見出し画像

バディ・ガイが、ステージで突然ギターを弾くのを止めて、そのピックを我が息子に手渡した日

バディ・ガイと言えば、シカゴ・ブルーズの枠を超え、押しも押されもせぬ現代のブルーズを代表するギタリストである。彼の曲を聴いたことがある人、ましてライヴに足を運んだことがある人なら 120% 納得しそうなことだろうが、彼はギターだけでなくヴォーカルも素晴らしい。スクイーズ系のギターやシャウト唱法(というかバディのヴォーカルはギター同様「(喉を)スクイーズ」する)の類が注目されがちだが、実はそれぞれアクセントが効いていて、弱く弾く、あるいは弱めの声で歌うパートを織り交ぜ、ギターにしろヴォーカルにしろ、その種のコントラストが生かされた見事なパフォーマンスをする人だ。アクセントとかコントラストとかいった形容から想像されることとは裏腹に、それを何か計算してやっている節は全く感じられないのだが(これもあのワイルドなライヴを観たことがある人なら直感で分かるような類の話だけれど)。

1936年生まれのバディ、もちろん今から 19年前の 2002年5月の時点で既に遥か以前から「押しも押されもせぬブルーズを代表するギタリスト」だった。

バディ・ガイが、ステージで突然ギターを弾くのを止めて、そのピックを我が息子に手渡した日

というわけで、これは 19年前の初夏の話。以下、2001年夏に立ち上げて近年は全く更新していないもののいまだネット上に置きっ放しの自分のホームページ上「日記」コーナーから、当日の日記文を転載(*1)。

1992年9月生まれの我が息子、当時は 9歳、まだ小学生(4年生)だった。

2002年 5月25日(土)   バディ、我が息子にピックを手渡す!
日比谷野音での毎年恒例のジャパン・ブルース・カーニバル。今年で17年になるというが、私とパートナーが行くようになってからでも14年経つ(この間ほぼ毎年行っている)。今回のメインはバディ・ガイ、私がバディのライヴを観るのも、10年ぐらい前の渋谷のオール・スタンディングを含めて5、6回目。
私は過去に一度だけ最前列に陣取ったことがあるが、今年はそれに次ぐイイ席! 真中やや左側のステージ前から2列目に家族3人で並ぶことが出来た。野音ではほとんど最前列と変わらない位置だ。何しろステージにはほとんど手が届きそうなくらいなんだから。

今日の note 投稿タイトル上の写真、これはあの日、野音で買った Tシャツ。

画像1

今年も和服とブルース・ハープで登場の自称「ブルース司会者」(途中の「主催者からのお知らせ」や「ブルース・クイズ」では例によって京都から参上の共演者のギター弾きカメリア・マキちゃんも現われた)の MC により夕方5時半開演、トップバッターは日本のKOTEZ & YANCY(って綴りだったかな?)でバック・バンドと共に数曲。「何にもない、何にもない」で始まるCMで使われた(ような・・・)曲をやったけど、あれって彼らが作った曲だったのかな? 独特の雰囲気のあるサウンドでした(二人はブルース・ハープとキーボードのユニットで二人ともヴォーカルをとる)。
次に登場はジミー・ヴォーン。あの故スティーヴィー・レイ・ヴォーンの兄貴だ。後半加わった2人組のコーラス・ユニットや女性ヴォーカルも含めて、けっこう楽しめた。今年で51になるようだけど、ジミーは律儀にブルース弾いてたな。ただ、やっぱりビデオとCDのみで知る弟スティーヴィーの方がヴォーカルもギターもカリスマ性も上、ではある。あと、ジミーのバンドでちょっと驚いたのはベーシスト無しだったってこと(他にはキーボードとドラムスとサイド・ギター)。
しんがりはバディ・ガイ。今年で66になるというバディだが、その無秩序で制御のきかないフレージングとヴォーカルは健在だった。この人の場合、ステージングもノー・コントロールであの歳にしてステージを右に左に前に後ろにと動き、しまいにはステージから飛び降りてしまって、野音の客席最後方まで行って弾きまくり歌いまくってしまい、マイクやケーブル(今時?ギターにおそろしく長いケーブルを付けてた)を運んでついていったマネージャーのようなおっさん(と言ってもバディよりはずっと若い)はご苦労さんでした。(まさにこういう感じ 1:50 以降のバディに要注目!!! このクリップでは「マネージャーのようなおっさん」がマイクを持ってバディにずっと付いて行ってる。以上、この括弧内は 2016年9月18日加筆。)

