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スペインのガリシア地方のバルで日本について説明してみる

今から45年以上も前、私がスペインのサラマンカという街に住んでいた頃のお話しです。

1975年12月から76年1月にかけて、約2週間ほどスペイン北西部のガリシア地方を旅行しました。

懐具合に余裕があるわけではないので、出来る限り安くあげるためにヒッチハイクをしならの、気ままな旅行でした。

冬休み期間も終わりに近づいたので、ガリシア地方をぶらぶらヒッチハイクで巡る気ままな旅を切り上げ、サラマンカへ帰ることにしました。

帰路の途中にスペインとポルトガルの国境を流れるRío Miño / ミーニョ川に隣接する Tui / トゥイという小さな町に立ち寄りました。

※45年以上前の事ですから、場所の記憶があやふやです。多分この町だったと思います。

その夜に泊まる安いペンション(民宿)を探しながら、街中をうろちょろ歩いていた20時頃の出来事です。日本で20時といえば、もう立派な(?)夜ですが、夕食が22時頃に始まるスペインではまだまだ宵の口的な時間帯です。

街角のバルから出てきた50歳ぐらいのオジサンが私を見つけるやいなや、「お前さんの国の偉いさんが亡くなったみたいだぞ。テレビのニュースで流れてる!」と言うではありませんか。そして私の腕を掴み、バルへ引き入れました。

亡くなったのは当時の首相、三木武夫か? いや、ニュースバリューの点から考えると、昭和天皇かもしれない... 瞬間的に二人の顔が頭に浮かびました。

バルに入り、カウンターの上に設置されたテレビを見上げると、そこに写っているのは人民服を着た周恩来(しゅうおんらい)でした。毛沢東主席の右腕として、長く中華人民共和国の首相を務めた政治家です。

とりあえず先程のオジサンに私は日本人であり、テレビで流れているのは日本人ではなく中国人の政治家の訃報であることを説明しました。

今から45年以上も前、スペインの田舎の小さな町での出来事です。そんな時期にそんな場所で、日本人と中国人を正確に見分けることが出来て、日本と中国の違いを正確に知るスペイン人は皆無と言えます。今は少しばかり違っていると思いますけれど...

バルでオジサンに日本と中国の違い等を説明していると、赤ワインやビールを食らっていた周りのオジサンたちも集まりだし、至る所から質問の矢が飛んできます。

一番多い質問は、当時のスペインのみならず、多分世界中で一番有名だった東洋人、ブルース・リー(李小龍)に関するものです。彼は本当に強いのか? あれはカラテなのか? 中国人なのか日本人なのか? 等々です。

こんな時はブルース・リーの強さや格闘技について話をすると結構長くなるし、知っているフリをすると実技を見せてくれとせがまれることが多いことを経験上知っているので、適当に切り上げます。

答えるのが難しいのは日本人と中国人の違い、そしてブルース・リーは何人か? です。ブルース・リーは中国系ですが、サンフランシスコ生まれで香港育ちですから、いささかややこしい...

こんな時にはバルに備え付けられている紙ナプキンに世界地図を描いて説明するに限ります。

日本を描き、そこから中国、そして香港の位置とイギリス統治について簡単に説明し、アメリカと戦争中だったベトナムと東南アジア、そしてインドや中近東を描き、ギリシャ、イタリア、そしてスペインやヨーロッパの諸国をさっと描きます。

日本と中国は、スペインとポルトガル同様、距離的・民族的に近くても、全く別の国であることを下手くそな世界地図から説明すると、なんとなくですが、納得してもらえます。

話は逸れますが、これはスペイン人の美徳だと思うのですが、彼らは謙虚で自分の無知さを素直に認めます。私が簡単に下手くそながら世界地図をスラスラ描くと「お前は凄い! オレはこんな世界地図は描けん! お前は大学で地理を専攻しているのか!」と持ち上げます。こんな事でこんなに褒められるのは初めてでしたね。

しかしブルース・リーの人気はスペインでも凄まじかったです。旅行中に街角で子どもたちに出会うと、東洋人である私をブルース・リーに見立てて、必ず「アッチャー!」と奇声を発しながら、カンフーのポーズで立ち向かってきましたね。

そんな子どもたちも、今や50過ぎの立派なオジサンに成長しているでしょう。

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