先日の続き

先日の「三つの髻」の話は昔に習いました。
当時、仏法を学ぶ学舎にいながらも、全く顔は向いてませんでした。しかし、その時を思い起こすと頭に浮かぶワードのひとつです。
それから幾つかの寺で法務を手伝い、地元に帰り10数年、そのことも忘れ木彫りに一生懸命生きていました。寺とは離れられないと思っていたので何となく付き合ってきました。正直出会った僧侶の6割は屑人間ばかりに思えて余計積極的に仏法を見る事はありませんでした。今、永き時を経て再び仏法に出遇う機を得ています、多分。同時に私自身、私が嫌っていた人間の生き方をしていた事に気がつきました。自分の事はホントに見えないんだなと思いました。勿論どう考えても私よりあいつの方が人間的にダメだろと今でも思う事はあります。そして同時にどこまでいっても自分は悪くないという根性で生きてるなと苦笑するばかりです。他者と比較し自分を絶対だと思い、勝ってると思い込む。これも勝他の心でしょうか。
この言葉を教えてくれた先生は何年も前に亡くなられました。今、その先生の本を読み返しては自分を考える日々。

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