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かつてのスペイン運転免許試験事情:実技試験の前にビールやワインで祝杯を上げるお国柄

2000年9月1日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

私、1974年の春に18歳で高校を卒業しましたが、大学受験には見事に失敗しました。浪人して、コツコツ受験勉強するのはホンマに嫌だったので、スペインへ行くことを決めました。

その理由はいたって簡単。当時、ゴヤやベラスケスとか、スペインの画家が好きだったので、本場で本物を見たくなり、ついでに向こうで美術史の勉強でもしたくなったからです。

大体、18歳ぐらいのガキが、そんな突飛な事を言い出すと、両親が止めるもんですが、自由放任っちゅうか、無責任ちゅうか、特に何の反対もありませんでしたね。

スペインに行くには先立つ物、つまり金が必要で、それからはバイト、バイトに明け暮れて、一切無駄遣いをせず、とにかく守銭奴的に金を貯めることに集中して暮らしてました。そんな訳で、日本で運転免許を取ることは出来んかったのです。

1975年10月にサラマンカという、マドリードとポルトガルの間にある小さな街に辿り着き、住むようになりました。

さて、サラマンカでの生活が1年以上過ぎ、スペイン語も喋り、読めるようになったので、一念発起し、運転免許を取ることにしたのです。当時のスペインはEUに加盟する前で、物価はホンマに安かったので、今後、必要になるかもしれないし、ここで運転免許を取るのも、それはそれで得策だと思ったからです。

んな訳で、私はミトラ大通り9番地にある「サラマンカ自動車教習所 / Autoescuela Salamanca」の門を叩いたきました。

この教習所を選んだ理由は、私の友人の親父さん、セニョール・セバスチャンがそこで教官をしていたからです。このセニョール・セバスチャン、スペイン内戦の時は、敵に見つからないようにヘッドライトの電気を消し、闇夜にトラックを猛スピードで走らせて、何度か敵地を横切った経験を有する強者なのです。そんな強者ですから、私は徹底的にシゴかれました。

スペインでは初日から路上で実技練習です。日本の教習所内にあるような、実技用の遊園地的ミニコースはありませんから。

郊外の交通量が少ないところまでセバスチャン鬼軍曹が運転して行き、そこから私がハンドルを握り、田舎道での実技練習スタートです。いくら交通量が少ない田舎道でも、時々対向車線からクルマが現れるし、なかなかヒヤヒヤしましたね。まぁ、向こうさんも教習所の車を見たら気をつけて走ってくれるから、事故はありませんでしたけれど。

しかし当時の教習車はオートマ車と違って、マニュアル車でしたから、難儀しました。ギアチェンジに苦労して、ガクッ、ガクガク、ガック~~ン!みたいな感じで走ってました。

ちなみに当時スペインで一番出回っていた車は「SEAT / セアット(Sociedad Española de Automóviles de Turismo)」産でした。SEATはイタリアの「FIAT / フィアット」が出資した、スペインの国策自動車会社です。似たような名前でややこしいですね。

学科の授業も当然スペイン語ですが、教本も含めて、それほど難しくはありませんでした。ルールとか交通事情は基本的に日本と変わらん訳ですからね。学科の授業の時は生徒が時々わざとボケたりして、結構面白かったですね。一番記念碑的はボケは看板 "STOP" の解釈でした。

教官:看板 "STOP"、これの意味、誰か知っとるか?
生徒:はい、それは "Sólo Tonto Obedece Parar / 従って止まるのはアホだけ" という意味やと思います。
教官:独創的な解釈やね。君は看板 "STOP" 見たら、どうするねん?
生徒:はい、止まります。
教官:では君はアホか?
生徒:いいえ、アホではありません。何事にも例外がありますから。

いよいよ免許試験所での学科試験の日がやって来ました。学科試験は全てマル・ペケのマークシート方式ですから、勘が冴えてたら、何の問題もありません。

結果は約1時間後に免許試験所の壁に貼り出されました。私と同じ頃から教習所に通い始めた同期(?)のニイちゃん・ネエちゃん、オジちゃん・オバちゃんたちは、ほぼ全員落ちたました。

私は、自慢ではありませんが、一発で合格しました。多分、その日は勘が冴えていたのでしょう。しかし、これはスペイン人の美徳だと思うのですが、彼らは謙虚で潔く、一発で合格した私に対して、「Eres un genio ! / お前は天才や!」を連発しました。生まれてこの方、こんなに褒められたのは初めてでしたね。

今はどうか知りませんが、あの頃、学科試験に合格すると、皆、大喜びして、免許試験所内で営業しているバルに雪崩れ込み、ビールやワインとかで合格の祝杯を上げるんです。その後、すぐに実技試験があるんですけど、試験所の職員も含めて、誰も気に留めていませんでしたね。つまり飲酒状態で実技試験を受ける訳です。何やら大らかなお国柄で、なかなかエエ感じですね。

「郷に入れば郷に従え」。私も他の合格した連中と一緒にビールで祝杯を上げました。そして少しばかりリラックスした状態で実技試験に臨みました。しかしリラックスしすぎたのか、最後の車庫入れに失敗してしまいました。

私、祝杯を上げた直後に苦杯を嘗めました。

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