見出し画像

懐かしの仮定法過去と tell A from B ー Pink Floyd "Wish You Were Here" (拙訳)

投稿タイトルで触れた通り、中学の英語の授業で習う懐かしの英文法(脱線しますが、文法方面に偏ってきた日本の英語教育は問題だらけだったと思うけれど、しかしながら文法軽視になりがちな昨今の? 風潮もどうかと思います、ほんと、最初から脱線した、笑)と言えば、真っ先に思い出すのが仮定法過去かもしれませんね。もっとも世代によってこれは多少の違いがあるのかな。少なくとも 1960年生まれの私には「仮定法過去」の 5文字の(英語でなくて)日本語は懐かしいです。とは言っても、"Wish You Were Here" とまでは思いませんが(ジョークが通じることを期待、笑)。

それと、AとBを区別する(識別する, 見分ける) の意の "tell A from B" という言い回しも、懐かしく感じられます。これを熟語というのかイディオムというのか、そのどちらでもないのか、などということを考え出す人がいたら、日本の英語教育の弊害を今も引き摺っている人です。斯く言う私もそうだった(笑)、高校時代は数学と並んで英語が最も得意で且つ好きな科目でしたが、大学入学以降、共に勉強しなくなってしまって、英語はいまだ完璧にはほど遠いです。何しろボキャ貧が甚だしい。

Roger Waters がいた時代の Pink Floyd が残した、この素晴らしい曲を紹介する前に、思い切り脱線気味の前文を長々と書いてしまいました。そもそもタイトルがいけなかったのかな(笑)。ちょっと(笑)い過ぎか。

Wish You Were Here (拙訳)

では、ようやく本題、歌と、歌詞と、歌詞の日本語訳です。この歌は、1975年9月12日(日本では 9月15日だったかもしれません)リリースの Pink Floyd のアルバム、その名も "Wish You Were Here" に収録された、いわゆるタイトル・トラックですが、私自身はそのアルバムを、1960年 911生まれの私が 15歳の誕生日を迎えた直後のそのリリース後、すぐに当時の LP で買っていて(もしかしたら買ったのは 3歳年上で今はミュージシャン稼業をしている兄だったかもしれません)、それ以来ずっと、折に触れて聴いてきました。この歌の歌詞を、今から17年前、2003年の 8月に日本語に訳し、当時ちょくちょく更新していた自分のホームページに掲載していたのですが(今も一応存在しています)、その時の翻訳詩を以下に掲載したいと思います。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

..............................

Wish You Were Here ここに君がいてほしい

つまり、君はわかっていると思ってるんだ
天国が地獄と違うってこと
青空が苦痛と違うってことをね
緑の野原はわかるかい?
冷たい鋼鉄の線路と違うってこと
微笑みが偽笑と違うってことはどう?
君はそいつが区別できそうかい?

それで彼らは君に取り引きさせてしまったのかい?
君の英雄達を亡霊どもと交換させたのかい?
熱い灰を樹々と交換させたのかい?
君は熱気の代りに涼しげな微風を得たのかい?
冷ややかな安らぎを捨てて変化を求めたのかい?
それで君は交換してしまったのかい?
戦いに参加することをやめて
檻の中で主役を務めることにしたのかい?

ああ、僕は、僕はここに君がいてほしい
僕らはただ彷徨い泳ぐ二つの魂なのさ
同じ金魚鉢の中をね
来る年も来る年も
ずっと同じ土地を走り廻っている
それで 僕らは何をみつけたんだ?
ずっと変わらぬおそれ - 怖れ、畏れ -じゃないか
ここに君がいてほしいよ

2020年8月5日、今日も、私は、ここにいる。

この歌、何やらラジオから録ったような男女の会話らしきものがイントロに使われていますね。何を言っているのか、今更ながら興味が湧きますが、どうにもこうにも聴き取れません。いつか、何かの機会に知ることができたら、とあらためて思ったところです。

ところです、と書いておいてナンですが(ナンでもないか、私はインドのパン、ナンが好きですが、ところでどうしてこう矢鱈と脱線してしまうのでしょう、私は、ま、どうでもいいかナンでもいいか)、ところで、上に書きましたが、この歌の歌詞は、2003年の夏、当時 42歳の時に日本語に訳しました。その時の日記を今も当時のホームページに掲載しているので、ついでにそれを、以下に載せようと思います。

当時の日記の中で、シド・バレットは今も生きているのか、などと書いていますが、その後、シドの消息を知りました。それについての日記も、この後に、私のホームページから転載しようと思います。

また、"Shine On You Crazy Diamond" 「もシド・バレットに捧げられていて、こっちはもう完全にシドのみに向けて書かれた曲だと思います(まぁプロなんだから一般リスナーを全く意識してないはずはないけど)」とも書いていますが、これについては、ロジャー・ウォーターズが作者(の一人)としてそれに関して事実上(部分的に、もしくはほぼ完全に)否定する見解を述べているようです。そのことについては、以下の 17年前の私の日記、そしてその後に転載する 14年前の私の日記の後で、紹介します。

