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“推しは推せる時に推せ“

先日界隈を賑わせた某キャプテンの移籍報道。
X(Twitterと呼べないの悲しい)上では様々な意見が飛び交っていた。
移籍容認派、移籍否定派、人格否定派(こいつは言語道断)など人それぞれで、
彼がいかに愛されていたか、期待されていたかを物語っていた。

本音を言えば私もショックだった。当たり前だ。
昇格を目指すチームのキャプテンが天皇杯で退けたJ1チームにシーズン途中に移籍したのだ。
勿論、彼がJ2の器に収まらない漢なのは彼をそしてチームを心から愛するファン、サポーターの皆さんも十二分に理解しているだろう。
負け知らずの対人守備、豊富な運動量、なぜそこに(以下略)案件な攻撃参加、たまに魅せるゴラッソ…
語り尽くせばキリがないほどに素晴らしい選手なのは誰からも疑いはないだろう。

だからこそ悔しかった。
悔しくて仕方がなかった。
キャプテンと共にACLを闘うことは
J1に行くことはもう許されないのだ。

でも彼が決めた決断である。
「コメントが薄っぺらいな。」

「何が鹿島魂だふざけるな。」

飛び交う意見に心が痛くなる。ただそう思う気持ちも分からなくはない。

ただ、彼は甲府の選手である以前に1人のサッカー選手である。1人の漢である。
大卒3年目。
今年で25歳を迎えることを考えるとJ1からのオファーはまたとない千載一遇のチャンスである。
かつてのチームメイトだった常本の移籍で空いたSBのポジション。
大学時代苦楽を共にしたチームメイトも多数在籍しているクラブだ。
最近結婚したご婦人に少しでもいい思いをさせてあげたい。サッカー選手として目指すところを目指したい。日の丸を背負ってプレーしたい。

そういう思いが彼を決断へと突き動かしたのだろう。

わかる。わかっている。
でも真紅の衣を纏った彼の姿を見ると未だに心が傷んでしまう。やるせない気持ちになってしまう。

私の推しは紛れもなく「7」SHO である。
それはこれからもずっと変わらないだろう。

それでも彼の移籍は推しの移籍かのようにつらく苦しいのだ。
私自身推しの移籍の経験は一度のみだ。
國吉貴博の移籍である。自分のヒーローだった選手が小瀬で見れないと分かった時、幼いながらに私は号泣した。しかも遠い九州の地だ。
小銭ばかりの小遣いを握りしめながら九州に行く手段を父と調べたこともあった。
当時小学校4年生である。それだけ推しの移籍は心を突き動かすのだ。

中学進学後、部活動が忙しくなり土日に遠征するのが当たり前になっていき、ハイライトを追うのが精一杯になってからはいわゆる推しのような選手はできなかった。

いや、怖かったのかもしれない。大好きな選手がピッチで観れなくなるのが、どこか遠くに行ってしまうのが。

それでも、荒木翔という漢だけは推さずにはいれなかった。小さな身体を目一杯に使った守備、左足から放たれる美しい放物線、労を惜しまないスプリント、気の利いたパス、チームへの忠誠心、山梨への愛情、爽やかな笑顔…

あの時テレビで日本航空の試合を観ていなかったら、甲府が好きじゃなかったらこんなに素晴らしい選手に出会えなかったと思うと恐ろしい。

では、荒木翔が移籍したら私は何を思うだろうか。
考えたことないし考えたくもない。が率直な意見だ。だからこそ彼の移籍で心を傷めるサポーターを思うと辛いのだ。

きっと中央市のいや、甲府の宝だった彼の移籍だからこそこれだけ胸が傷んだのかもしれない。

では、他の選手では違うのか。
答えは否だ。私は昔から移籍ウィンドウが嫌いである。甲府のために闘ってくれた選手とお別れをしなければならないからだ。
その選手を推している皆様の思いには及ばないが、甲府を去るプレスリリースを聞くのはいつも悲しい気持ちになる。
土肥選手の移籍もそうである。ピッチに立つ姿は少ししか観れなかったが、サインをしてくださった時のあの笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。

だからこそ推しは推せる時に推さなければいけないいや、ならないのだ。

出来れば誰のものでもない みんなのあなたで居てほしい 矛盾してるけど僕たちは あなたの幸せも願ってる

これは私が好きなキュウソネコカミというアーティストの推しのいる生活という曲の歌詞の一節である。

推しに対して抱く感情はこの歌詞に他ならないのではないだろうか。

推しにどれだけ助けられただろうか。推しがいるから辛いことも乗り越えられた人も元気を出せた人もいるだろう。それだけ推しは尊いのだ。

貴方の推しは今日も世界のどこかで(もしくは画面の中で)生き続けている。

貴方の推しとそれを推す貴方が幸せでありますように。これだから推し活はやめられない。


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