのはペン画に淡彩をほどこした上図のようなものになったようです。なお、その女流画家小林さんは「ギャラリー&インテリア 美卯 MIU」のブログによれば以下のような略歴の方です。私のムサビの先輩にもなるようです。
小林千枝
名古屋に生まれる。鎌倉在住
1958年、愛知学芸大学(現教育大)卒業
1962年、武蔵野美術大学卒業
個展多数
二紀会会員 日本美術家連盟会員
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