2003年 8月18日(月)   私はここにいる

ピンク・フロイドの "Wish You Were Here" を訳して、「う た」 のサイトに加えました。作詞はロジャー・ウォーターズ。この時期のフロイドは大抵ロジャーの作詞かな(実は最初はっきりしないのでわからんと書いて一旦アップしたのですが、よく確かめたらやっぱロジャーでした)。先日訳した "If" でもロジャーの名を載せましたが、あの "Atom Heart Mother" 辺りの時期はけっこう他のメンバーも、曲だけでなく詩(詞)もやっているようです。後期になるとほとんどロジャーじゃないかな。

"Wish You Were Here" は、驚異的なセールスを記録した "The Dark Side of the Moon" (邦題は「狂気」、この邦題は一応そのものズバリでした、「月の裏側」の方がずっと知的な表現だけどさ)に続くアルバムとしてフロイドが 2年半ぶり(ぐらい?)に発表した、1975年の "Wish You Were Here" の中に入っています。このアルバムは当時邦題が「炎」となっていてオイオイって感じでしたが、「あなたがここにいてほしい」という副題も付いていました。これはフロイド側が "Wish You Were Here" という曲のみ邦題を指定してきた、その邦題です(彼ら日本語知らんから誰に相談したんでしょうかね)。

私(か兄貴?)は(私が)中3の時にこのアルバムを買ったんですが、前作と比べて荒削りな音に微妙な違和感を持った憶えがあります。ただ、このアルバム・タイトル曲の "Wish You Were Here" については、美しい曲だと思いました。フロイド初期の重要なメンバー(おそらくはリーダー的存在だった?)シド・バレットに向かって書かれたのは間違いないでしょうが、同時に不特定多数のリスナーにも向けたメッセージが含まれているかもしれません。

シドは狂人になってしまったってことで有名です。廃人になったなんて話もいろんなところに書かれていました。実際はどうなってしまったんだろう。そもそも今も生きてるのかどうかさえ、私は知らないです(どこかのサイトでも見れば書いてあるのかもしれませんが)。しばらく前にCD屋さんでシド・バレットのアルバム、というか彼の曲を集めたアルバムを見て、うーん、この人は今どうなっているんだろう? とっくの昔に死んでしまっているのか? それとも今も生きているが精神的に「他界した」状態のままなのか、いやけっこう普通(って何だ?)の人になってるのか?? ・・・ なんぞと少しの間、想いを巡らせたものでした。

アルバム "Wish You Were Here" の最初と最後を飾るのは "Shine On You Crazy Diamond" って曲の前半と後半のパートで、この曲もシド・バレットに捧げられていて、こっちはもう完全にシドのみに向けて書かれた曲だと思います(まぁプロなんだから一般リスナーを全く意識してないはずはないけど *)。邦題は「狂ったダイヤモンド」となっていて、これは何だかオソロシイ。私なんかダイヤモンドじゃないから、「狂った転石」とでも自称しましょうか、なんてのは軽口ですな。SHINE ON YOU CRAZY ROLLING STONE ... やめとこ。ちゃんとした転がり方していないし。ん、ちゃんと転がるって何だ? 転がってればとにかく転石でんがな。

私の中3時代、朝の始業前だったか、昼休みだったか、清掃時だったか、あるいは下校時だったか、時間帯はよく憶えていませんが、"Shine On You Crazy Diamond" が校舎・校庭で流れていた時がありました。たしか放送委員か何かだった友人がかけていたんだと思うけど。田舎の中学校の木造校舎の時代です。自分達の学年が入らない新築コンクリ校舎の工事が始まっていたかもしれません。校舎から出て校庭の外に向かう坂をどっちに向かってか、とにかくその辺りを歩いていた時に流れていた記憶があります。身体は校舎側に向かっていたような気がするな(そんなことあんまし関係ないか、笑)。おかしなことを憶えているものです。最近よく子供の頃のことなんかも思い出すのですが、うーん、いけませんかね。 ... ま、大丈夫でしょう。

近頃ますます夢を見ます。内容はいろいろですが、目覚めた時に記憶に残っているタイプの夢です。これを見るといけません。何がいけませんって眠りが浅いのです。困ったものですが、しかし、ここにいる限り何とかなるでしょう。私はここにいますから。

私はここにいます。私はずっとここにいますが、フロイドの "Wish You Were Here" を訳してみました。フロイドが指定したという「あなたがここにいてほしい」というタイトルは勝手に「ここに君がいてほしい」にしてしまいました。中身も勝手な自己流だし、商売じゃないんだから勝手でいいよねぇ。

「ここに君がいてほしい」っつーわけで、私はここにいます。あっちにはいきません。ここにいます。大丈夫だっ。

..........................................

