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世の中は知らないことだらけ(映画感想文)


「友だちのうちはどこ?」という映画を観た。

観たのはこれが2度目である。
初めて観たのはまだ20代の頃。ストーリーは何となく記憶にあったものの、細かなところは覚えていなかったので、BSプレミアムで見かけて思わず録画してしまった。

 主人公は8歳の男の子、アハマッド。学校で隣に座っているお友だちのノートを、間違えて家に持って帰ってきてしまったことに気がつく。友だちはその日、宿題のノートを出さなかったことが理由で先生から叱られており、次に宿題ノートをやってこなければ退学だ、とクラスメイトの前で言われていた。
 友だちは、山を越えたところにある、遠くの村に住んでいる。アハマッドは急いでノートを返しにいこうとするが、忙しいお母さんはなかなか許してくれない。お母さんの目を盗んで家を抜け出すアハマッド。
 だがアハマッドには、友だちの家がどこだか分からない‥。

こうして書いてみると、なんて理不尽なはなし。
実際、映画を見ていても、子どもたち、特に主人公アハマッドは、終始かわいそうなくらい、大人たちの理不尽にも思える言動に振り回される。


先生は、なぜノートに書かなくてはいけないのか、子どもたちに優しく説明してくれる。ノートを忘れてきてしまった友だちの、事情も理解してくれる。
でも、次忘れたら、退学。何故ならこの前も忘れて、次は3回目だから。先生の言うことは守らないといけないと、子どもたちは覚えておく必要があるから。

お母さんは、忙しい。泣いてばかりの赤ちゃんがいるし、沢山の洗濯物もある。必死で事情を説明しようとするアハマッドにお母さんは言う。宿題しなさい。その後でパンを買いに行きなさい。ノートは明日返しなさい。先生の言うことは正しい。言うこと聞けないんなら、ぶつよ。

アハマッドには反論したり、言い訳したりすることは許されないのだ、子どもだから。
私たちには、アハマッドを見守ることしかできない。


アハマッドが、ノートを持ってそっと家を抜け出し、山を越えるために坂道を駆けていく、ちょうどそのシーンで、初めて音楽が流れる。
アハマッドのドキドキしている心情を表したような、速いテンポの拍子。異国情緒あふれる、民族楽器の弦がかき鳴らされる音。
がんばれ、アハマッド。がんばれ。
それにしても、隣の村は遠い。


その後も、彼はずーっと家を探してまわる。今の時代、今の日本なら考えられないくらい、子どもは、先生・親・目上の人の言うことを聞いて、当たり前。そしてそんな子どもの気持ちを、ちっともしん酌しない大人たち。ひどい。
まつ毛の長い、ちょっと眉を下げて困った顔をしてるアハマッドを見ていると、健気さに胸がきゅーんとなる。


でも、アハマッドとともにあちこち振り回されているうちに、考えが変わってくる。

石の階段だらけの、勾配の多い村。勉強机はおろか、家具のほとんどない家の中。(アハマッドは、床にノートを広げて体を折りたたむようにして宿題を解いている。)
車なんて一台も走ってない、小さな村で、学校から帰った子どもたちは皆何かしら家の手伝いをしていて、お母さんは大きな洗濯物を手で洗って、一枚一枚干している。

街並みは、見知らぬ外国の片田舎だけれど、人々の暮らしや慣習は、何十年か前の日本も似たようなものかも知れない。

私が知らないだけで。


何故、人は大きな町なんかに行きたがるんだろうね。とアハマッドに語りかける、初めて会ったおじいさん。

夕暮れから夜に変わってゆく、そのシーンを観ながら、
果たして、ひどい大人たち・かわいそうな子ども、なーんて単純に割り切れるものなのか?と、
私の知っている世界なんて、ごくごく小さい半径に過ぎなくて、
私の思考・判断だって、その小っちゃい世界でしか通用しないんじゃないかと、今更ながらに思った。

それにしても、どこまでが演技なのか、それともすべてが演技でないのか。
観る人を〝アハマッド〟(演じる少年の本名もまた、同じアハマッドプール、彼は、所謂子役の役者ではないそうだ)に釘付けにさせる、監督の力がすごい。

映画が描く内容によっては、政治的な理由で検閲にひっかかるかも知れなかったという、当時のイランの状況も、
監督が、日本の小津安二郎監督のファンであったことも、今回記事を書くために調べてみて、初めて知った。
恥ずかしながら、私は小津安二郎の作品を、今まで一度も観たことがない。

ほんとに知らないことだらけだ。

大人も子どもも、かかとのところにカパッと、大きな穴の開いた靴下を履いていた。なぜかそれが、映画を見終わった後に、ひどく胸に残った。

当時8歳位だったアハマッドは、おそらく私と同じ世代だろう。今は大人になり、父親になっているかも知れない。
でも彼は、映画のアハマッドに無理を言う彼のおじいさんのように、「子どもはぶって、親の言うことを聞くようしつける」大人には、なっていないんじゃないか。そう思う。



大人になって、結構長いこと経つと、
身の回りの大抵のことは、ああ、それね。とサラッとかえせるくらいに、分かったつもりになって日々過ごしているけど、

映画は、そんな私に、
世界にはこんな場所があるんだよ、
あなたはまだまだ何も知らないことばかりなんだよ、と、いろんなドアを開いてくれる。


同じくイランの映画で、「運動靴と赤い金魚」という作品がある。監督は違うが、こちらも子どもが主人公。この映画も好きだったので、機会があればまた観たい。


「友だちのうちはどこ?」 (1987年 イラン)
   アッバス・キアロスタミ 監督
「運動靴と赤い金魚」  (1997年 イラン)
   マジッド・マジディ 監督

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