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現在の姿、目指す姿、その原点。

JR御茶ノ水駅を降りて、目の前の横断歩道を渡り、ファストフード店横の外階段を上がったところに師匠とよく立ち寄った居酒屋があり、ビールのお供によく食べたピー肉(ピーマン肉詰め)の味は、今でも私の記憶に残っています。

その居酒屋の先に、私のデザイナーとしての原点であり、人生を変えたデジタルハリウッド東京本校がありました。

この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。



現在の姿

私は制作会社や広告代理店、事業会社でキャリアを積み重ね、現在はIT事業会社において主にコーポレート領域のクリエイティブディレクターとして働いています。「企業やその代表の想いと、その活動の起点をデザインの力で具現化する」という想いをもって挑戦を続けていますが、この想いは約20年前、デジタルハリウッドの総合Proコースでの卒業制作において、グラフィック部門で最優秀賞を受賞したことから始まりました。


きっかけ

遠い昔、Mac(当時はマッキントッシュだけど)を使用してイベントのフライヤーを作れるようになりたい、自分で描いた絵を動かしたい、そんな軽い気持ちだった気がしますが、たまたま何かで目にしたデジタルハリウッドに足を踏み入れました。様々なアプリケーションを学び、課題に取り組む過程は非常に新鮮でした。周りの人たちは3DソフトやWebデザイン、HTMLに夢中になっているようでしたが、私はIllustratorやPhotoshopのようなグラフィックツールにのめり込みました。特にAdobe Illustratorで真っ白なアートボードを開く瞬間の高揚感は、今でも変わらず大好きです。そうやって制作に没頭していった結果、有難いことに卒業制作で賞を受賞することができました。「CANDY NUTS」と題した作品は、今ではデータがどこにあるかも分かりませんが、記憶にはしっかりと焼き付いています。

 デジタルハリウッド東京本校があった場所


キャリアのスタート

受賞をきっかけに、デジタルハリウッド株式会社のメディアプランニング室(当時)で、インハウスのデザイナーアシスタントとして働くチャンスもいただき、デザイナーとしてのキャリアがスタートしました。 ここで出会った上司が、ピー肉を一緒に食べていた私の師匠なのですが、受講生募集のためのパンフレットやDM、イベントのロゴやポスター、フライヤーなど様々な制作を通じて、デザインの基礎を徹底的に叩き込まれたのと同時に、「デジタルハリウッドらしさ」とはなにか、どのように見せるべきか、どれだけ丁寧に扱う必要があるか、などブランディングデザインの基本や心構えも教えてもらいました。

当時デザインしたものたちの一部


目指す姿

これらの経験によって、私がデザイナーとして何を目指したいのか、どのような道を歩んでいきたいのか、ぼんやりですが輪郭が見えてきました。ざっくばらんに言えば、多種多様なサービスや企業、業界に携わることよりも、一つの物事に長期的に関わることに魅力を感じ、ワクワクすることに気づきました。

その後、想い描いた道から大きく外れることなく経験を積むことができ、最初に述べたように、「企業やその代表の想いと、その活動の起点をデザインの力で具現化すること」の実現を目指して日々を活動しています。


デジタルハリウッドで変わった私の人生

もしデジタルハリウッドに入学していなかったら、
卒業制作で賞を取れていなかったら、
メディアプランニング室で働く機会を得ていなかったら、
今の自分は存在しないでしょう。

私にとってデジタルハリウッドは原点です。

あの居酒屋はもうなかったし、
デジタルハリウッドの場所も変わってしまいましたが、
師匠との関係や、
デジタルハリウッドからスタートした私のデザイナーとしてのキャリアは、
これからも続いていくはずです。

この企画で、自分自身のデザイナー人生を振り返るきっかけを与えてもらったことに感謝しています。

明日からまたがんばろう。

 通った居酒屋があった場所



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