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長かったペーパー・ドライバー歴と若葉マーク、そして憧れのロータス・エラン

2000年9月3日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

私は1977年にスペインの小さな街、サラマンカで運転免許を取って、翌年の1978年の暮れにフランスはパリへ引っ越しました。

当然、スペインの運転免許証をフランスのものに書き換えました。

そして1992年の9月、大阪に戻り、書き替えたフランスの運転免許証を、今度は日本のものに書き換えました。

ちなみにフランスでは一度免許を取得したら、更新手続きは必要ありません。フランスでは免許は永久モノなんですね。そんな訳で、私が今でも持ってるフランスの免許は今でも有効で、フランスだけではなく、スペイン、イタリア、オランダやドイツなど、EC加盟国なら何処でも運転できるんです。

更新手続きが必要ないのは有難いけれど、一つだけ難点があります。つまり免許の顔写真は免許の取得時から、ず〜っとそのまま、ってことです。私の免許証には、学生時代の長髪・童顔の間抜けた顔写真が今でも残ったままなんです。

さて、1995年の6月、息子が生まれたので、彼が急病を罹ったり、怪我をした場合、直ぐに病院に連れて行く必要があるかもしれないので、車を持ち、運転することを決めました。

そして1995年の暮れ、知り合いの脳外科医の先生から、滅茶苦茶古いトヨタ・クラウンを無料で譲り受けました。

さあ運転するぞ、と言っても、私は1977年にスペインで免許を取ってから、一度も運転していません。自慢ぢゃあないけど、ペーパー・ドライバー歴、ほぼ18年です。自慢ぢゃないけど、スペインでチャチャっと簡単に習った運転技術なんて、とっくの昔に忘れてしまいました。

フランスの免許証を日本のものに書き換える時にも実技のテストなんかありませんので、もしあったら確実に落ちていたでしょう。ある意味では、教習所で一度も運転練習したことのない人に、矛盾した表現ですが、無免許の人に免許と車を与えたようなもんです。

そんな訳で、私はほぼ素人の状態で運転を始めることになりました。まぁ、免許があるのに教習所に通うのも、なにやら妙な感じですから。

最初の頃は真夜中にこそっと借りていた月極駐車場で車庫の出し入れの練習ばっかりしていました。なんとか一週間ぐらいで車庫入れが出来るようなってから、またしても真夜中ですが、近所の団地内を時速20kmぐらいで走ってましたね。真夜中の団地内、車はほとんど走ってませんでしたから、貸切のサーキットみたいな感覚でいしたね。

海外生活長かったからか(?)、何度か間違えて右車線を走っていた事も何度かありました。対向車に出会った時は、さすがにビビりました。その頃は、免許を取って18年経っていましたが、一応若葉マーク付けて運転してました。

タダで貰った車ですから、あんまり文句は言いたくないんですが、初心者にトヨタ・クラウンは難儀でした。それも古い型のクラウンでしたから、無闇にデカくて、運転し辛い。唯一良いのは普通の乗用車と正面衝突しても、完敗(?)する可能性は低く、引き分け程度には持ち込めそうな安全性ぐらいでしたね。

ちなみに当時、乗りたかった憧れの車はブリティッシュグリーンのロータス・エラン / Lotus Elan。実に渋くてカッコいい、英国産の名車です。

ブリティッシュグリーンのロータス・エランに若葉マーク、結構似合うと思いますけどねぇ。

しかしロータス・エランはマニュアル車なので、当時の素人同然の私に運転は無理だったと思います。

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