上に転載した 17年前の日記は当時のママですが、今日のこの note 投稿のテキスト内に掲載するに当たり、当時は全角大文字で表記していた曲のタイトルや、「ロジャー・ウォータース」と表記していた Roger Waters のカタカナ書きを「ロジャー・ウォーターズ」に改めたり、段落の初めの字下がりをやめたり、一部、改行を増やしたりといった程度の編集だけ施してあります。

日記原文は以下の URL 上にありますが、2001年の夏に本を買って HTML の基礎を独学し、1週間程度で立ち上げたホームページ上にあり、その時の原始的仕様を一切変えていないウェブサイトなので、いま現在、おそらくはとりわけスマホなどから閲覧する場合、OS のヴァージョンによっては文字化けしてしまいます。

* "Shine On You Crazy Diamond", これについては、次に掲載する、14年前の私の日記の後で、ロジャー・ウォーターズ自身による見解を紹介します。

シド・バレット

画像2

以下は、やはり上記の日記と同様、私が 2001年の夏に立ち上げた原始的仕様のホームページ上に掲載している、今から 14年前の私の日記です(短いですが)。

2006年 8月10日(木)   シド・バレット

シド・バレットが 7月7日に死んでいた。先月末の新聞で知って、書き留めたいと思ってた。

シド・バレットが死んだ。というか、それまでは生きていた。ピンク・フロイドのオリジナル・メンバー。当時のリーダー格。ただしフロイドのメンバーとして活躍したのは、正真正銘、初期のみ。

その後、精神に異常をきたした、廃人になった、それはもう、僕が中1の頃、ピンク・フロイドを聴き出した頃に、既にそういうことになっていた。いつの間にか、何となく、死んでしまったのかな、と思う時もあったが、近年、実は生きている、というのをウェブの情報で知ったりもした。

先月、死んだというのを新聞記事で読んで、ちょっと驚いた。死んだ、ということ。同時に、やっぱり、それまで生きていた、ということ。

ピンク・フロイドの "Wish You Were Here" は、シドに捧げられた曲でした。同名のアルバムに収録されていた "Shine On You Crazy Diamond" もシドに捧げられた曲(*)。

今から 30年余り前のこと。しかし、シドはそれからもずっと生き続け、そして、先月、亡くなりました。享年60歳。

..........................................

日記原文は以下の URL 上にありますが、上にも書いた通り、2001年夏に立ち上げた時の原始的仕様を一切変えていないウェブサイトで、いま現在、おそらくはとりわけスマホなどから閲覧する場合、OS のヴァージョンによっては文字化けしてしまいます。

* "Shine On You Crazy Diamond", これについては、この後、ロジャー・ウォーターズ自身による見解を紹介します。

Shine On You Crazy Diamond

ロジャー・ウォーターズ自身による、"Shine On You Crazy Diamond" のコンセプトへの言及を含む、シド・バレットに関するコメントは以下の通りです。

I'm very sad about Syd. Of course he was important and the band would never have fucking started without him because he was writing all the material. It couldn't have happened without him but on the other hand it couldn't have gone on with him. "Shine On" is not really about Syd—he's just a symbol for all the extremes of absence some people have to indulge in because it's the only way they can cope with how fucking sad it is, modern life, to withdraw completely. I found that terribly sad. —Roger Waters

私なりに訳すと、こういうことだと思います(意訳ですが)。

シドについてはとても悲しい。もちろん彼は重要な存在だったし、シド無しではピンク・フロイドというバンドは生まれなかった、何しろすべての曲は彼が書いていたんだから。シド抜きにはピンク・フロイドという現象は起きなかっただろうが(バンドは結成されなかっただろうが)、しかし一方で、シドと共にバンドを続けていくことはもはや不可能になっていた。"Shine On You Crazy Diamond" は実際にはシドについての曲ではない。シドはただ単にある人々が浸るしかない、そうならざるを得ない極限的な不在(あるいは非存在)というものの象徴に過ぎない、そしてなぜ彼らがその状況に甘んじなければならないのかと言えば、現代の生活がどれだけ悲しいものなのかということ、そのことに対処する彼らの方法が、社会から完全に退場してしまうことだけだからだ。私はそのことがおそろしく悲しいことだと気づいたんだ。

(日本語版ウィキペディアに日本語訳が出ているのですが、そこから「その状況に甘んじなければならない」という日本語表現だけは借りたものの、私は日本語版ウィキペディアに掲載された翻訳は誤訳混じりなのではないかと、正直、その正確さを疑っています。)

英語版 Wikipedia は以下。

日本語版ウィキペディアでは以下の通り。

Shine On You Crazy Diamond (Parts I - IX) 

画像3

Syd Barrett, Nick Mason, Richard Wright, and Roger Waters

画像4

Nick Mason, Syd Barrett, David Gilmour, Roger Waters, and Richard Wright

画像5

Richard Wright, Nick Mason, Roger Waters, and David Gilmour

画像5

Syd Barrett

Shine On You Crazy Diamond (Parts I - IX) 

*Parts I - V (オリジナル LP では A面の1曲目) と Part VI - IX (同、B面の3曲目、最後の曲として収録されたもの)を繋いだもの。  

..............................

*この曲の歌詞の掲載に関しては, JASRAC から筆者に対し音楽著作権侵害の指摘は為されていない。明らかに指摘漏れだろうと思われ, 筆者として記事編集の二度手間は避けたいので, 本 note 投稿当初よりここに掲載していた英語歌詞を削除することにした。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものをご確認あれ(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?