これは, 次章に載せる同年2002年7月14日, オランダでのライヴからの映像 ♫

あの日もまさにこんな感じで、元気いっぱいに「ブルーズは爆発だ」してた。

.. とは言え、さすがにトシはトシで、だんだん真面目に弾かない(笑)時間帯が長くなってきてる感じだけど、時折り聴かせるクレイジーな、喉を絞りきるようなヴォーカルは相変わらず凄かったな。ギターよりも、ヴォーカルの方に、トシを感じさせない凄味があった。あの両手を顔の両側にかざして顔の表情を破壊(!)して歌う様は、まるで岡本太郎だな、バディにかかると「ブルースは爆発だ!」ってこと。コンサートは最後の方でジミー・ヴォーンも再出演して二人の掛け合いのギターも聴かせて、アンコール無しで終わった。というか、すぐに「ブルース司会者」が登場して終わらせたって感じかな。ジミーのパートの時の予定外だったかもしれないアンコールがあったし、バディもノリまくって延ばしに延ばし、時間は相当押してたみたいだったけど。
今回のブルース・カーニバルで我が家(!)が特筆すべきは、我が息子がバディから直接ピックをもらったということ。それも演奏中に、その時本人が使っていた、バディの名前入りのピックを!
その時息子は席を離れてステージ下の最前列の位置で、ステージ前のガードの柵につかまってノッテいたんだけど、バディはそこにギターを弾きながら急に近づいてきて、眼前に小さな子供(息子)をみつけると「よく来たな、坊主」という風情でニヤリとし、あっという間に息子にピックを手渡してしまった。もう真後ろにいた親父は感激しまくり、その時バディが何という曲をやっていたかも憶えてない。最後の方で客席に撒かれたピックとはワケが違う値打モノ、もうこりゃ我が家の家宝かな(名前がプリントされた、ただのピックだけどさ)。息子も当然嬉しかったようだな。いやはや、とにかくヨカッタヨカッタ! これで息子も将来は天才ギタリスト間違いなしか(笑)。

あれから 14年と4ヶ月ほどの月日が過ぎた 2016年9月、バディ・ガイがシカゴに持つ彼のブルーズ・クラブ Buddy Guy's Legends を、24歳になった息子が訪ねた時に彼の親父=筆者への土産として買った Tシャツ。

画像2

2002年5月25日に戻って、あの日の日記は以下の通りに締め括られている♫

いい気分で野音を後にし、有楽町界隈の居酒屋で一杯やってから帰路に着きました。26日の日曜日の方は、ジミーの代りに元ヤード・バーズ、元フリート・ウッド・マックのブリティッシュ・ブルース伝説のギタリスト、ピーター・グリーン。M & I カンパニーさん、本当に有り難うさんです(明日は我が家は行かないけど)。 

*1 上に載せた日記は, 以下のリンク先からの転載。ただし、2001年夏に本買って独学で覚えたHTMLの基礎知識だけで立ち上げたホームページ(*2)、それをずっと仕様を変えないでいるその「日記」コーナー上のもので、現在スマホから閲覧しようとすると(OS次第だと思うが, しかしおそらく大抵の場合)文字化けする。パソコンで閲覧する場合は、たぶんどのブラウザからでも問題ない。

*2

その頃のバディ・ガイのステージはこういう感じ(ライヴ映像)

1960年生まれの筆者(誕生日はたまたまの 911, 今日の note 投稿内容には全く関係しないが!)、1970年、小4 の頃に「洋楽」なるものの世界の扉を開け、1975年、中3 の時にバディ・ガイのギターとヴォーカルを(レコードで)初めて聴いたわけだけど(それが初めて聴いた「ブルーズ」だった, ロック出身のミュージシャンによるものでなく「生まれも育ちも」ブルーズであるようなミュージシャンの、という意味において)(次章に関連 note 投稿へのリンク)、大人になってから、実際にバディ・ガイのライヴを何度も観聴きするようになった。彼は 1986年から 20年以上にわたって日比谷野音で開催されていたジャパン・ブルース・カーニバルに繰り返し登場していて、そこで(残念ながら 1987年の第2回の時のジュニア・ウェルズとの共演は見逃しているのだが)1990年の第5回の時を皮切りに、1995年、1997年、2000年、2002年、2005年、その他、何年だったか忘れたが渋谷のライヴハウスでのライヴも観ていて、なんでそんなに何度もバディのライヴに足を運んだのかというと、とにかく、と、に、か、く、兎に角が生えようが(笑)兎に角、天性の・野生の「ブルーズは爆発だ!」系ブルーズ・マン、バディ・ガイのライヴは, 文字通り「最高に」楽しめるブルーズのライヴ だから!

