見出し画像

私たちの看取り〜丸くなって対話しよう⑴〜

人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくにはどうしたらいいのでしょうか。自分や家族が歳を取った時に、地域の中でどのようなサポートを受けることができるのか、一人一人が知っておくことも大切です。
今回は、大切な家族を看取った4人の町民さんといのちの最期と向き合う医師が、自身の看取りの経験や胸の内を語ります。縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を、「今」考えるきっかけに。

※この記事は、鳥取県大山町のケーブルTV大山チャンネルで2021年7月に放映された「どう迎える?人生の最期」のスタジオトークの語りを元に再構成しています。
出演者:森田義巳さん(70代)、山﨑陽子さん(70代)、桑原可菜子さん(70代)、谷尾良さん(70代)、井上和興さん(大山診療所所長)、孫大輔さん(鳥取大学・医師)、青木郷香さん(進行)

自宅で、自力でベタをこいて。(谷尾さんの場合)

私の本家筋のおばさんですが、このおばあさんが認知症もなくてですね、素晴らしく元気で。明治、大正、昭和、平成、令和と5時代を生き抜いて、109歳と3ヶ月で亡くなりました。最期まで自分で用足しをすることにこだわっていて、最期はトイレの入り口で、田舎便で言うとベタこいて亡くなっていた。それでお医者さんを呼んで検死をして診断書を書いてもらいました。なんというか……まさに死に様の基本っていうとおかしいんですけど、本当に迷惑かけずに。朝5時だったらしいんですけど、家族に見守られずに自力で死んでいったっていう感じ。本当にいいおばあちゃんだったと思います。

「心臓マッサージはやめてください」って言ったんです。(山﨑さんの場合)

私の主人は糖尿がありましたので、合併症で心臓が悪くなる、腎臓が悪くなる、ペースメーカーも入れたりとか。透析も始まっていました。なにせ10回も救急搬送されて、私が10回とも救急車の助手席に乗って行きました。そんなに搬送されて、普通の人は生きて帰ってこないよって言われたぐらいだったんですけど……透析が始まってからもどうにか生きておりました。自宅で血糖値を測ってインスリンを打つという作業も私がしておりました。

でも認知症になってからはちょっと大変でしたね。私自身がいつまで頑張ればいいのっていう感じになってきて、心の方がやられるんですよ。精神的に参ってしまって、主人をアザができるほど叩いたりしたこともありました。

最期の時には、私は間に合いませんでした。「心臓が止まりましたから心臓マッサージします」って病院から電話があったけど、「やめてください」って言ったんですよ。心臓マッサージで呼吸が戻っても元気な姿になるわけではないので……。私が着いた時はまだ体の温もりがありました。「何時何分でした」って看護師さんから聞いて。主人にはね、「長い間ご苦労様でした」って合掌しましたけど。本人自身も生きてることがとても大変ですからね、そういう姿になってからはね。

「なんせ今朝の今日ですから」交通事故で、突然の別れ(森田さんの場合)

家内が59の時に、交通事故で。原付のオートバイに乗っておりまして軽トラにぶつかって、頭を打って。電話があって病院にすぐ行ったんですけど、その時はもう先生も、「今は機械で生きとるけども、止めたら終わりです、治る見込みもありません」と。レントゲン写真を見せてもらったんですけど真っ白で、先生が「もう駄目です」って。「このままずっと付けますか?」って言われて、いやーちょっと困ったなと思って。私の一存でいいってわけには……。娘や息子や家族、他の兄弟も来ていたけど、どうするかって聞いたって返答は出来んと思ったんですよね。仕方がないから、「もう止めてください」と。その時に意識でもあればね、また状況が変わっただろうと思いますけど、全然もう意識も何もなかったんですよ。もう仕方ないとあきらめたんです。

いやーもう、自分の頭が真っ白になったような感じだったですね。えらかった(辛かった)です。すぐには立ち直れなかったですね。病気でずっと入院しててとかだと覚悟もできるけども、なんせ今朝顔見て、それで今日ですから。

病院と家で亡くなった義母と母。10年経っても消えない葛藤(桑原さんの場合)

私は割合と看取りの現場にいることが多くて。1番しんどかったのは私の両親と義理の母がほぼ同時に介護状態に入って、13年位介護したんですけど、ほぼ一年違いで亡くなったんです。その時の自分のあり方がすごく難しくて。

義理の母の方は病院で、出来る限り命が長らえるようにしていたんですけど、母の方は「私はもう病院にはいたくない」と言って帰ってきたんですね。だから、自宅で最期を迎える人と病院で最期を迎えると同時にいたんです。これがもうすごく大変で。本当にこれ、いつまで続くんやろうって。何も治療をしない母と、十分に治療している義理の母と、どういう風に自分の中で整理をしたらいいのかなっていうのがわからなかった。
今でも、もう亡くなって10年経ちますけど、まだ本当にどっちが良かったのかなって……。母は自分の思い通りに、家の中で食べたいもの食べてやりたいことやって亡くなったんですけど。でも、治療したらもうちょっと長く生きられたかもしれないって。その時の家族の状況とか、医療や看護、介護のあり方とか、全てを考えて決めないといけないなと思いますけど。それを考えた上でも、どうしたら良かったのかってやっぱり未だに消えないですね。

画像2

決断したものが、全て正解

:私は病院での最期も在宅での最期も、どっちがいいって言えなくて。ご家族が納得のいく形でご本人と一緒に最期を迎えられるっていうような形になるといいかなと思います。もしご本人が、本当は在宅がいいんだけど希望がなかなか叶えられないっていうのであれば、希望に沿っていく形にいかにできるかっていうところもあるかと思うんですね。どちらが絶対いいってことじゃないと思っていますね。

井上:迷った時には一緒に考えて、相談しながら決めていきます。僕らもご家族や本人さんも、お互いに「こういうことはできる・できない」っていうのをすり合わせていって、じゃあ入院するのか施設なのか在宅なのか他の場所なのか、一緒に決めていく。大事な人が亡くなられる時って絶対後悔はあると思うので、それを少し減らしたりとか、一緒に決断することでちょっと和らげたりできるといいかなって。僕のスタンスとしては、決断したものが全て正解だと思っています。その過程で色々悩まれていること自体がその人を思うってことだから、それはすごく素晴らしいことだなと思います。

ーーーーーーーーーーーーーー
後半では、いのちと向き合う医師が自身の胸の内や、チームで行う在宅医療の実際について語ります。病院や医療の敷居を低くして、よろず相談のように住民と医師が気軽に話せる関係になっていくためには?

headerBのコピー

記事制作:中山 早織
元書店員の助産師・コミュニティナース。2014年に東京より鳥取へ移住。現在は大山町で地域活動や聞き書きを行う。大山100年LIFEプロジェクトメンバー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?