以下のリンク先は 2002年7月14日のオランダでのバディ・ガイのライヴだから、前章で載せた筆者と妻と息子が日比谷野音でバディ・ガイを観聴きしてバディがギターを弾く手を突然止めてそのピックをステージ下の息子に手渡した 2002年5月25日から, たったの 50日後のライヴの模様。つまり、我々が観た時も、まさにこういう感じだった(時間は野音のブルーズ・フェスでのトリのバディの方が長かったかも)。

YouTube クリップへの例えば以下のコメント 2つ, バディ・ガイのライヴの素晴らしさ、そして楽しさを物語っている。

Nobody at a Buddy Guy show has more fun than he does. An absolute treasure of the planet .
WOW real music real buddy. A pleasure to listen too. This is what music is about.... COMMUNICATION, and absolute presence.

Buddy Guy LIVE at North Sea Jazz Festival 2002, in Hague, Netherlands, July 14, 2002

01. Hoochie Coochie Man 
02. Damn Right I've Got The Blues (07:46)
03. Boom Boom (20:43)
04. Strange Brew (22:46)
05. I'm Trying (24:13)
06. What'd I Say (29:55)
07. Ain't That Peculiar (32:46)
08. Trouble Man (35:00)
09. Purple Haze (38:16)
10. Mustang Sally (43:26)

初めて聴いたブルーズ 〜 ジュニア・ウェルズ & バディ・ガイ LIVE in Japan 1975

前々章で取り上げた 2002年5月25日の日比谷野音でのバディ・ガイ、前章で取り上げたオランダ・ハーグでの 2002年7月14日のバディ・ガイ、それらはともに歳(よわい, でも強い!)65 のときのバディ・ガイ。バディは 1936年7月30日アメリカ合州国ルイジアナ州生まれでその後イリノイ州シカゴに移り住んでシカゴ・ブルーズの黄金期を支えたブルーズ・マンの一人。そして、文字通り「押しも押されもしない」現代のブルーズを代表するギタリストであり、ヴォーカリスト。今年の誕生日で 85歳になるわけだが、まだまだ健在、元気なブルーズ翁だ。

今年 1月のストリート・ファイティングマンならぬストリート・ギターマン、バディ・ガイ

We don’t know about you guys but we’re really missing these January moments! BG will be back on stage soon, but until then, we hope you stay safe and healthy. - Team BG (📷 by BG’s Assistant @annielawlor)

今年 2月、雨にも負けず、風にも負けず、風邪にも負けずコロナにも負けず、いざワクチン接種のバディ・ガイ

Vaccine check! ✔️ Buddy is feelin’ good. We hope you’re all staying safe and healthy out there. - Team BG (📷 by @vgeegee / @therealgregguy)

さて、

拙者、1960年911 生まれ、昨年「還暦」とやらを迎えたものの、19年前の初夏に観たあの日のバディ・ガイの年齢 65 よりもまだ 5歳若い。これから更に 19年経つと、拙者は 79歳となり、その年 2040年911 に 80歳、傘寿(数えでなく満で, だけど)になる。その時、バディ・ガイは 104歳。バディも元気だといいなぁ!

拙者、ギターの腕前はバディ・ガイと比べたら「月とスッポン」というより「太陽とスルメ」、「雲泥の差」というより「天の川と隅田川の川底の差」ぐらいに比較にならないが(もう比較の物差しが天文学的になっている、笑)、トシに負けぬ元気さ、生きていくことに対するポジティヴさ、日々を楽しむ Carpe Diem な前向きさなど、そういう Key of Life (ってのは拙者、たったいま, スティーヴィー・ワンダーのアルバムのタイトルからもらってきた ♫) についてはほんと、バディ翁のそれからも学びたいものだと、つくづく思っている今日この頃。

これは 1975年、拙者 14, 5歳の頃の話。

小4 だった少年がステージ上のバディ・ガイからピックを手渡された日と同じ年齢の時に、彼の親父は「洋楽」なるものの扉を開け、音楽の快楽を知るようになった

なんつって、その「少年」とは拙者の息子のことで、「親父」ってのはつまり、俺のことじゃん(笑)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?